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「保守的な方略が動きの柔軟性を低下させる可能性」-No.342




安全を意識しすぎる障害物回避は諸刃の剣?

-保守的な方略が動きの柔軟性を低下させる可能性を発見-




概要


 歩行中に段差を跨ぐ行動は、つまずきによる転倒を防止するために重要な行動です。一般に、高齢者は必要以上に足を高く上げて衝突を避ける傾向があります。従来、こうした傾向は安全志向(保守的な方略)を反映されたものとして、ポジティブに解釈されてきました。


これに対して本研究では、この行動がむしろ動きの柔軟性(状況に応じた動きの調整)の維持には不利益であり、状況によっては、かえってバランス維持や障害物回避の妨げになる可能性を示しました。


 東京都立大学大学院人間健康科学研究科 樋口貴広教授、須田祐貴(大学院生、日本学術振興会特別研究員(DC2))、中村高仁(大学院生)、坂崎純太郎(大学院生)、同大学大学教育センター 児玉謙太郎准教授らは、段差を跨ぐ行動の柔軟性を、関節間の連動性として表現し、Uncontrolled manifold (UCM)解析(1)という解析手法を応用しました。


健常若齢者21名と65歳以上の健常高齢者26名を対象として実験した結果、関節間の連動性と段差を跨ぐ際の足の高さの間には、負の相関があることを発見しました。

この研究の成果は、足を高く上げる傾向がある人は、段差を跨ぐ際の柔軟性が低いことを示しました。状況に関わらずいつでも足を高く上げることだけを繰り返すことで、動きの柔軟性を失う可能性を示唆しています(図1)。


図1. 本研究の概要図。

本研究では、段差跨ぎ動作時の関節間の連動性をUCM解析によって定量化しました。その結果、関節間の連動性と足を高く上げる保守的な方略が関連することがわかりました。




発表のポイント


1.UCM解析を応用することで、段差を跨ぐ行動の柔軟性を、関節間の連動性として定量化

 した。


2.高齢者は若齢者と比較して障害物回避時に関節間の連動性が低下していることが明らかと

 なった。


3.段差跨ぎ時に下肢を必要以上に高く上げる方略と関節間の連動性低下に有意な関連性を発

 見した。




研究の背景


 人が安全に歩行するには、障害物を適切に回避するなど、場面に応じて柔軟に動きを変化させる必要があります。特に、段差を跨ぐ場面は、高齢者の転倒発生頻度が最も高いことが知られています。したがって、一部の高齢者は、段差との衝突リスクを最小限に減らすために、段差を跨ぐ際に足を必要以上に高く上げる行動(保守的な方略)をとることが知られています。


確かに、こうした方略は衝突回避には有益ですが、高い段差でも低い段差でも同じように足を高く上げることで回避できてしまうため、日常生活場面で動きを調整する機会がなくなってしまいます(図2)。私たちの研究室では、こうした行動を継続していくことが、加齢に伴って柔軟に動きを変化させる能力が低下する一因になるのではないかと考え、研究を行っています。


図2. 段差跨ぎ動作時における保守的な方略。

大きい段差でも、小さい段差でも高く足をあげることで回避できてしまうため、動きを調整する機会がなくなる。




研究の詳細


 本研究では、実験として健常な若齢者と高齢者を対象に、高さ8cmの段差を繰り返し跨いでいただきました。この時、歩行スピードや跨ぎ方は、特に意識することなく自然な振る舞いとしました。参加者に取り付けた反射マーカーを三次元動作解析装置で読み取り、参加者が段差を跨ぐ際の全身の関節角度と地面とつま先の高さを測定しました。この測定した関節角度にUCM解析を適用し、動きの柔軟性を関節間の連動性として定量化しました。


UCM解析は、複数回の試行から得られる関節角度(UCM解析では、これらの変数を要素変数と呼びます)の分散を、動作の目的(UCM解析では、これをタスク変数と呼びます)となるつま先の高さに影響を与える分散(これをVORTと呼びます)と影響与えない分散(これをVUCMと呼びます)の2つに分解します。すなわち、VUCMが大きい=様々なパターンの動きを柔軟に活用していると捉えることができ、 VORTが大きい=動作の正確性が低いと捉えられます。実際には、これら2つの分散からシナジーインデックス(2)(ΔV)を算出し、評価します(図3)。

シナジーインデックスを段差跨ぎ動作時に算出したところ、高齢者は若齢者と比較して低下していることがわかりました。この結果から、高齢者は段差跨ぎ時に動きの柔軟性が低下していることが示唆されました。さらに、年齢にかかわらず、段差を跨ぐ際の下肢の挙上高とシナジーインデックスが負の相関関係にあることがわかりました。この結果は、安全を意識した保守的な方略をとる人ほど動きの柔軟性が低下していることを示しました。


図3. UCM解析の概要と本研究への応用。

足を同じ高さにあげるパターンは、1つに定まらず複数存在します。このパターンの多さを定量化することで、どれだけ環境変化に柔軟に対処しているか表現することができます。

この時、両足の7つの関節角度の試行間のばらつきを測定し、VUCMとVORTの2つに分解します(図中の右)。この2つの分散から最終的にシナジーインデックス(ΔV)を計算します。




研究の意義と波及効果


 足を高く上げることは、一見すると段差との衝突リスクを低下させる適応的な方略とも考えられます。しかし、こうした方略をとるにも関わらず、段差跨ぎ場面でつまずくケースや転倒するケースが少なくありません。


 本研究では、この矛盾の背景として、安全性を意識しすぎることが、動きの柔軟性の低さにつながっている可能性を示唆しました。安全な段差跨ぎ動作は、いつも同じ動きでは実現できません。常に不意の変化に対応できる姿勢をとる必要があります。日常的に同じ動きを繰り返すことは、結果的に我々の柔軟性を低下させる一因となるかもしれません。


 本研究の成果は、柔軟性低下から脱却するリハビリテーション方法の開発につながることが期待されます。




用語解説


(1)UCM解析

Uncontrolled manifold 解析の略。UCM解析は、同じ動作を複数回実行した際に見られる関節間の連動性を定量的に評価する手法です。ある動作の目的(タスク変数。例えば、障害物を跨ぐときのつま先の高さ)とその動作を制御する要素(要素変数。例えば、全身の関節角度)を設定し、試行間の要素変数のばらつきに着目することで、要素間で互いの変動を代償する動きを捉えることができます(4.研究の詳細、図3を参照)。


(2)シナジーインデックス

UCM解析から得られる関節間の連動性を示す値。具体的には、シナジーインデックス(ΔV)= (VUCM – VORT) / (VUCM + VORT)の計算式で算出される(図3参照)。値が高い場合、関節間の連動性が高いことを示す。

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