がんの進展を骨膜が止める
―がんの進行を抑える新規治療の開発に道―
発表のポイント
1.がん細胞が骨に近づくと、骨を包む「骨膜」の細胞が反応し、防御壁をつくることで物理
的にがんの骨への浸潤を抑えることを発見しました。
2.免疫系以外の細胞が持つ抗がん効果とその重要性を、世界で初めて明らかにしました。
3.がんの進行を抑える新たな治療・予防法の開発に貢献することが期待されます。
口腔がん近接部位の骨膜肥厚
(A) 口腔がん患者頭蓋骨の CT 所見, 赤四角;組織解析部位
(B) H&E 染色像
(C) 骨膜肥厚の定量評価 (口腔がん患者 8 名)
概要
東京大学大学院医学系研究科 骨免疫学寄付講座の塚崎 雅之 特任准教授と、免疫学講座の高柳 広 教授らによる研究グループは、がん細胞の骨への近接に対し骨膜(注 1)の細胞がプロテアーゼ阻害因子 Timp1(注 2)を産生することでコラーゲンの防御壁を形成し、物理的に腫瘍の骨への浸潤を阻害することを見出し、非免疫系の細胞による全く新しい抗がん機構とその重要性を世界で初めて明らかにしました。
この研究成果は今後、がんの進行を抑える新しい治療戦略の開発につながることが期待されます。
発表内容
がんが致命的であるのは浸潤・転移するためであり、がんの進行を抑える戦略の確立が医療現場で望まれています。頭頸部がん(注 3)は、世界で 6 番目に罹患率の高い悪性腫瘍であり、年間 89 万人が新たに罹患し、45 万人が命を落としています。頭頸部には咀嚼、嚥下、呼吸といった生命活動に必須の機能と、顔貌、表情、発声といった社会活動に重要な機能が集中しており、頭頸部がんはこれらを脅かすことで、患者の生命予後と QOL を著しく悪化させます。
頭頸部がんのうち、90%以上が扁平上皮がんであり、発生部位として最も多いのが口腔粘膜です。口腔粘膜は直下に骨組織(顎骨)が存在するユニークな粘膜バリア部位であり、口腔がんは骨浸潤(注 4)を起こすことで患者の生命予後と QOL を顕著に悪化させます。しかしながら、口腔がん骨浸潤の分子メカニズムに関しては不明な点が多く、病態理解と有効な制御法の確立が急務となっています。
数多くの研究がなされてきた血行性がん骨転移(注 5)と異なり、骨浸潤では腫瘍が骨膜を越えて骨内部へと侵入する必要があります。骨膜が介在するという点において、骨転移と骨浸潤では腫瘍の進展プロセスや腫瘍に対する生体応答が大きく異なると考えられますが、がん骨浸潤における骨膜の機能に関してはこれまで報告がありませんでした。
東京大学大学院医学系研究科 骨免疫学寄付講座の塚崎 雅之 特任准教授と、免疫学講座の高柳 広 教授らによる研究グループは、骨膜の機能に着目した研究を推進し、これまでに骨の成長における骨膜の重要性を明らかにしてきました (Tsukasaki et al., Nature Communications2022, 関連情報:プレスリリース①)。
このような背景から、病的な状況下においても骨膜が重要な役割を持つのではないかと考え、口腔がん骨浸潤における骨膜の機能に着目し本研究プロジェクトを開始しました。歯科や整形外科の臨床現場では、炎症により骨膜が肥厚し新生骨形成を起こす「骨膜反応(注 6)」という現象がよく知られており、放射線画像所見として骨髄炎や骨肉腫の際の診断にも使用されています。骨への侵害刺激により骨膜が肥厚するという現象は、1739 年にフランスの科学者 Duhamel によりはじめて記述されましたが、骨膜反応は単なる炎症の副次的効果と考えられており、その生物学的意義やメカニズムに関しては 280 年以上ものあいだ不明でした。
研究グループは、東京大学大学院医学系研究科 外科学専攻 感覚・運動機能医学講座 口腔顎顔面外科学 星 和人 教授と、中村 和貴 大学院生と共同で、東京大学医学部附属病院で手術を受けた口腔がん患者の検体を詳細に解析し、腫瘍が骨に近接した浸潤前組織では、骨膜の厚みが 3〜4 倍に増加することを見出しました(図 1)。
図 1:口腔がん近接部位の骨膜肥厚
(A) 口腔がん患者頭蓋骨の CT 所見, 赤四角;組織解析部位
(B) H&E 染色像
(C) 骨膜肥厚の定量評価 (口腔がん患者 8 名)
腫瘍近接に伴う骨膜肥厚の生物学的意義およびメカニズムを解明するため、口腔がん骨浸潤の新規マウスモデルを開発し、1 細胞解像度でマウス口腔がん病変を解析したところ、コントロールと比較して腫瘍が近接した骨組織では骨膜細胞(注 7)が増加しており、遺伝子発現パターンも大きく変化することが明らかとなりました。腫瘍の近接に伴い、骨膜細胞で最も顕著に発現が上昇した遺伝子としてプロテアーゼ阻害因子である Timp1 を同定し、Timp1 遺伝子を欠損したマウスでは腫瘍の近接に伴う骨膜肥厚が完全に阻害され、骨浸潤が著名に進行し、野生型マウスよりも早期に死亡することを見出しました(図 2)。
図 2:Timp1 欠損マウスでは骨膜肥厚がおこらず、がん骨浸潤が増悪する
(A) がん細胞移植後の生存曲線
(B) 骨膜の組織像 T; tumor (pan-keratin 抗体で茶染),P; periosteum(骨膜),
B; bone (骨)
(C)がん移植後の頭蓋骨 CT 像
以上より、骨膜細胞は腫瘍近接に応じて Timp1 を放出することで腫瘍微小環境のプロテアーゼを阻害し、コラーゲンを中心とした細胞外基質の蓄積を促すことで骨膜を肥厚させ、物理的に腫瘍進展を抑制するというユニークな現象が明らかとなり、280 年以上ものあいだ謎に包まれていた「骨膜反応」の生物学的意義のひとつが、腫瘍に対する防御応答であった可能性が示唆されました。
免疫系による抗腫瘍効果の研究は免疫チェックポイント阻害薬(注 8)の臨床応用をもたらし、患者の生命予後の改善に大きく貢献しています。しかしながら、免疫系以外の細胞が持つ抗腫瘍効果に関してはこれまでほとんど不明でした。
本研究により、非免疫系の細胞による抗腫瘍効果の重要性が世界で初めて生体レベルで証明され、ストロマ細胞(注 9)による全く新しい抗腫瘍機構「stromal defense against cancer: SDAC」という概念が創出されました。外科的手術や薬物、放射線でがんを治療した場合でも、残存または再発したがん細胞が組織に浸潤するのを予防する手段があれば、がんの治療成績は格段に向上し、患者の生命予後と QOL の改善につながると考えられます。
本研究成果は、非免疫系細胞を標的とした腫瘍制御という革新的なコンセプトに基づく新しい抗がん治療の開発に貢献することで、医療現場に破壊的なイノベーションをもたらす可能性が期待されます。
関連情報
「プレスリリース①骨膜の幹細胞が骨を伸ばす」(2022/7/20)
用語解説
(注 1)骨膜:骨の外周を包む細胞成分に富んだ膜状組織であり、骨形成能を有する骨膜細
胞やその前駆・幹細胞、免疫細胞などの細胞成分と、I 型コラーゲンなどの細胞外
基質を含む。
(注 2)Timp1:Tissue inhibitor of metalloproteinase-1 の略で、タンパク分解酵素で
あるマトリックスメタロプロテアーゼの活性を阻害する機能を持つ分泌因子。
(注 3)頭頸部がん:頭から首までの範囲に発生するがんのことを指し、最も頻度が高いの
が舌、歯肉、口底などの口腔粘膜から発症する口腔がんであり、他にも下咽頭が
ん、喉頭がん、中咽頭がん、唾液腺がんなどが含まれる。
(注 4)骨浸潤:がんが骨膜を超えて直接的に骨組織に浸潤することを指す。骨浸潤をきた
すがんとしては口腔がんが最も多く、骨肉腫や骨の周囲で発生する肉腫も骨浸潤を
起こす。口腔がんが骨浸潤を起こすと患者の生命予後は顕著に悪化する。手術が可
能なケースであっても顎骨切除と再建が必要となり、患者の QOL 低下は著しい。
(注 5)骨転移:がんが血流に乗って骨組織に侵入することを指す。乳がんや前立腺がんな
どで認められる。
(注 6)骨膜反応: 炎症、腫瘍、外傷などの侵害刺激に応じて、骨膜が肥厚し新生骨形成を
生じる現象。
(注 7)骨膜細胞:骨膜に存在し、カテプシン K やペリオスチン、および骨形成に関わる
遺伝子群を発現する間葉系の細胞集団。
(注 8)免疫チェックポイント阻害薬:免疫細胞のブレーキを解除することで免疫細胞の活
性を高め、がん細胞の排除を促す薬剤。
(注 9)ストロマ細胞:臓器を構成する足場として働く細胞であり、線維芽細胞、内皮細
胞、上皮細胞など様々な臓器に共通して存在する細胞だけでなく、骨膜細胞、骨芽
細胞、骨髄ストロマ細胞など臓器特異的な細胞も含む総称。
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