不育症(習慣流産)の発症に関わる遺伝子の発見
―生殖免疫学と細胞接着分子の関与が明らかに―
発表のポイント
1.原因不明の不育症(習慣流産)のゲノムワイド関連解析を実施し、発症に関わる遺伝子領域
(HLA 遺伝子、CDH11 遺伝子)を同定しました。
2.不育症の発症に遺伝的背景が存在し、免疫学的妊娠維持機構及び細胞接着分子が関わるこ
とを初めて明らかにしました。
3.不育症の病態機序の解明に貢献し、将来的には新しい診断法や治療法の開発に繋がること
が期待されます。
不育症のゲノムワイド関連解析
概要
東京大学大学院医学系研究科遺伝情報学の曽根原究人助教(大阪大学大学院医学系研究科 遺伝統計学 招へい教員)、岡田随象教授(大阪大学大学院医学系研究科 遺伝統計学 教授、理化学研究所生命医科学研究センターチームリーダー)と、名古屋市立大学大学院医学研究科産科婦人科学の矢野好隆病院助教、杉浦真弓教授らによる研究グループは、臨床的に原因が指摘できない不育症のゲノムワイド関連解析(注 1)を行い、主要組織適合遺伝子複合体(MHC)領域(注 2)内のヒト白血球抗原(HLA)遺伝子(注 3)の遺伝子多型(注 4)がその発症に関与することを明らかにしました。また、ゲノム上の大規模なコピー数変異(CNV)(注 5)を解析することで、細胞接着分子であるカドヘリン 11(CDH11)遺伝子が発症に関与することを明らかにしました。
本研究は不育症に関する過去最大規模のヒトゲノム解析を通じて、その原因不明の病態に生殖免疫学と細胞接着分子が関与することを示したものです。本研究は不育症の詳細な病態機序の解明に繋がり、将来的には同疾患の新しい診断法や治療法の開発に繋がることが期待されます。
研究の背景
不育症は「流産あるいは死産が 2 回以上ある状態」と定義され、日本国内では妊娠を望むカップルの 5%が不育症に罹患しています。主な原因として抗リン脂質抗体症候群、子宮奇形、夫婦の染色体転座が知られる一方で、これらの原因が特定できる症例は全体のおよそ半数に留まり、残りの半数は原因不明となっています。原因が不明なことは不育症の治療を進める上で障壁となるばかりでなく、罹患カップルの心理的負担にも繋がり、その背景メカニズムの解明は生殖医療における重要な課題となっています。その重要性から、不育症の原因遺伝子を解明する試みは過去にもなされてきましたが、多くの先行研究では研究参加者が少人数(200 人未満)に留まる上、罹患者の定義が統一されておらず、一貫性のある結果が得られない状況が続いていました。
研究の内容
今回、研究グループは、名古屋市立大学病院に通院する原因が指摘できない不育症女性患者1,728 名から得られたゲノムデータと、バイオバンク・ジャパン(注 6)が保有する 24,315 名の対照群女性から得られたゲノムデータを用いて、ゲノムワイド関連解析を実施し、不育症の発症と関連する遺伝子多型(rs9263738)を MHC 領域内に同定しました。さらに MHC 領域内の詳細な疾患感受性遺伝子の解析(ファインマッピング)を実施したところ、HLA-C*12:02、HLAB*52:01、HLA-DRB1*15:02 の複数の HLA アレルから構成される、MHC 領域内の広範囲にわたって連鎖した HLA ハプロタイプ(注 7)が不育症の発症に予防的な効果を示すことが分かりました(図 1)。
図 1:不育症の MHC 領域ファインマッピング
また、研究グループは同じゲノムデータに基づき、ゲノム上に存在する大規模な CNV の検出を行いました。特に遺伝子機能を欠損させる CNV に着目した解析を実施し、不育症患者では、細胞接着分子であるカドヘリン 11(CDH11)遺伝子の機能を欠損させる CNV が多く見られることを突き止めました(図 2)。
図 2: 不育症患者で見られた
CDH11 遺伝子領域のコピー数変異
今後の展望
今回の研究では、不育症に関する過去の遺伝学研究では類を見ない規模の解析を行うことで、HLA 遺伝子がその発症に関わることを解明しました。妊娠は母体と胎児という別個体が共存する免疫学的に特異な状態であることから、自己と非自己の識別において中心的な役割を果たすHLA 分子の妊娠維持機構における重要性はこれまでも議論されてきましたが、本研究は大規模ヒトゲノム解析の面からそれを実証しました。不育症の病態における生殖免疫学の重要性に論拠を与え、その病態の理解が大きく進むことが期待されます。また、CNV 解析により同定された CDH11 は栄養膜を子宮内膜に固定する役割を果たす分子であり、原因不明の不育症の病態の理解を進展させることが期待されます。
用語解説
(注1) ゲノムワイド関連解析(genome-wide association study: GWAS)
遺伝子多型と形質(疾患の有無などを含む、個々人の性質や特徴)との関連を、ゲノム全域にわたって網羅的に探索する解析。現在の一般的な GWAS では、ゲノム全域で数百~数千万に及ぶ遺伝子多型が解析に用いられる。
(注2) 主要組織適合遺伝子複合体(major histocompatibility complex: MHC)領域
ヒトの 6 番染色体短腕に位置する、HLA 遺伝子群が多数含まれるゲノム領域。ヒトゲノム中でも特に遺伝子配列の構成が複雑な領域であり、解析に際してはゲノム上のその他の遺伝子多型と比べて特別な取り扱いを要する。
(注3) ヒト白血球抗原(human leukocyte antigen: HLA)遺伝子
ヒトの白血球における血液型を規定することで生体内における自己と非自己の識別に関与し、免疫反応において重要な役割を果たす遺伝子群。HLA 遺伝子型の個人差は免疫反応の個人差に強く影響を及ぼし、自己免疫疾患やがんを始めとした多くの疾患の発症リスクに関わることが知られている。
(注4) 遺伝子多型
ゲノムを構成する DNA の塩基配列のうち、個体間で異なる部位。
(注5) コピー数変異
染色体上のある 1kb 以上の領域について、通常両親それぞれから受け継いだ 2 コピーを有するところ、遺伝子重複や欠失によって 1 コピー以下または 3 コピー以上を有している状態。
(注6) バイオバンク・ジャパン
日本人 27 万人を対象とした生体試料バイオバンクで、東京大学医科学研究所内に設置されている。ゲノム DNA や血清サンプルを臨床情報とともに収集・管理しており、研究者へのデータの公開や分譲を行っている。
(注7) ハプロタイプ
二倍体生物であるヒトは、両親それぞれから 1 セットずつ常染色体を受け継ぐ。この際、片親から受け継いだ染色体上に存在する遺伝子のセットをハプロタイプと呼ぶ。
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