top of page

「世界初、がんの進行を捉える空間オミクス技術の開発に成功」-No.352




世界初、がんの進行を捉える空間オミクス技術の開発に成功

がんの個別化医療に不可欠な治療介入点の決定に大きく前進




研究のポイント


  1. 世界最高となる組織内のタンパク質 206 種の同時検出を達成

  2. 1個人の検体から、がんの進展に伴う転移性がんへの変化を捉えることに成功

  3. 変化を司る分子を決定し治療介入点を個人レベルで行うことが期待できる




概要


 がんや各種疾患における治療戦略は、治療効果を最大化するため個別化医療が進められています。しかしながら従来の個別化医療は大規模な統計解析に基づく診断マーカーの取得と治療実績が必要であり、新規症例、未知の感染、希少疾患や実績のない疾患には対応することができませんでした。本課題の達成には、組織内で異常が生じた細胞およびその環境、また原因となる分子の検出を必要としますが、これまでの解析手法では組織内で生じるシグナル伝達の活性化と細胞状態の関係性を精緻に解析する解像度を得ることができませんでした。


九州大学生体防御医学研究所の大川恭行 教授、富松航佑 助教、大学院生藤井健らは、同大学システム情報科学府、東京大学、東京工業大学、がん研究会のグループらとともに、免疫染色したシグナルを消光可能な抗体 Precise Emission Canceling Antibody (PECAb)を新たに開発し、対象組織の染色と消光を連続的に繰り返すことで、細胞の位置情報を保持したままシグナル伝達分子を含む最大 206 種類のタンパク質発現情報を取得する空間オミクスの系を確立しました。


本技術から取得されるデータを用いて細胞状態の変化を擬似的に再構築することで、多様なシグナル伝達の活性化ダイナミクスを推定することが世界で初めて可能になりました。

さらに、本技術をがん組織の解析に用いることで、がん細胞が転移性の表現型に向かう中間状態とその原因となるシグナル伝達を個人の患者検体から検出することができました。


この結果は、将来個別化医療おける治療標的の探索に応用されることが期待されます。






研究成果の概要


 染色後に消光可能な抗体 ‘PECAb’を作製し、最大 206 種類の免疫染色を可能にした。


取得されるデータから細胞状態をプロファイルし、細胞状態変化の擬似時間を捉えることで状態変化のダイナミクスを解析可能な空間オミクス手法を開発した。




研究の背景と経緯


 生体を構成する細胞は、その役割によって特徴的な性質や組織内における数が制御されています。これらの制御は細胞を取り巻く周囲の環境からのシグナル伝達により精緻に調節されます。一方でこれらの制御破綻はがんをはじめとした様々な疾患の原因となるため、細胞状態とそれを取り巻く環境の変化を同時に解析することが生体システムの理解には必要となります。近年「空間オミクス(※1)」と呼ばれる技術が誕生し、組織を構成する細胞型の決定と空間配置、またその遺伝子発現をプロファイルすることで組織内における細胞状態と分布を捉えることが可能になりました。しかしながら細胞状態が変化する原因を解明するためには、細胞状態に加えてシグナル伝達活性化の網羅的な計測が必要です。




研究の内容と成果


 本研究グループは細胞の位置情報と状態、活性化シグナル伝達分子を網羅的に検出するための新たな空間オミクス手法の系を確立しました。標的のタンパク質に特異的に反応する抗体を用いて、組織におけるタンパク質の分布を解析する免疫染色(※2)という手法を基盤に、染色と消光を繰り返すことで網羅的なタンパク質情報の取得を試みました。まず標的タンパク質を高精度に検出し、その検出シグナルを消光可能な抗体 Precise Emission Canceling Antibody “PECAb”を開発しました。PECAbは活性化シグナル伝達分子の検出はもとより、数μm スケールの核内構造体のような微小な構造を検出し、その染色シグナルは還元剤により速やかに消光されることを示しました。次に細胞老化誘導の系を用いて PECAb による細胞の連続染色を行なった結果、シグナル伝達分子を含む 206 種類のタンパク質の染色を達成しました。このデータを用いて細胞状態を 1 細胞解析したところ、細胞の老化状態を明確に判別し、さらに擬似時間を構築することで細胞老化に伴うシグナル伝達のダイナミクスが可視化されました。すなわち、本手法は細胞状態変化に伴うシグナルの動的な活性化情報が得られる唯一の空間オミクス手法と言えます。

さらに本空間オミクス手法は、サンプルの空間情報を維持して細胞の遺伝子発現を網羅的に取得する空間トランスクリプトーム法「SeqFISH」と組み合わせることで、シグナル伝達から遺伝子発現までを体系的に解析する空間マルチオミクスデータの取得を達成しました。本解析手法を用いてがん組織(子宮体がん肉腫)を解析した結果、上皮から間葉系の細胞に転換するシグナルが活性化した中間状態の細胞が組織の局所に存在することを検出し、組織を用いた細胞状態の解析にも有用であることを示しました(図1)。


図1. 空間マルチオミクスによる組織中の細胞状態プロファイリング.

子宮体がん組織の HE 染色像(左)

1細胞トランスクリプトーム情報を用いて、組織に含まれる細胞を状態で分類(中央左)

分類した細胞の空間マップ(中央右)

分類した細胞のシグナル伝達活性化状態(右) を示した。




今後の展開


 本研究で開発した PECAb を用いた空間オミクス手法は、細胞状態と空間配置を精緻に捉え、擬似時間解析により特定の細胞状態の将来推定を可能にしました。


将来的には本技術を疾患組織の解析に応用することで、がんの悪性化や各種疾患につながる特異的な細胞環境やシグナル伝達メカニズムを解明し、新たな疾患の治療戦略確立につながることが期待されます。




用語解説


(※1) 空間オミクス

組織を構成する細胞の空間情報を維持したままタンパク質や遺伝子発現を網羅的に計測する手法。


(※2) 免疫染色

抗原特異的な抗体を用いて組織に発現する特定のタンパク質を染色する手法。

bottom of page