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「免疫細胞の抗腫瘍効果を強化する仕組み」-No.425




免疫細胞の抗腫瘍効果を強化する仕組みを発見




 かずさ DNA 研究所は岡山大学と共同で、免疫細胞の脂質代謝を調整することで、がんの増殖を抑える機能が強化される仕組みを明らかにしました。

 

 この数年の薬や治療法の大きな進歩により、がんは治る疾患になってきましたが、依然として日本人の 3 - 4 人に 1 人はがんで亡くなることも知られています。通常、外科的な切除や抗がん剤治療、および放射線治療などが適用されますが、新たに免疫チェックポイント阻害薬*1 や分子標的薬*2 を組み合わせた治療が取り組まれています。しかし、これらの治療法には、特定の腫瘍にしか効果がないなどの限界があります。


 最近の研究で、免疫細胞の一種である Th9 細胞*3 がマウスの腫瘍に対して強い抗がん作用を持つことが明らかになりましたが、その詳細な働きについてはまだ十分に解明されていませんでした。

そこで本研究では、Th9 細胞の機能制御メカニズムを解明し、がん治療への応用を目指しました。その結果、Th9 細胞が作り出す脂肪酸の合成を阻害することで、がん抑制効果が向上することを発見しました。また、脂肪酸合成を阻害した Th9 細胞と免疫チェックポイント阻害薬を併用すると、がんがほぼ完全に消失することも確認されました。


この研究成果は、悪性黒色腫に対する新たな治療法の可能性を示しており、代謝をターゲットにした新しいがん免疫細胞療法の実現が期待されます。




背景


 悪性黒色腫というほくろに似たがんは 2020 年に世界の約 32 万人が発症し、死亡者数は約 5 万 7000 人と非常に悪性度が高いことが知られています。がんに対しては切除するなどの外科的治療が有効ですが、がんの周辺や他の臓器に目には見えないほどの小さな転移が発生することが多いため、免疫チェックポイント阻害薬や分子標的薬などの治療や放射線治療などを組み合わせた治療が行われます。

一方で分子標的薬も万能ではなく、特定の遺伝子変異がある腫瘍にしか効果がなかったり、悪性黒色腫には放射線治療が効きにくいなど外科的治療以外の治療法や転移が生じた場合の治療法は限られています。

近年では海外の研究グループから、免疫細胞の一種であるヘルパー9 型 T(Th9)細胞と呼ばれる細胞をマウスに移入したところ、腫瘍に対して強い効果を示したという複数の報告がありました。しかし Th9 細胞の機能がどのように制御されているか?その詳細な制御メカニズムには、不明な部分が多くあります。

我々のグループではこれまで免疫細胞の脂質代謝による機能制御*4 の研究を行ってきました。その成果を生かし、本研究では Th9 細胞の機能制御のメカニズム解明とがん治療への応用を目指して研究を行いました。




研究成果の概要


 本研究では、脂肪酸を合成するのに必要な酵素アセチル CoA カルボキシラーゼ 1(ACC1)を阻害する薬剤を投与した Th9 細胞やこの ACC1 の遺伝子を欠損させたTh9 細胞が、IL-9 と呼ばれるサイトカインを大量に産生することを発見しました。

 

次に我々は、IL-9 を大量に産生する Th9 細胞を、悪性黒色腫を持つマウスに移入することで実際にがんを抑制・排除することができるかを評価しました。その結果、通常の Th9 細胞を移入した場合に比べがんの増殖を抑制できることがわかりました。また、免疫チェックポイント阻害薬と組み合わせることでほとんど完全にがんが消失することを発見しました(図 1)。




 さらに、脂肪酸合成が阻害されたことで生じる影響を、次世代シーケンサー*5 を用いた網羅的な遺伝子解析(RNA-seq)、質量分析計*6 を用いたリピドーム解析を用いて評価しました。その結果、パルミチン酸やオレイン酸などの脂肪酸が、核内受容体*7 であるレチノイン酸受容体の働きを制御することで Th9 細胞をコントロールすることを世界で初めて明らかにしました。また、免疫チェックポイント阻害薬を使用しているがん患者のうち、Th9 細胞に関連した遺伝子発現が高い群では、低い群に比べがんの病状が進行しない期間や生存期間が長いことがわかりました(図 2)。





本研究で明らかになったこと


① Th9 細胞が合成する脂肪酸の一種、オレイン酸やパルミチン酸はレチノイン酸受容体を

  介して細胞の働きを調整する


② Th9 細胞の脂肪酸合成を阻害すると免疫細胞から分泌されるサイトカイン*8 と呼ばれる

タンパク質の一種であるインターロイキン 9(IL-9)の産生が増加する


③ 脂肪酸合成を阻害した Th9 細胞を悪性黒色腫モデルマウスに移入するとがんの増殖を効

率的に抑制できる


④ 脂肪酸合成を阻害した Th9 細胞の移入と免疫チェックポイント阻害薬を組み合わせる

と、がんがほとんど完全に消失する





将来の波及効果


 本研究によって脂肪酸による Th9 細胞の機能制御メカニズムが明らかになり、脂肪酸代謝を標的とした免疫細胞療法ががん治療に有効である可能性が示唆されました。現在免疫細胞の移入によるがん治療として、CAR-T 細胞療法*9 が白血病やリンパ腫などのがんに行なわれていますが、悪性黒色腫などの固形腫瘍に対してはまだ実用化されていません。


 今後は本研究成果を応用することで、代謝を観点とした新たながん免疫細胞療法の実用化につながることが期待されます。




用語解説

 

*1 免疫チェックポイント阻害薬

がん治療における免疫療法の一つで、免疫系ががん細胞を認識し攻撃するのを助ける薬剤です。がん細胞はしばしば免疫系の監視から逃れるために「チェックポイント」分子を利用して、免疫細胞である T 細胞の働きを抑制します。免疫チェックポイント阻害薬は、これらのチェックポイント分子の働きをブロックすることで、T 細胞のがん細胞に対する攻撃能力を高めます。2016 年には京都大学の本庶佑教授が免疫チェックポイント分子の発見とがん免疫療法の発展に貢献したことでノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

 

*2 分子標的薬

がん細胞や病気の進行に関与する特定の分子を標的にする治療法です。従来の化学療法や放射線療法とは異なり、分子標的薬はがん細胞の特定の分子変異や異常を狙い撃ちすることで、より精密に治療を行います。

 

*3 ヘルパー9 型 T(Th9)細胞

T 細胞と呼ばれるリンパ球の一種で、主にインターロイキン 9(IL-9)とよばれるサイトカイン(注 5)を産生することから命名されました。Th9 細胞は気管支喘息などのアレルギー疾患や関節リウマチなどの自己免疫疾患の原因の一つであると考えられています。一方でがん免疫応答を促進し、がんの抑制に働くことも知られています。

 

*4 T 細胞の脂質代謝による機能制御

T 細胞は状況や環境に応じて様々な細胞に分化し、感染症や寄生虫から身体を守ったり、がんを攻撃したり、過剰な免疫反応を抑制して自己免疫疾患にならないようにしています。我々の研究室では様々な T 細胞が分化する際に脂質代謝が機能制御のスイッチとなることを明らかにしました。詳しくはオミックス医科学研究室の HP をご覧ください。

 

*5 次世代シーケンサー

この十数年の間に急速に広まった生物の設計図となる遺伝子配列を高速で読み出す装置。遺伝子配列を読み出す能力が従来の装置よりも桁違いに多いため、解析に要する時間やコストを大幅に短縮することができます。

 

*6 質量分析器

タンパク質を構成する分子の重さの違いにより、試料中に存在するタンパク質の定性・定量的な解析を行う装置です。

 

*7 核内受容体

核内受容体とは細胞内タンパク質の一種であり、ホルモンなどが結合することで細胞核内での DNA 転写を調節する受容体です。発生、恒常性、代謝など、生命維持の根幹に係わる遺伝子の発現制御に関与しています。

 

*8 サイトカイン

免疫系の細胞が分泌する小さなタンパク質で、免疫応答・炎症反応の調節や細胞の成長や分化を誘導するシグナル伝達物質です。

 

*9 CAR-T 細胞療法

CAR-T 細胞療法(Chimeric Antigen Receptor T-cell Therapy)は、がん治療の一つで、患者自身のT細胞を改変してがん細胞を特異的に攻撃する方法です。

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