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「動作中に手で触れる物の感覚を感じにくいのはなぜか?の仕組み」-No.329




動作中に手で触れる物の感覚を感じにくいのはなぜか?の仕組みを解明




 国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター(NCNP)神経研究所 モデル動物開発研究部の関和彦部長、窪田慎治室長らの共同研究グループは、動いている最中に手足の感覚が感じにくくなる、脳の仕組みを明らかにしました。


我々は動く時、常に外界からの刺激を受けています。例えば、テーブルの上にあるコーヒーを手に取り、口元に運ぶ際、視覚を介してコーヒーカップが近づくことを認識し、嗅覚を介してその香りを感じることができます。一方、皮膚などを介した触覚に関しては、動作中に抑制され、気がつきにくくなっていることが心理学的に知られていました。実際、コーヒーカップを口元に近づける場合、着ているシャツと腕との間には動きに応じて摩擦力が加わり、皮膚は常に刺激されます。この時、摩擦によって生じる感覚は特に注意しない限り、意識に上ることはありません。しかし、着ているシャツが何かに引っかかり、シャツと腕との間の摩擦力が変化した際には、すぐに違和感として気がつくことができます。このように、我々は、皮膚を介して感じ取る感覚情報が、常に一定ではなく、状況に応じて変化することを経験しています。

このような、運動時に皮膚への刺激を感じにくくなる仕組みは、「感覚ゲーティング」と呼ばれ、自己と他者の運動を区別する仕組みとして知られています。つまり、自分の動きによって生まれる皮膚感覚は抑制され、たとえばシャツが引っかかる例のように自己運動以外の要因で生まれる感覚は抑制されないという、抑制の度合いによって自他の運動を区別していると考えられてきました。しかし、このような感覚情報の調整が、脳の中で実際にどのように行われているかについては、不明でした。


研究グループは、脳の中でも最初に末梢感覚信号を受け取る部位である延髄(楔状束核)*に注目し、運動中のサルの脳からその神経活動を記録する手法を独自に開発しました。そして、運動中に皮膚からの入力信号が、楔状束核において抑制されることを世界で初めて明らかにしました。


今回の研究で、手の皮膚感覚の信号が、脳の中でもより高次な情報処理を行う大脳皮質に伝達され得る前にすでに調節されており、膨大な感覚情報の中から有用な情報のみ取り込まれていることが、サルを対象とした動物実験によって証明されました。つまり、感覚情報の脳への入り口で感覚情報の調整を行うことで、脳は必要な感覚、不要な感覚を選択して取り込み、それらを用いて巧みな身体運動の制御を実現していることがわかりました。


この結果は、感覚運動異常をきたす多くの精神・神経疾患の病態解明やリハビリテーションにおける新規技術開発などに貢献する事が期待されます。




研究の背景


 新しいタオルで手を拭くときなどに感じる“柔らかさ”や“滑らかな肌触り”は、手で触れることで初めて感じることができます。このような手を介して感じる触感は、我々の身体を覆っている皮膚に多数存在している、触覚・圧覚・冷温覚などの感覚細胞(受容器)がモノに触れることで活動し、脳にその情報が伝わることで実現しています。心理学の分野では、この皮膚から伝わる感覚信号は常に一定ではなく、運動よって変化することが知られていました。例えば、手を振る際に、自ら腕を動かす場合(自動運動)と、他人やロボットアームなどで他動的に腕が動かされる場合(他動運動)では、同じ関節の動きをする場合でもその動きの感じ方が異なります。実際、自動運動、他動運動それぞれの条件において、末梢神経を刺激して誘発される脳活動を調べてみると、自動運動時には誘発される脳活動が減少するのに対し、他動運動時にはそのような脳活動の変化は見られません。また、統合失調症の患者ではこの自動運動に伴う感覚の抑制が少ないことから、“自分がやっても他人がやっても同じように感じる”ような、自己と他者の区別ができなくなる精神症状などと関連していると考えられ、病態診断への応用を検討する研究例もあります。

このように、運動に伴い感覚信号が減弱する現象は、感覚ゲーティング*と呼ばれ、自分の動きと他動的な動きを区別するための脳の仕組みと考えられてきました。しかし、我々は運動時にこの感覚ゲーティングを普段経験している一方で、このような末梢の感覚の変化を引き起こす脳内の仕組みは解明されていませんでした。


図1 実験の概要




研究の概要


 研究グループでは、皮膚が刺激された際に生じる感覚信号が、必ず延髄にある楔状束核をとおって脳に伝わることに注目し、サルが手首を動かしている最中に、楔状束核の神経活動を記録することで、運動に伴う感覚信号の変化を引き起こす脳の仕組みを解明することを目指しました。楔状束核は脳の中で最も深い部位にあり、直径数ミリのとても小さい神経核です。研究グループは、MRI画像とCT画像を組み合わせて、電極位置をナビゲーションするシステムを新規に開発し、この脳深部の神経核から選択的に神経細胞活動を記録する方法を世界に先駆けて成功しました(図1)。

サルが手首を動かすと、運動によって皮膚などに存在する感覚センサーが刺激され、皮膚の伸張や圧の変化に応じた感覚信号が脳に伝えられます。この時、運動によって生成される感覚信号は、関節運動の速度や大きさにより変化します。したがって、脳が運動に応じて感覚信号を調整する仕組みを理解するためには、記録される神経活動の変化が、皮膚に加わる刺激自体が変化したものなのか、脳が感覚信号の調整を行った結果なのかを区別する必要があります。


本研究では、サルの前腕の皮膚を支配している末梢神経に電極を埋め込み、同じ強度の電気刺激を加えることでこの問題を解決し、皮膚感覚からの入力信号を受け取る楔状束核の神経活動を記録しました(図2)。


図2 実験の方法

左:前腕の皮膚感覚神経を電気刺激し、刺激に反応する延髄楔状束核細胞を記録した。

右:皮膚神経への電気刺激によって活動する楔状束核細胞。電気刺激により誘発される神経活動(感覚誘発電位)と、単一の神経細胞の活動を記録することに成功した。この神経細胞は、電気刺激直後に高頻度に活動することから、皮膚神経から入力を受ける感覚細胞であると判断できる(図中ヒストグラム)。

 


 次に、脳の中で、皮膚感覚が自身の運動と他動的な運動とで異なって処理されていることを明らかにするため、サルが自ら手首の屈曲伸展運動を行う場合と、実験者が他動的に手首を動かす場合の2条件で、楔状束核の神経活動を記録し、運動に伴う感覚信号の変化を測定しました(図3)。その結果、皮膚感覚は、その信号が脳に最初に到達する楔状束核ですでに、自動運動中に減弱していることがわかりました。つまり、自己の運動中には、感覚信号が脳に伝わった時点ですでに抑制されているということです。一方、このような運動中の感覚信号の減弱は他動運動中には、ほとんど見られませんでした。このことから、随意的な運動発現に関連する脳領域からの信号が、楔状束核での感覚抑制に関与していることが考えられました。


図3 覚醒行動下のサル延髄楔状束核の皮膚感覚刺激に対する反応を記録

前腕の皮膚感覚神経を電気刺激し、刺激によって誘発される延髄楔状束核の神経活動を記録。サルが手首を(1)安静、(2)手首運動、(3)力維持している際に、皮膚感覚神経を刺激し、誘発される神経活動の大きさ(感覚誘発電位)を測定。サルが自ら手を動かしている時(自動運動)には、安静時に比べ感覚誘発電位が小さくなる(青色部分)。一方、サルの手を実験者が他動的に動かす時(他動運動)には、誘発される神経活動の大きさに変化は見られない。



 さらに、このような感覚抑制を引き起こす入力源を明らかにするために、楔状束核で記録された個々の神経細胞の皮膚感覚入力に対する応答の変化とその時間経過を自動運動時と他動運動時で詳しく解析しました(図4)。すると、自動運動時には感覚入力応答が、運動開始前のおおよそ400ミリ秒前からすでに低下していることがわかりました。これは、皮膚感覚が、運動するかなり前の時点で抑制されていることを示す結果です。一方、自動運動時に皮膚感覚からの入力応答が減弱する神経細胞のうち、約3割の細胞は他動運動時にも運動時に減弱を認めました。しかし、その減弱は運動開始後から見られ、自動運動時と比べて明らかに異なっていました。運動開始前は運動に関連する脳領域が主に活動し、運動開始後は脳の活動に加え皮膚や筋の感覚受容器も活動します。つまり、今回観察された自動運動の感覚抑制の時間変化は、筋活動を作り出すと同等の、脳からの運動指令によって引き起こされたということです。


以上の結果から、感覚抑制の調整が脳内の運動指令中枢によって制御されていることを示すことができました。これは、運動時に皮膚感覚を抑制する脳領域として、楔状束核が関与していることを示した世界で初めて明らかにした結果です。


図4 自身の運動と他人による運動との識別

上:皮膚感覚神経への刺激に反応する楔状束核の神経細胞を同定後、運動に伴う活動応答を測定。

この時、神経細胞が刺激に応答する割合を測定することで、感覚入力に対する反応性を確認することができる。感覚入力信号の伝達が抑制されている場合、刺激に対して神経細胞は活動しないため、応答反応の程度は全体的に低下します(運動・保持における反応の低下)。


下:サルが自ら手を動かす場合と、他動的に手が動かされる場合で、細胞の活動応答の変化を確認したところ、サルが自ら手を動かす場合には、運動時に活動が抑制される神経細胞は、他動運動時には運動開始時に抑制されるのに対し、自動運動時では、運動が開始する約400ms前から抑制が生じる。自ら動く場合には、運動を行う前から感覚信号を抑制することで、運動の準備状態を作っていると考えられる。また、このよう感覚抑制が起こるタイミングの違いは自動運動と他動運動の区別に関わっていると考えられる。




今後の展望


 本研究によって、皮膚など末梢感覚センサーからの感覚信号は、感覚信号の入力部(延髄楔状束核)において、運動開始前から予測的に調整されており、この調整は脳が事前に感覚信号に対するシグナルを出すことで行われていることが明らかとなりました。

このことにより、高次脳領域では感覚情報処理にかかる負担が軽減され、“柔らかさ”や“なめらかさ”などより複雑な触感覚の認識を可能にしていると考えられます。


また、このメカニズムは、健康な動物の感覚情報処理様式を示すとともに、様々な疾患による感覚運動異常を共通して説明しうるものといえます。特に、自動運動時と他動運動時とで感覚入力信号に対する調整様式の違いは、自己と他者の運動区別に関わっていること考えられます。今後は、統合失調症などにおける自他混同などの病態の背景として、楔状束核の機能異常に着目した新たな治療法の開発が期待されます。




用語解説


感覚ゲーティング:

皮膚などに与えられた刺激が運動や予測状態などの状況に応じて抑制され、同じ強さの刺激でもより小さく知覚される現象。


延髄楔状束核:

上肢の皮膚や筋肉に存在する感覚受容器からの入力信号が、脳の中で最初に伝わる部位。

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