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「心拍数を意図的にコントロールする神経メカニズム」-No.386




心拍数を意図的にコントロールする神経メカニズム

ヨガのしくみにも迫る新たな脳内機構の解明




発表のポイント


1.自由行動中のラットを用いて、心拍フィードバックの実験系を構築し、5 日間の徐脈訓練

 を行ったところで、心拍数は約 50%減少し、この効果は訓練後 2 週間持続しました。


2.この訓練により、ラットの不安は軽減し、また血中の赤血球が増えました。


3.心拍制御には、前帯状皮質から視床腹内側核を経由して、視床下部、脳幹への神経伝達が

 関わることを示しました。




概要


 東京大学大学院薬学系研究科の吉本愛梨大学院生、池谷裕二教授らの研究グループは、バイオフィードバック訓練を積むことで自分の心拍数を下げられるようになることを実証し、脳から心臓に司令が送られるしくみを解明しました。


バイオフィードバック訓練とは、本来不随意性である生理機能を当人に認識させることで、随意的に制御できるように導く訓練です。同研究グループでは、ラットに心拍バイオフィードバックを施す新しい実験系を設計して検討を行ったところ、30 分以内に心拍数を減少させることを学習し、5 日後には約 50%の心拍減少を達成しました。この低心拍状態は、そのまま少なくとも 2 週間は維持され、この間、ラットは不安行動が減少し、また血液循環機能の低下を代償するように赤血球が増えました。

バイオフィードバック訓練中は、視床腹内側核(注 1)へ投射する前帯状皮質(注 2)は約 7Hzの神経振動を示しました。この神経活動が視床下部から迷走神経核(注 3)へと送られることで心拍数が調節されることがわかりました。




研究の背景と経緯


 自律神経系は不随意運動を制御し、内臓や血管など、個人の意思とは独立に働く器官を支配しています。すなわち、自律神経系の支配を強く受ける心拍、血圧、体温、筋緊張といった生理活動およびその変化を、自身が感じ取ったり、意志で制御したりすることは通常不可能です。しかし近年、心電図や脳波などの生体信号を測定し、その変動を被験者自身が認識できるよう呈示することにより、不随意性の生理活動を意識的に制御することが可能であることが分かってきました。この技術は「バイオフィードバック」と呼ばれています。バイオフィードバックは多くの分野で応用され、病態の治療や健康増進の面で有用であるとされています。心拍については、訓練を重ねることで目標の心拍数まで下げることが可能です。この技術を「心拍フィードバック」と呼びます。心拍は様々な心身状態とも関連するため、心拍フィードバックは循環器機能の改善はもちろん、疼痛や精神状態の改善や心身症の防止につながることが知られています。しかし、脳内でどのような変化が起こって心身相関が達成されるのかが解明されておらず、神経基盤の理解のためには動物モデルが必要でした。しかしながら、言語を用いない動物に自己統制感を獲得させることは難しく、覚醒下の実験動物を用いた実験系は確立していませんでした。




研究方法と発見の内容


 本研究グループは、自由行動中のラット用いて心拍フィードバックの実験系を初めて構築し、心拍フィードバックを可能とするメカニズムの解明に挑戦しました。

 

(1) 自由行動下ラットにおける心拍フィードバック系を確立した


 心拍数を下げるためのフィードバック訓練の具体的なパラダイムは下記の 5 ステップからなります。


(I) ラットの大胸筋に記録電極を留置し、さらに、左右のバレル皮質(ヒゲの感覚に対応して

 いる)と内側前脳束(報酬系の一部)に刺激電極を留置する(図 1A)。手術から十分回復させ

 た後、以降の訓練をおこなう。


(II) 自由行動下で心電図から心拍数を抽出し(図 1B)、目標心拍数を設定する(図 1C)。


(III) (II)で決めた目標心拍数に近づけば近づくほど、高頻度の電気刺激を左のバレル皮質に

 与える(図 1C)。これにより、ラットは現在の心拍数が目標心拍数に近いのかを知ること

 ができる。


(IV) ラットが心拍数を目標心拍数まで下げたら内側前脳束を刺激し、報酬を与える(図1A-

 C)。これによりラットは快楽を得られ、訓練が促進されると考えた。


(V) 報酬刺激を 10 回得られたらより目標心拍数が低く設定される次のセッションに移行

 し、(III)と(IV)を繰り返す。


この訓練により、ラットの心拍数は平静時の毎分 450 回から、毎分 200 回程度まで下がることがわかりました(図 1D)。すなわち、ラットにおける心拍フィードバック系を確立することに成功しました。


図 1:心拍フィードバック系を確立した

(A)右バレル皮質、左バレル皮質、内側前脳束に刺激電極を留置する。

(B) 心電図を記録する。訓練前の心拍数から目標心拍数を設定する。

(C)心拍数を下げる場合、現在の心拍数が目標心拍数に近いほど高頻度の電気刺激を左バレル皮質に与える。目標心拍数を一定時間達成したら、内側前脳束を刺激する。

(D)訓練経過に伴う心拍数の変化(***p < 0.0001, Jonckheere-Terpstra test for each day)。



(2) 心拍フィードバックは抗不安効果がある


 心身状態への影響を評価するために、まず不安症状に着目し、行動試験を行いました。高架式十字迷路は、高所で壁がない危険なオープンアームと、壁のある安全なクローズドアームを含む迷路です。各アームに滞在した時間の比から不安の程度を評価でき、クローズドアームにいる時間が長いほど不安が強いことを意味します。検討の結果、心拍フィードバックを 5 日間行った後では、訓練を開始する前に比較してオープンアームへの探索が増えました。総行動量は変化せずに、オープンアームの探索が増えた結果は、ラットが何らかの方法で不安や恐怖を抑制していることを示唆しています。さらに、訓練後の高架式十字迷路試験では、訓練前に比較してオープンアームにおける心拍数が有意に低下していました。心拍フィードバックにより、不安が大きくなるオープンアームにおいても心拍数を低く維持することができるようになった結果、末梢シグナルである心拍数の情報が脳に影響を与え、不安に打ち勝つことができたと考えています。



(3) 前帯状皮質→視床内側核でのシータ振動が心拍自己制御に重要である


 c-Fos(神経活動に応じて発現するタンパク質)に対する免疫組織化学染色により、心拍フィードバックにより活性化した脳領域を探索しました。前帯状皮質や島皮質をはじめとする複数の脳領域が活性化している(c-Fos 陽性になる)ことがわかりましたが、ムシモール(GABAA 受容体作動薬)を投与してこれらの領域の神経活動をそれぞれ抑制してみたところ、前帯状皮質を抑制したときに心拍フィードバックによる心拍数の減少が阻害されました。さらに前帯状皮質からの神経接続を持つ神経細胞を同定したところ、前帯状皮質の心拍フィードバック中に活動した細胞の多くが、視床内側核へと神経投射していることを見出しました。そこで、TetToxLc(テタヌス毒素軽鎖)を用いて視床内側核へ投射する前帯状皮質の神経細胞を抑制したところ、心拍フィードバックによる心拍減少の効果が減弱しました。これらの結果から、前帯状皮質から視床内側核への入力が、心拍数の自己制御に必要であると考えらえます(図 2)。

視床内側核へ投射を持つ前帯状皮質の細胞から神経活動を記録すると、心拍低下が進む訓練後期になるほどシータ波(7Hz の神経振動)の強度の有意な増加が見られました。このシータ波が徐脈の誘導の原因になっているかを調べるために、視床内側核に投射する前帯状皮質の神経細胞を光遺伝学的操作(注 4)により 7Hz のリズムで刺激することで、シータ波を人工的に誘導しました。すると、心拍フィードバックを行っていなくても、心拍数が低下することがわかりました。つまり、視床内側核に投射を持つ前帯状皮質の神経細胞がシータ波を生み出すことで、心拍フィードバックによる心拍数の低下を引き起こしていると考えられます。


図 2:皮質-視床内-視床下部経路が心拍数調節の意図を中継する

 


(4) 前帯状皮質-視床内側核回路は、視床下部を介して副交感神経制御系に統合される


 心臓への副交感神経の支配は、脳幹に存在する迷走神経核が行っています。しかしながら、一般的な不随意性の制御ではなく、今回の実験で見られたような意志による心拍の制御においても、迷走神経核のニューロンが関与するのかは不明でした。迷走神経核への神経投射をもつ上流の脳領域を探索すると、視床下部背内側核がこれに該当することがわかりました。


以上の結果から、前帯状皮質で生じた「意志」命令を、視床/視床下部を介して副交感神経系の中枢である迷走神経核に伝えると考えられます。すなわち、本来は結合性の弱く、意図的には制御できない自律神経系が、心拍数のフィードバックを受けることで、大脳皮質によって制御が可能となり、両者の連結が強化される可能性があります。




今後の展開


 本研究では、意志による心拍数コントロールを可能とする神経回路を明らかにし、心拍フィードバック技術の神経学的基盤を解明しました。


この発見は、循環器疾患や精神疾患の治療、ストレス管理に応用可能で、心拍フィードバックの効果を最大化するための技術改良や、特定の神経回路をターゲットとした新たな治療法の開発に寄与する可能性があります。特に、心拍数の自己調節能力を向上させることで、不安の軽減、メンタルヘルスの向上、アスリートのパフォーマンス向上などが期待されます。


多くの生理活動が自律神経系により支配されていることを踏まえると、今回の発見は、心拍のみならず、呼吸や蠕動運動などの生理活動の自己制御にも拡張できると考えられます。


本研究で明らかになった皮質-視床回路が、心拍以外の自律神経系制御にも汎化できるか検討することで、バイオフィードバックを担う神経基盤を精査し、脳と身体がどのように関係しているかという「脳身連関」の謎へ、新たな示唆を与えることができます。


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