筋肉の形成を始める幹細胞のスイッチ分子を解明
高齢化社会を迎えた日本において、運動器疾患対策は喫緊の課題です。特に、筋肉 (骨格筋) は身体活動をつかさどる主要組織で、加齢に伴いその量や機能が低下すると、生活の質(QOL)も低下します。骨格筋の老化を防ぎ、その再生・修復機構を生涯にわたって維持するには、骨格筋組織内に存在する幹細胞(骨格筋幹細胞)の機能解明が欠かせません。
大人の筋肉の中に存在する骨格筋幹細胞は通常、眠った状態(休止期)で存在していますが、筋肉の損傷などを感知すると、眠りから目覚めて増殖し、筋肉を修復・再生します。
そのプロセスのどこかに遅れが出たり、異常が起きたりすると、筋肉の再生・修復機構がうまく働かなくなり、筋肉の老化が加速します。
このため、本研究チームは、骨格筋幹細胞が眠りから目覚めて増殖するメカニズムや、増殖した骨格筋幹細胞が筋肉の形成(分化)段階へとスイッチする因子の解明に取り組んでいます。
本研究では、骨格筋幹細胞の活性化状態を見分けることができるマウスを使い、休止期、増殖期、分化期それぞれの状態にある骨格筋幹細胞の遺伝子発現を網羅的に解析しました。その結果、DUSP13とDUSP27という二つの酵素が、増殖期の骨格筋幹細胞を分化期へと進めるスイッチング因子として浮かびました。さらに研究を進めた結果、これら二つの酵素は筋分化制御因子MYODによって直接制御されており、二つの酵素の遺伝子を欠損したマウスは筋分化スイッチがうまく働かず、筋再生が遅延することを発見しました。
本研究成果を用いることで、加齢に伴う筋力・筋量減弱症(サルコペニア)などの治療に向けた創薬につながることが期待されます。
研究の背景
筋肉 (骨格筋) は体重の約40%を占め、身体活動や運動機能をつかさどる主要な組織です。また、内分泌組織としても機能し、血流を介して身体中の臓器とコミュニケーションを取りながら生体の恒常性に寄与しています。このため、加齢に伴う骨格筋量や機能の低下は、身体活動量の低下に加え、代謝機能や認知機能にまで広く大きな影響を及ぼすと考えられます。骨格筋の老化を防ぎ、骨格筋が持つ再生・修復機構を生涯にわたり維持するためには、骨格筋幹細胞注1)による筋修復機構の解明が重要です。
私たちの骨格筋幹細胞は、損傷がない筋肉の中では細胞分裂がほぼ停止した眠った状態(休止期)で存在しています。ところが、筋肉の異常事態を感知すると、速やかに目覚めて(活性化して)増殖し、筋の修復に必要な細胞をたくさん作り出します。作り出された細胞はその後、筋分化というプロセスへと移行し、数百の細胞がお互いに融合することで一つの非常に大きな多核の筋線維(筋細胞)へと成熟していきます。ところが、加齢や糖尿病などを含む慢性的な疾患では、この一連の筋形成プロセスに異常が生じ、小さくて脆弱な筋線維となることが知られています。結果としてサルコペニア注2)などの筋疾患を発症する素地となったり、疾患を加速させたりする恐れがあると考えられています。
本研究チームは、筋形成時における骨格筋幹細胞の活性化、増殖、分化などの運命決定がどのように行われているのかに興味を持って研究開発に取り組んでおり、サルコペニアをはじめとした筋疾患の治療へと結びつく標的を明らかにすることを目指しています。
研究内容と成果
加齢や疾患などにおいて、骨格筋幹細胞の運命決定機構の破綻が報告されています。運命決定機構のどのプロセスに異常が出ているかは、疾患モデルなどによって異なります。本研究では、増殖中の骨格筋幹細胞が筋分化へと進むために必要な分子を同定しました。これにより、増殖が低下した病態及び分化が低下した病態のいずれの治療にもアプローチできる可能性があります。
本研究では、骨格筋幹細胞の運命決定因子を探索するため、本研究チームが2023年に作製に成功したMyoDノックインマウス注3)を使用しました(参考文献1)。このマウスは、筋分化のマスター因子としても知られるMyoDの遺伝子座に蛍光レポーターを挿入してあります。蛍光強度からMyoDの発現をモニタリングすることで、骨格筋幹細胞の活性化状態を見分けられます。このマウスから単離した骨格筋幹細胞を使用することで、MyoDの発現依存的に上昇してくる遺伝子群の探索が可能となりました。その結果、Dual-specificity phosphatase (Dusp) 注4)-13とDusp27という酵素をコードする二つの遺伝子がMYODによって直接制御される因子であることを同定しました。これらの遺伝子は筋組織で特異的に高い発現を有していました。
骨格筋幹細胞におけるDUPS13及びDUSP27の機能を明らかにするために、それぞれの遺伝子を欠損するノックアウトマウス注5)を作製しました。Dusp13,Dusp27のいずれかを欠損したマウスと野生型マウスの筋再生能を比較したところ、単独の欠損では筋再生能の異常は観察されませんでした。一方で、Dusp13とDusp27の両方を欠損させたダブルノックアウトマウス(DKO)では、野生型マウスや単独の欠損マウスと比較して、大幅に筋再生の遅延が起きることが明らかとなりました。これらの結果により、Dusp13とDusp27は骨格筋幹細胞による筋肉の形成に必須である可能性が示唆されました。
次に、なぜこのような再生遅延が起きるのかの解明を進めました。骨格筋幹細胞の増殖や分化が盛んな時期である損傷後7日目のDKOマウスの筋組織切片を調べたところ、骨格筋幹細胞のマーカーであるPAX7陽性細胞が多い一方、骨格筋が分化したことを示すマーカーのMYOGENINが陽性となる細胞が有意に少なくなっていました。Dusp13及びDusp27が欠損することで、骨格筋幹細胞が筋分化へと移行できない可能性を示唆する結果です。そこで、野生型マウス及びDKOマウスから骨格筋幹細胞をそれぞれ単離して培養してみました。すると、野生型の骨格筋幹細胞は分化していくのに対し、DKOマウス由来の骨格筋幹細胞は増殖期にとどまり、筋分化移行が低下していることが明らかとなりました。
さらに詳細なメカニズムの探索として、MyoDノックインマウス由来の骨格筋幹細胞のうち、活性化・増殖した骨格筋幹細胞集団のみを単離し、シングルセルRNA-sequence(scRNA-seq)注6)を行いました。Dusp13,Dusp27は共に、Myogeninを発現した細胞集団で発現することが明らかとなりました。そこで、Dusp13が筋分化のスイッチを入れるきっかけとなるのかを検証するために、まだ筋分化スイッチが入っていない未分化で増殖中の骨格筋幹細胞にDusp13を過剰に発現させました。すると、MYOGENINを発現する細胞集団が現れることがわかりました。
これらのことから、増殖中の骨格筋幹細胞はDUSP13及びDUSP27の発現を介して、筋分化に関わる遺伝子プログラムを誘導している可能性が示唆されました。
今後の展開
今後は、DUSP13及びDUSP27が骨格筋幹細胞内でどのような分子と相互作用し、増殖中の骨格筋幹細胞を筋分化へと誘導しているのかを明らかにしていきます。特に、これらの因子がどのようにMYOGENINを誘導しているのかは分かっておらず、本研究チームはDUSP13及びDUSP27の下流因子の探索を行っています。
これらの研究を通して、通常眠っている小さな単核の骨格筋幹細胞が、最終的に数百の核から構成される巨大な筋線維へと成熟していくメカニズムを解明できれば、現代日本の大きな社会問題となっているサルコペニアの予防・治療法の開発に貢献することが期待されます。さらに、本研究成果は、骨格筋細胞の大量増殖による培養肉開発などにも応用できる可能性があります。
参考図
図 本研究結果のまとめ
DUSP13及びDUPS27によって、増殖中の骨格筋幹細胞が分化期へと移行することが明らかになりました。Dusp13及びDusp27の遺伝子発現はMYODによる転写制御を受けていることも示されました。本研究成果を用いることで、DUSP13やDUSP27がサルコペニアや筋ジストロフィーの新たな治療標的となることが期待されます。適切なタイミングでそれらの発現を操作することにより、機能低下した骨格筋幹細胞の筋再生機能を活性化できると考えられます。
用語解説
注1) 骨格筋幹細胞
骨格筋組織に存在する組織幹細胞で、骨格筋再生に必須の役割を担う。サテライト細胞とも呼ばれる。筋肉の損傷がなく再生が必要ない状態では通常、筋線維と基底膜の間に位置し、眠った状態(休止期)で存在している。しかし、運動や打撲などの損傷刺激が入ると速やかに活性化し、増殖する。その後、増殖した細胞は骨格筋へと分化することで筋組織を再生する。骨格筋幹細胞が持つこの強靭な再生能から、サルコペニア注2)や、筋ジストロフィーなどの遺伝性筋疾患治療への応用が期待されている。
注2)サルコペニア
加齢にともなう筋力・筋量減弱症のこと。超高齢社会に突入し、人生100年時代を迎えた我が国において、サルコペニア発症の分子機序やその予防策、治療方法の発見は喫緊の課題である。
注3)MyoDノックインマウス
本研究チームが2023年に作製した遺伝子改変マウス(参考文献1)。MyoD遺伝子座に蛍光レポーター(tdTomato)が挿入されており、蛍光レポーターの発現をモニタリングすることにより、MyoD発現を間接的に生体内及び生体外でモニタリングできる。
注4)Dual-specificityphosphatase(DUSP)
タンパク質のスレオニン残基とチロシン残基の両方を脱リン酸化する、二重特異性ホスファターゼとして知られている。細胞内のシグナル伝達経路の一つであるマイトジェン活性化プロテインキナーゼ(MAPK)経路を調節する作用が一般的に知られている。
注5)ノックアウトマウス
特定の遺伝子を遺伝子組換え技術によって欠損させたマウス。遺伝子の機能を失わせることにより、その遺伝子の生体内での意義を調べるための重要なモデル動物。
注6)シングルセルRNA-seq解析
一つ一つの細胞が持つ遺伝子発現を網羅的に調べる方法。組織内のさまざまな細胞集団の遺伝子発現を見分けることで、病態におけるさまざまな細胞集団の変化を捉えられる。また、同じ細胞集団内でもあっても、遺伝子発現の差異から新たな亜集団の発見や細胞運命の分岐を可視化できる。
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