肺がんが脳に転移する仕組みを解明!
金沢大学がん進展制御研究所の石橋公二朗助教,平田英周准教授,金沢大学医薬保健研究域医学系/金沢大学附属病院脳神経外科の中田光俊教授,金沢大学医薬保健研究域医学系/金沢大学附属病院呼吸器内科の矢野聖二教授らを中心とする共同研究グループは,肺がんが脳に転移する仕組みを解明することに成功しました。
がんの転移は,どの臓器であっても患者さんの状態を悪化させます。特に脳への転移は治療が困難であることが多く,がんの治療において非常に大きな問題となっています。また,近年の医療技術の発展により,がんが転移しているかどうかを判断する検査の性能や,がん治療の成績そのものは格段に向上しています。これに伴いがんが脳に転移するケースを多く確認することができるようになり,最新の研究によると,がん患者さんのおよそ 10 人に 1 人に脳への転移が認められたと報告されています。現在,日本人の 2人に 1 人ががんに罹患し,3 人に 1 人ががんで死亡しています。そしてその死因の多くは,がんの転移によるものです。このような状況を考えると,がんがどのようにして脳に転移するのかを明らかにし,これに対する有効な治療法を開発することは,現代のがん研究が取り組むべき極めて重要な課題であると言えます。
本研究では,研究グループが独自に開発した研究手法により,肺がんが脳に転移するために重要な役割を担うタンパク質を同定することに成功しました。
またこのタンパク質を標的とすることで,すでに使用されている治療薬が効かなくなってしまったケースに対しても,脳に転移したがんの増殖を抑えることができることが明らかとなりました。
これらの知見は将来,肺がんの脳転移に対する画期的な治療法の開発に繋がると期待されます。
研究の背景
がんの転移は,どの臓器であっても患者さんの状態を悪化させますが,特に脳への転移は治療が困難であることが多く,がんの治療において非常に大きな問題となっています。また全身にできたどのがんも脳に転移する可能性がありますが,特に肺がんは脳に転移しやすいことが知られており,がん脳転移全体の半数近くを占めています。
がん脳転移に対する治療法としては,化学療法や放射線治療,分子標的治療,あるいは免疫療法が挙げられます。どの治療法も一定の効果は挙げていますが,すべての症例に対してこれらの治療が行えるわけではありません。また,一時的に治療が上手くいった場合であっても,これらの治療に対して耐性が出現することがあり,がんの根治を難しくしています。
このような状況から,がんが脳に転移する仕組みの詳細を明らかにし,がん脳転移に対する新たな治療法を開発する試みが世界中で行われています。
がんが脳に転移する仕組みを明らかにするためには,がん細胞がどのようにして脳の中に入り込み,脳の中で増殖していくのかを調べる必要があります。この研究には主にマウスを用いた実験と培養細胞を用いた実験が使用されてきましたが,培養細胞を用いた実験には問題がありました。すなわち,脳を構成する細胞であるグリア細胞(※1)を安定的に培養する技術には限界があり,がん細胞とグリア細胞との間でどのようなやり取りが行われているのか,詳細に調べることが難しい状況でした。
研究成果の概要
本研究では,がん細胞とグリア細胞とのやり取りを詳細に解析するための新たな研究手法(MGS 法)を開発することに成功しました。この方法は,マウス由来のグリア細胞を極めて柔らかいゲルの上で培養することで,これまで困難であったミクログリアの長期培養が可能となりました。また従来の方法では,2 週間程度で失われていたアストロサイトの性質を数か月以上に渡って維持することも可能となり,がん細胞とグリア細胞とのやり取りを長期間に渡って詳細に調べることが可能となりました。
この MGS 法を用いた研究により,肺がん細胞が脳に転移する際に重要な役割を担うタンパク質として mGluR1 を同定しました。mGluR1 は,グルタミン酸の受容体としてシナプス伝達(※2)に関与しているタンパク質であり,本来,肺がん細胞は mGluR1を発現していません。ところが驚くべきことに,脳に転移した肺がん細胞はアストロサイトとの相互作用によって mGluR1 を発現し,このような肺がん細胞は mGluR1 の作用によって脳の中で増えていくことが明らかとなりました。この分子機構として,アストロサイトから分泌される Wnt-5a が PRICKLE1 と REST という分子の制御を介してがん細胞に mGluR1 の発現を誘導すること,誘導された mGluR1 が肺がん細胞の増殖に重要な役割を担う上皮成長因子受容体(EGFR)(※3)と直接結合してこれを活性化していることが明らかとなりました【図 1】。
また,EGFR の阻害剤であるオシメルチニブは肺がん治療においてとても有効な分子標的治療薬ですが,治療経過中に耐性が生じてしまうことがあり,このような症例に対しては有効な治療法がありませんでした。本研究では,オシメルチニブに耐性を示す肺がん細胞に対しても,mGluR1 の阻害が脳転移の進展を抑制することを明らかにしました。
今後の展開
本研究では,マウスや培養細胞を用いた実験だけでなく,肺がん脳転移の患者さんの組織標本においても mGluR1 の発現誘導が確認されています。これらの研究成果は将来,脳転移を来した肺がん患者さんに対する,新たな治療戦略の開発に繋がることが期待されます。
用語解説
※1 グリア細胞
脳において神経細胞(ニューロン)の活動を支える細胞で,アストロサイト,オリゴデンドロサイト,ミクログリアの 3 種類がある。栄養の供給や廃棄物の処理,神経細胞の保護や修復などを行っているが,近年の研究によりがんの脳転移にも関与していることが明らかとなっている。
※2 シナプス伝達
神経細胞と神経細胞の連絡部分(シナプス)で情報を伝える仕組みのこと。神経細胞を伝わった電気信号は,シナプス部分で神経伝達物質(グルタミン酸など)の放出を引き起こし,これを受け取ったニューロンに信号が伝えられる。
※3 上皮成長因子受容体(epidermal growth factor receptor: EGFR)
細胞表面にあるタンパク質で,上皮成長因子(EGF)と結合することで細胞の増殖を促す。多くの肺がん細胞では,上皮成長因子受容体が異常に活性化していることが知られており,これが肺がん細胞が無秩序に増殖する原因となっている。
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