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「脳内の情報伝達を担うカイニン酸型「グルタミン酸受容体」の新しい活動様式を解明」-No.391





脳内の情報伝達を担うカイニン酸型「グルタミン酸受容体」の

新しい活動様式を解明-精神神経疾患の病態の理解と治療法開発へ道を-




 慶應義塾大学医学部生理学教室の柚﨑通介教授、掛川渉准教授らの研究グループは、脳内の神経細胞間をつなぐシナプス(注 1)において、情報伝達を担う「グルタミン酸受容体(注 2)」が、シナプスそのものの形成・維持をもたらすシナプス形成分子(注 3)として働き、記憶・学習(注 4)を制御していることを、マウスを用いた実験により発見しました。


 私たちの脳では、神経細胞どうしがシナプスを介してお互いに接続することにより、さまざまな高次脳機能を支える神経回路が構築されます。シナプス形成を担う分子の働きを明らかにすることは、高次脳機能や精神神経疾患の病態を解明する上で非常に重要な基盤的課題となっています。


本研究グループでは、これまでに「運動記憶」を支える小脳をモデルとして、C1ql1(シーワンキューエルワン)やBai3(バイスリー)といったシナプス形成分子を発見していました。今回の発見は、イオンチャネルとして働くことによってシナプスでの情報伝達を担うと考えられていたカイニン酸型グルタミン酸受容体(KAR)(注 5)が、C1ql1 や Bai3 とともに複合体を構築し、シナプス形成分子として働くことを明らかにしました。KAR を欠失した遺伝子変異マウス(注 6)では、シナプス形成が障害され、運動学習能力が著しく低下しました。

また、この変異マウスに、イオンチャネル部位を欠いた KAR を導入すると、成熟した脳でも新たなシナプスが形成され、記憶能力が劇的に改善されることが確認できました。

KAR 遺伝子の変異は、てんかんや統合失調症など多くの精神神経疾患で報告されています。そのため、本研究で明らかになった KAR によるシナプス形成能に関する知見は、これらの疾患の病態理解と治療法開発につながる可能性が期待されます。




研究の背景と概要


 私たちの脳内には約 860 億個もの神経細胞が存在し、これらがシナプスを介してお互いに結合することで、記憶や学習をはじめとする高次脳機能に必須な神経回路を構築します(図 1)。シナプスでは、シナプス前細胞(情報を送る細胞)から放出されるグルタミン酸が、シナプス後細胞(情報を受け取る細胞)に発現するグルタミン酸受容体に結合することで興奮情報を伝達しますが、特に迅速な興奮伝達を担うイオンチャネル型グルタミン酸受容体は、チャネル部位を介した細胞内への陽イオン流入によりその役割を果たしています。

近年、神経活動に応じて、シナプスに存在するグルタミン酸受容体の数や感受性が変化したり、また、シナプスそのものの形が変化したりすること(シナプス可塑性)が次々と報告されています。シナプス可塑性は生涯にわたって起こりますが、この過程の障害が、加齢やアルツハイマー病に伴う記憶障害や自閉スペクトラム症などの精神疾患に深く関わることも、最近になってわかってきました。そのため、シナプス形成や可塑性を支えるシナプス形成分子の働きを明らかにすることは、きわめて重要な基盤的課題となっています。



 イオンチャネル型グルタミン酸受容体には、AMPA 型・NMDA 型・カイニン酸型・デルタ型の4つのサブファミリーがありますが、中でもカイニン酸型グルタミン酸受容体(以降、KAR)は、記憶や学習のみならず、てんかんやうつ病など、種々の精神神経疾患に関与する重要な受容体です。しかし、その活動様式には謎が多く、特に、記憶の形成時に脳内でどのように働いているのかはよくわかっていませんでした。そこで私たちは、スポーツや楽器演奏など、身体を使って覚える「運動記憶」に必須な小脳の神経回路に着目し、KAR の機能的役割を追究することにしました。

はじめに、脳内における KAR の重要性を確認するため、KAR の発現を欠いた遺伝子変異マウス(KAR 欠失マウス)を作製し解析を行いました(図 2)。すると、この変異マウスの小脳では、シナプスでの情報伝達が障害されているばかりでなく、シナプス自体が激減していることがわかりました。また、KAR 欠失マウスの運動記憶能力を評価するため、小脳の働きに深く関わる眼球運動適応課題(空間を移動する対象物を目で追い注視し続ける運動)を試行すると、正常の野生型マウスに比べ、その成績も有意に低下していました。これらの結果から、KAR はシナプスの機能や形態形成に関与し、運動記憶を制御していることが示唆されました。



 次に、KAR の欠失がシナプスの形成不全をもたらす原因を調べたところ、KAR の細胞外領域に位置するアミノ末端部位(Amino-Terminal Domain; ATDKAR)には、以前に私たちのグループが発見した分泌性シナプス形成分子(分泌性シナプスオーガナイザー)の C1q 様分子 1(C1q-like molecule 1; C1ql1)が結合することがわかりました(図 3)。興味深いことに、KAR との結合によって安定化された C1ql1 は、シナプス後細胞に発現する細胞接着型 Gタンパク質共役受容体 Bai3(Brain-specific angiogenesis inhibitor 3)をシナプスに集積させ、運動記憶の分子基盤とされるシナプス可塑性を誘導することが示されました。実際に、KAR欠失マウスでは、C1ql1 および Bai3 が既存のシナプスから消失していることが、超解像蛍光顕微鏡や膨張顕微鏡法などの最新の顕微鏡観察技術により実証できました。C1ql1 や Bai3 の各欠失マウスにおいても、シナプス形成、可塑性、そして、運動記憶が障害されていることから、KAR は C1ql1 や Bai3 と3者複合体(KAR-C1ql1-Bai3 複合体)を構築することで、シナプス形成や運動記憶を制御していることが示唆されました(図 3)。



 では、KAR のイオンチャネルとしての機能は、シナプス形成や運動記憶の獲得に必須なのでしょうか。また KAR には、C 末端部位を介して細胞内のシグナル伝達系を駆動させるユニークな性質も報告されていますが、この代謝調節型受容体としての機能も関与しているのでしょうか。これらの疑問に答えるために、KAR に保存されているイオンチャネル部位や細胞内部位を取り除き、C1ql1 と結合する ATDKARのみを持つ膜タンパク質を、成熟した KAR欠失マウスの小脳に、ウイルスベクターを用いて発現させました(図 4)。その結果、驚くべきことに、ATDKAR-膜タンパク質は C1ql1 や Bai3 をシナプスに集積させ、シナプス形成を促進させました。さらに、シナプスの回復に付随して、運動記憶の著しい改善も認められました。



 以上の結果から、運動記憶を支える KAR はイオンチャネルや代謝調節型受容体としてではなく、C1ql1 や Bai3 との複合体構築を介して、シナプス形成をもたらす「シナプス形成分子」として働いていることが証明されました。これらの発見は、脳内で働くグルタミン酸受容体の新しい活動様式を提唱するとともに、成熟した脳内のシナプス障害や記憶・学習の改善をもたらしたという観点からもきわめて興味深い所見と言えます。




研究の成果と意義・今後の展開


 KAR は、小脳だけでなく、あらゆる脳部位において豊富に発現しています。また、C1ql1と類似の分泌性シナプス形成因子や Bai3 ファミリー分子も恒常的に発現していることから、KAR-C1ql-Bai 複合体を介するシナプス形成機構は、各脳部位で観察される普遍的なメカニズムであるかもしれません。

前述の通り、シナプスは学習や経験、外的環境に応じて生涯にわたり絶えず変化します。また、種々の精神神経疾患がシナプスの形成異常と関連していることも報告されています。今後、本研究で明らかになった「KAR によるシナプス形成能」に関する知見が、加齢や神経疾患に伴う記憶障害と種々の精神疾患の病態理解、そして、治療法開発につながる可能性が期待されます。




用語解説


(注1) シナプス

神経細胞間のつなぎ目であり、情報伝達の場として働いている。シナプスは、情報を送信するシナプス前細胞と情報を受容するシナプス後細胞から形成され、前細胞から分泌される神経伝達物質が後細胞に発現する受容体に結合することで、細胞間の情報伝達が行われる。


(注2) グルタミン酸受容体

シナプスでの興奮伝達を担う受容体。グルタミン酸受容体は、細胞内外にイオンを流入・流出させるイオンチャネル型受容体と細胞内のシグナル分子を介して情報伝達経路を駆動させる代謝調節型受容体とに大別される。


(注3) シナプス形成分子

シナプスを形成するタンパク質群。その中には、シナプス構造を作る骨格分子やシナプス伝達機能を担う分子が含まれる。C1ql1 は、本研究グループが世界に先駆けて発見した分泌性シナプス形成因子 C1q ファミリー分子群の1メンバーである。


(注4) 記憶・学習

学習は、知識・行動・技術・価値観などを新しく獲得したり、修正したりすること。一方、記憶は、学習で得た事柄を保持し、想起する能力。記憶には、その内容を陳述できる陳述記憶と、陳述できない非陳述記憶がある。中でも、スポーツや楽器演奏など、身体を使って体得する運動記憶は、非陳述記憶の1つであり、おもに小脳によって支えられている。


(注5) カイニン酸型グルタミン酸受容体 (KAR)

イオンチャネル型グルタミン酸受容体を構成するサブファミリーの1種。KAR は記憶や学習ばかりでなく、てんかんや統合失調症など、多くの精神神経疾患の病態発現に深く関与していることが報告されている。


(注6) 遺伝子変異マウス

ゲノム編集技術を用いて特定の遺伝子を変更、追加、または欠失することで、遺伝子やタンパク質の機能を研究するために作られたマウス。これらのマウスを使うことで、シナプス形成や記憶に関わる分子の役割を詳しく調べることができる。

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