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「血液細胞システムの緊急再生には解糖系酵素が働いている」-No.340




緊急時における造血幹細胞の代謝調節を解明

―血液細胞システムの緊急再生には解糖系酵素が働いている―




発表のポイント


1.新規に開発した単一細胞 ATP 測定技術により、ストレス造血(注 1)時の造血幹細胞(注 2)

 はミトコンドリアではなく解糖系(注 3)によるエネルギー産生が活性化することがわかりま

 した。


2.ストレス造血時の造血幹細胞における解糖系の活性化には、解糖系関連酵素 PFKFB3 の

 修飾が必要で、造血幹細胞の増殖を促進していました。


3.本研究によってストレス造血時のメカニズムの一端が明らかとなったことで、より安全な

 造血幹細胞移植技術の開発や、抗がん剤投与後の血球回復の治療法開発への期待がもてま

 す。




概要


 造血幹細胞は、生涯にわたって各種の血液細胞を産生する細胞です。感染症や出血、抗がん剤治療などで血液細胞の需要が急増すると、造血幹細胞は速やかに静止期から離脱し、細胞分裂を行って血液細胞システムを再生します。こうしたストレス造血時において、造血幹細胞がそのエネルギー需要をどのように賄っているのかは不明でした。


 今回、東北大学大学院医学系研究科と国立国際医療研究センター研究所の研究グループは、京都大学大学院医学系研究科などと共同で、代謝分子の細胞内での使われ方を明らかにする同位体トレーシングと数理モデリングにより、高い時間解像度で迅速に造血幹細胞の代謝動態を計測することに成功しました。

これらの技術を利用することで、ストレス造血時の造血幹細胞のエネルギー需要の増大に対しては、PFKFB3 の活性の調節が重要であることを見出しました。


本研究によってストレス造血時のメカニズムの一端が明らかとなったことで、より安全な造血幹細胞移植技術の開発や、抗がん剤投与後の血球回復の治療法開発への展開が期待されます。




研究の背景


 造血幹細胞は、主に骨髄に存在する希少(全骨髄細胞の 0.003%~0.01%)な細胞で、生涯にわたって各種の血液細胞を産生する細胞です。造血幹細胞は、多くの時間は細胞周期(注 4)を静止期に留めることで幹細胞の性質を守っていると考えられています。一方、感染症や出血、抗がん剤治療など血液細胞の需要が急増する緊急的な状況では、造血幹細胞は速やかに静止期から離脱して細胞分裂を活発に行い、赤血球、血小板、白血球を産生するとともに造血幹細胞自身を複製することで造血の恒常性を維持しようとします。このような緊急時の造血をストレス造血と言います(図 1)。


図 1. 定常造血とストレス造血における従来の学説

定常造血では解糖系優位の代謝を利用して造血幹細胞が静止期に維持されながら、ゆっくりとバランスよく分化血球を産生する一方、ストレス造血では旺盛に細胞分裂を繰り返しそのエネルギー源は活性化したミトコンドリアにあると考えられていた。



 ストレス造血を行うためには、細胞を構成するタンパク質や脂質、核酸を活発に合成する必要があり、大量のエネルギーが必要となります。静止期の造血幹細胞はこれらの合成が不活発ですが、細胞増殖時に造血幹細胞は急速にエネルギー産生を増加するためのスイッチをオンにする必要があります。このスイッチの仕組みの解明は、抗がん剤治療後の血液の回復やより安全な造血幹細胞移植法(注 5)の開発にもつながることから重要な課題です。


一般に細胞は、ブドウ糖や脂肪酸などの栄養素を細胞内に取り込み、細胞内での代謝を通じて栄養素の持つ化学ポテンシャルをアデノシン三リン酸(ATP)という分子に変換することで細胞内のエネルギー需要をまかなっています。酸素が乏しい状況では無酸素でブドウ糖を乳酸に変換する解糖系がエネルギー産生に寄与しますが、効率は高くありません。一方、酸素が十分にある状況では細胞内小器官のミトコンドリアでブドウ糖や脂肪酸に由来する分子を二酸化炭素と水に分解することで高効率に ATP 産生を行います。

これまで造血幹細胞は骨髄が低酸素環境であることから、静止期の状態では解糖系によるエネルギー産生が中心的な役割を果たすと考えられ、ストレス造血のように大量のエネルギーが必要な状況ではミトコンドリアの活性化による高効率なエネルギー産生が重要と考えられていました。しかし、従来技術ではATP を直接測定するには大量の細胞を溶解する必要があり、ATP 産生のようなダイナミックな変化を高い解像度かつ少数細胞で捉えることはできていませんでした。




今回の取り組み


 東北大学大学院医学系研究科および国立国際医療研究センター研究所の田久保 圭誉(たくぼ けいよ)教授・プロジェクト長らの研究グループは、ストレス造血時のモデルとして、抗がん剤投与後の造血回復を模倣した 5 フルオロウラシル(5-FU)投与モデルを用いてマウスから増殖する造血幹細胞を採取しました。まずは、細胞内のグルコースがどのような分子に変換されるのかを確認するために、採取した造血幹細胞を非放射性炭素同位体 13C でラベルしたグルコース存在下で培養し、高感度のイオンクロマトグラフ/質量分析技術(ICMS)(注 6)を用いて網羅的に 13C で標識された代謝分子を定量測定しました。この結果と、OpenMebius (https://metabolicengineering.jp/page/software/OpenMebius)による数理モデリングを組み合わせることで、ストレス造血時の造血幹細胞は、解糖系の中でもフルクトース6 リン酸(F6P)をフルクトース 1,6 ビスリン酸(F1,6BP)に変換する部分の代謝流束が最も亢進していることがわかりました。また同時に、従来の予想とは異なりミトコンドリアへのグルコース由来の代謝物の流入は解糖系の活性化に比べると限られており、ストレス造血時の増大したエネルギー需要は主に解糖系の活性化によって担われていることが推測されました(図 2)。


図 2. ストレス造血時の造血幹細胞の 13C 代謝流束解析と数理モデリング

(A)5-FU 投与によりストレス造血を起こした造血幹細胞を体外で 13C 標識グルコースを取り込ませ、30 分後に各代謝物のうち 13C で標識された分子の濃度を IC-MS で計測した。解糖系分子の中でも F1,6BP の濃度の上昇が認められる。TCA 回路はミトコンドリアでの代謝、ペントースリン酸回路は核酸の合成を反映している。(B)OpenMebius による数理モデル。解糖系の中でも G6P から F1,6BP(FBP)の代謝流束が亢進していると予測された。



 しかし、まだこの時点では解糖系の活性化と ATP 産生が結びついているかは決定的ではありません。そこで、Förster 共鳴エネルギー移動(FRET)(注 7)を利用した細胞内 ATP 濃度をリアルタイムで計測できるバイオセンサーGO-ATeam2 を全身の細胞で発現するマウス(共同研究者の国立循環器病研究センター 山本正道特任部長が開発)から造血幹細胞を採取し、さまざまな状態で造血幹細胞内のATP 濃度を測定しました(図 3)。


図 3. ATP バイオセンサーによる生きた造血幹細胞の高解像度ATP 濃度解析

GO-ATeam2 の設計。蛍光たんぱく質 GFP と KusabiraOrange の間に ATP 結合分子 ATPase ε サブユニットを結合することで ATP 濃度に応じて青色の励起光に対する蛍光が変化することで、ATP 濃度の測定が可能になる。



 その結果、解糖系阻害時の増殖期の造血幹細胞は、静止期と比べてより早く ATP 濃度が低下する一方、ミトコンドリア阻害時の増殖期と静止期の造血幹細胞で ATP 濃度の低下に差がありませんでした。この増殖期の造血幹細胞の代謝特性を規定する分子を探した結果、解糖系の調節因子の一つ・PFKFB3 に辿り着きました。PFKFB3 の阻害は解糖系の阻害と全く同じパターンで ATP 濃度が低下することから、ストレス造血時の造血幹細胞の解糖系による ATP 産生は PFKFB3 に依存していることを明らかにしました(図 4A)。詳細な解析から PFKFB3 は PRMT1 を介したメチル化という修飾がされることで活性化されることが推測されました。最後に CRISPR/Cas9 システム(注 8)を用いて造血幹細胞の PFKFB3 を欠損させると、5-FU 投与後の血球回復が遅くなることがわかりました(図 4B)。


図 4. ストレス造血時の造血幹細胞の増殖には PFKFB3 が必要である

(A)GO-ATeam2 マウスから採取した増殖期(5-FU 群)の造血幹細胞で解糖系を阻害すると、静止期にある対照群の造血幹細胞よりも速やかに ATP が減少する一方、ミトコンドリアの阻害では ATP が両群とも同じように減少した。同じように PFKFB3 阻害でも増殖期の造血幹細胞の ATP が速やかに減少した。(B)PFKFB3 を欠損させた造血幹細胞では 5-FU 投与後のストレス造血での速やかな血球産生能力が低下していた。



 以上の結果から、造血幹細胞の増殖には PFKFB3 を介した解糖系の活性化による ATP 産生が必須であることが示されました(図 5)。


図 5. 造血幹細胞のストレス造血における代謝機構についての今回の提案

従来はストレス造血下において造血幹細胞は酸素を利用した好気的 ATP 産生を増加させると考えられたが、今回の研究結果からは、ストレス造血ではミトコンドリアの代謝はほとんど変化することなく解糖系の活性化を介して ATP 需要をまかなっていることが示唆された。




今後の展開


 本研究によって、ストレス造血時の造血幹細胞は、PFKFB3 を介した解糖系の活性化によって ATP が産生されていることが明らかとなりました。ストレス造血は抗がん剤投与後、造血幹細胞移植時や感染といったさまざまな治療や病態における血球の再生過程に重要な役割を果たすことから、PFKFB3 をターゲットとしたより迅速な血液再生治療法の開発に結び付くことが期待されます。加えて、本研究で用いた細胞内 ATP センサーを用いる測定系が、少数細胞でのATP 代謝を理解するための強力なプラットフォームであることが示されました。ATP 代謝は細胞機能の根幹を担うことから、造血幹細胞のみならずさまざまな組織の幹細胞のような希少な細胞集団の ATP 産生調節機構を明らかにしたり、がんの再発や転移に関わるがん幹細胞のような疾患細胞の「代謝のアキレス腱」をターゲットにした治療法の開発につながったりすることも期待されます。




用語説明


注1. ストレス造血:

出血や感染症、抗がん剤投与や放射線照射で血液細胞が減少したり需要が増大したりした際に、未分化な造血細胞が活発に分裂して不足した細胞を補うこと。

 

注2. 造血幹細胞:

哺乳動物の成体では骨髄に存在している数少ない細胞で、細胞分裂することで生涯にわたり血液を供給している。

 

注3. 解糖系:

ブドウ糖を細胞内に取り込み、無酸素でピルビン酸・乳酸に分解することでエネルギーを得る過程。

 

注4. 細胞周期:

細胞は分裂する周期に基づいて、静止期(G0 期)、G1 期、S 期、G2 期、M 期の 5 つに分けられる。大部分の HSC は分裂をしない状態の静止期に留まっている。刺激に応じて G1 期へ移行し(増殖期)、分化細胞の産出や自己複製を行う。

 

注5. 造血幹細胞移植法:

白血病などの血液の悪性腫瘍を根治したり、先天性疾患を改善したりするための治療法。大量の抗がん剤や放射線で骨髄の全細胞を死滅させた後、あらかじめ採取していた自分自身や他人の骨髄細胞を移植することで血液を再生させる。

 

注6. イオンクロマトグラフ/質量分析技術:

イオン化した化合物を高精度に分離できるイオンクロマトグラフィーと、イオンの質量と電荷の比を精密に計測できる質量分析法を組み合わせることで細胞内の代謝分子を選別しながらそれぞれの分子の存在量を定量する技術。

 

注7. Förster 共鳴エネルギー移動(FRET):

ドナー分子が励起された状態から基底状態へ戻る際に、そのエネルギーの一部または全部がアクセプター分子に移動する現象。今回はアクセプターである KusabiraOrange タンパクからの蛍光を観測した。

 

注8. CRISPR/Cas9 システム:

2012 年にジェニファー・ダウドナ氏とエマニュエル・シャルパンティエ氏が報告した遺伝子編集技術。細菌が外来ウィルスの DNA を切断し、ゲノム上に取り込む仕組みを応用することで、目的遺伝子の遺伝子編集を行う技術。目的遺伝子と結合するガイド RNAと、遺伝子を切断する酵素である Cas9 の複合体を形成し、細胞内へ導入することで遺伝子編集ができる。

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