言語をつかさどる脳領域が移動する法則を明らかに
金沢大学医薬保健研究域医学系の中田光俊教授,医薬保健研究域保健学系の中嶋理帆助教,順天堂大学医学部生理学第一講座の小西清貴教授らの共同研究グループは,後方言語野の機能シフトの特徴を明らかにしました。
脳には,機能領域に病変が及んだとき,自らの機能を守るため,脳機能が本来の機能局在から別の場所に移動することがあります(機能シフト)。しかし,ヒトの脳において機能シフトがどのような法則で起こるのかは明らかになっていません。
本研究グループは,ヒトが持つ特有の機能である言語機能(※1)に着目し,覚醒下手術(※2)所見および安静時機能的 MRI(※3)という手法を用いて,言語の機能シフトの特徴を調べました。その結果,病変が本来の言語領域に進展すると言語領域は後方に広がること,そしてその広がった領域は脳機能のハブ(※4)であることが明らかになりました。これは,言語領域が病変に侵されると,脳機能のハブ領域が言語機能の代償をすることを示しています。
本研究で発見した機能シフトの特徴は,脳科学の世界において未だ解明されていないヒト高次脳機能の可塑性の解明に極めて重要な知見であり,今後の脳研究に大きな影響を与えることが期待されます。
研究の背景
運動,感覚,視覚,そして言語機能を含むさまざまな機能は脳の特定の領域によりつかさどられています。これを機能局在と呼びます。機能局在が急激に病変に侵されると,機能障害が生じます。しかし,機能局在に病変がゆっくり進展したとき,脳は自らの機能を守るために脳機能が本来の機能局在から移動することがあります(機能シフト)。これは脳の可塑性(※5)のメカニズムの一つです。しかし,機能シフトの特徴についてはまだよく分かっていません。
研究成果の概要
本研究では,左大脳半球の脳腫瘍症例を対象として,後方言語野(ウェルニッケ領域,※6)の機能シフトの特徴を覚醒下手術所見と安静時機能的 MRI という手法を用いて調べました。覚醒下手術とは脳内病変に対する手術において,機能障害を来さないようにするために機能局在を手術中に調べながら行う手術の方法です。
ウェルニッケ領域に病変が及んでいる群とウェルニッケ領域から病変が離れている群の 2 群に分けて言語機能の分布を調べた結果,ウェルニッケ領域に病変が進展すると,言語機能は縁上回(※7)後方に広がることが分かりました(図 1)。興味深いことに,縁上回後方は脳機能のハブでした。なお,ウェルニッケ領域に病変が進展している症例の言語機能は正常でした。これらのことは,病変がウェルニッケ領域に進展すると,脳のハブ領域が言語機能を代償することを示しています。
図1.覚醒下手術所見
色が赤に近いほど,言語機能を多くの症例で認めたことを示す。ウェルニッケ領域から病変が離れている症例群は本来の言語領域に近い部分に言語機能が分布している(左)。
一方,ウェルニッケ領域に病変が進展している症例群はその後方(縁上回後方)にまで広く言語機能が分布している(右)。
図 2.本研究のまとめ
今後の展開
本研究により,いまだ解明されていないヒト高次脳機能の機能シフトの特徴が明らかになりました。高次脳機能はヒトのみが持つ特異な脳機能であり、脳科学研究で主流の動物モデルを用いた研究での解明は困難です。本研究における発見は,今後の脳科学研究の発展に大きく寄与することが期待されます。
用語解説
※1:言語機能
ヒトの言語機能は話す,聞く,書く,読む機能で構成される。本研究では話す機能について調べた。
※2:覚醒下手術
覚醒下手術とは,脳内病変に対して行われる手術の手法である。手術中に患者さんを覚醒させ,ヒトが生きていく上で重要な機能である運動,感覚,言語などを調べながら行う手術のことである。この手術により,脳機能を障害することなく病変を確実に摘出することができる。
※3:安静時機能的 MRI
刺激や課題のない状態で脳活動を測定する。測定された信号の変動から,離れた脳領域間の神経活動の相関,すなわち,機能的な結合程度を推測することができる。
※4:ハブ
ネットワークの中心的役割を果たす領域をハブという。ハブは周辺の複数の領域と多くつながっているネットワーク拠点である。
※5:脳の可塑性
脳は病変などに侵されたとき,機能を維持するために脳内の神経回路を再編成する性質があり,可塑性と呼ぶ。
※6:ウェルニッケ領域
脳には言語をつかさどる 2 つの主要な領域がある。ウェルニッケ領域はその一つであり,上側頭回後方(側頭葉の後方)に位置する。
※7:縁上回
頭頂葉の下部(下頭頂小葉)に位置する領域をさす。
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