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「記憶形成には悪玉因子、活性酸素が必要」-No.324




悪玉因子、活性酸素が記憶形成に必要であることを解明

―抗酸化物質の過剰摂取に警鐘―




概要


 活性酸素は老化や生活習慣病の原因物質として知られる一方で、生体内でも酵素の働きにより積極的に産生されており、生理的な役割も担うと推測されています。脳でも活性酸素を作る酵素の存在が示されていましたが、記憶などの脳機能への関与は不明でした。


 京都大学薬学研究科 柿澤昌 准教授、東京都健康長寿医療センター研究所 遠藤昌吾 研究部長、石神昭人副所長、東北大学大学院医学系研究科 赤池孝章教授らの研究グループは、身体にとって悪玉とされる“活性酸素”が記憶の形成に必要不可欠であることを発見しました。また、抗酸化物質として運動選手や一般大衆に用いられるビタミン E で活性酸素を除去すると運動記憶が阻害されることも示しました。


今回明らかになった活性酸素による脳機能の制御系はヒトを含む高等生物に広く保存されており、記憶の新しい機構として神経科学に役立つとともに、適切な抗酸化物質摂取方法等を通して、国民の健康長寿や QOL の維持に役立つと期待されます。


本研究のイメージ図:活性酸素の機能的役割のパラダイムシフト

 



背景


活性酸素(注 1)は、老化や生活習慣病の原因物質として、その”悪玉作用”がよく知られています。活性酸素は、生体内においてエネルギー酸性の副産物として常に産生されています。常に産生される悪玉活性酸素を除去する抗酸化物質(注 2)は、抗老化作用を持つ物質としてアスリートや一般大衆に用いられています。

一方で、生体内では、必要な時に必要な場所で産生される制御された活性酸素が存在します。このような時間的空間的に制御された活性酸素は生体内において重要な生理機能を担うと考えられています。脳にも活性酸素を作る酵素が存在しますが、この活性酸素がどのような脳機能に関わるのかは不明でした。

脳の中でも、運動の調節に関わる小脳(注 3)には、活性酸素を作る酵素が比較的多く存在します。そこで我々は、酵素由来の制御された活性酸素が、“善玉活性酸素”として小脳の重要な機能である運動記憶形成に関与すると考え、本研究に取り組みました。




研究手法・成果


 活性酸素が記憶に関与するのであれば、活性酸素を除去したり作用できないようにすると、記憶が阻害されるはずです。そこでまず、活性酸素を吸収する作用があり、抗酸化物質としても知られるビタミン E を、マウスに通常の 2 倍量を 8 週間与え続けました。

その結果、過剰のビタミン E を投与したマウスでは、小脳に依存する運動記憶(注 4)が顕著に阻害されました。ビタミン E はエサを通じて投与されたので、脳以外の部位にも影響が及ぶことが考えられます。そこで次に、活性酸素を消去する酵素をマウスの小脳に注入して、小脳限定的に活性酸素を除去したところ、ビタミン E 過剰投与と同様に運動記憶が阻害されました。


脳では神経細胞同士はシナプス(注 5)によって接続されており、シナプスを介して情報を伝えます。そして、記憶形成される時には、シナプスにおける情報伝達が増強されたり減弱(抑圧)されます。この様にシナプスでの情報伝達が変化することをシナプス可塑性(注 6)と呼びます。小脳で運動記憶が形成される時には、小脳において「長期抑圧」と呼ばれるシナプス可塑性が必要ですが(図1)、活性酸素を消去する酵素の投与により長期抑圧が完全に阻害されました。これらの結果から、活性酸素が小脳依存性運動学記憶、さらに、運動記憶の神経基盤となるシナプスの可塑的変化に関与することが示されました。


図 1 改 1. シナプス可塑性 神経細胞同士の接合部位であるシナプスにおいては、神経伝達効率の大きさが、個体の経験などによって変化する。この様な性質を「シナプス可塑性」と呼び、学習記憶の細胞レベルでの基盤となることが示されている。伝達効率が持続的に大きくなるものを長期増強(long-term potentiation; LTP)、小さくなるものを長期抑圧(long-term depression; LTD)と呼ぶ。本研究では、運動記憶の基盤となる小脳シナプスの LTD に活性酸素が必要であることが示された。

 

 上の二つの実験では、「運動記憶やシナプスの可塑的変化が起こる時に活性酸素が作られる」と仮定して、活性酸素の分解酵素を注入し、運動学習やシナプス可塑性が阻害されることを示しました。ほんとうに運動学習やシナプス可塑性が起こる時に活性酸素が作られるのでしょうか?そこで「活性酸素イメージング(図 2)」を用いて、実際にシナプス可塑性時に活性酸素が作られることを明らかにしました。この時に活性酸素を作る酵素の阻害薬を加えておくと、活性酸素の産生は観察されないことから、長期抑圧が起こる時には酵素の働きによって、小脳の神経細胞で活性酸素が作られることが明らかとなりました。


図 2 活性酸素イメージング. 神経細胞(緑色色素で染まっている)内で活性酸素の濃度が上昇すると赤色蛍光が明るくなる。このことにより、いつ、どこで活性酸素が作られたのかがわかる。

 

 生体内での活性酸素シグナルの寿命は1秒以下であり、また周辺のタンパク質などの生体高分子とも反応するため飛距離も短かく、活性酸素は産生後すぐに消えてしまいます。一方、シナプスの可塑的変化、例えば小脳のシナプス可塑性は数十分以上続きます。一瞬で消える活性酸素が、シナプスの可塑的変化や運動記憶の様に、何十分、何時間も続くためには、長時間作用を持つ分子が必要です。そこで我々は、「8-ニトロ-サイクリック GMP(注 7)」という新しい分子に着目しました。この分子の産生には活性酸素が必要であること、そして、8-ニトロ-サイクリック GMP は非常に分解されにくく、長期間にわたって他分子に影響を及ぼす性質を有するからです。つまり、神経活動により産生された短寿命の活性酸素は、この 8-ニトロ-サイクリック GMP を介して、長時間持続するシナプスの可塑性そして運動学習へと変換されると考えました。そこで、今度は 8-ニトロ-サイクリック GMP の阻害薬が、運動記憶および小脳シナプスの長期抑圧を阻害することを見出しました。

以上の結果から、従来、悪玉因子とされていた活性酸素が、小脳が司る運動記憶に関与することを示しました。さらに、短寿命な分子である活性酸素が、8-ニトロ-サイクリック GMP という長寿命分子を介して、運動記憶の様に長時間にわたる脳機能に関与することを示しました。これらの発見は、生体内で活性酸素が生理活性物質として働くことを示しており、「活性酸素は悪玉」とする従来の概念を覆します。この結果は、神経科学やレドックス・バイオロジー(注 8)などの分野、そして、リハビリテーション学や老化研究などに大きなインパクトを与えます。




波及効果、今後の予定


 従来、活性酸素は老化や生活習慣病の原因因子として知られ、活性酸素を「除去」することが生体に良い影響を及ぼすと考える人が大多数でした。活性酸素を除去する作用を持つ「抗酸化物質」は、抗老化物質の有力な候補であり、また、運動中には多量の活性酸素が作られることから激しい運動をするアスリートなども積極的に抗酸化物質を摂取しています。しかし、過剰な抗酸化物質摂取が、生体に好ましい影響を与えないこともわかってきました。


今回の研究により、活性酸素が運動記憶に必要な善玉物質でもあることが示されました。このことは、過剰な抗酸化物質摂取は善玉活性酸素を除去して運動記憶を妨害する可能性を意味します。

本研究中でも、抗酸化物質の一種、ビタミン E の過剰投与が運動学習を阻害することを示しました。

今後、抗酸化物質の適切な摂取に関する研究や活性酸素―8-ニトロ-サイクリック GMP の研究が進むことで、リハビリにおける運動記憶形成の効率化や各種運動能力の鍛錬方法の開発に役立つとともに、超高齢社会においては運動効率の亢進を通じた健康寿命の延伸や高齢者の QOL の維持・促進に役立つことが期待されます。




用語解説


(注 1) 活性酸素:

酸素分子が、より反応性の高い化学物質に変化したものの総称。スーパーオキサイドや過酸化水素などが含まれる。酵素などのタンパク質や DNA などの核酸修飾をして、多くの場合は、それら分子の機能を阻害することから、老化や生活習慣病などの原因因子として知られる。


(注 2) 抗酸化物質:

活性酸素が関与する有害な反応を軽減または除去する物質の総称。活性酸素またはその反応中間物と反応することで、活性酸素が関与する有害な反応を停止する。本研究で用いたビタミン E の以外にも、ビタミン C やポリフェノール、フラボノイドなどが知られる。


(注 3) 小脳:

大脳の尾側(直立したヒトにおいては後方)に位置する脳の領域の一つ。脳全体の 10%程度の容量だが、大脳細胞数が約 150 億個であるのに対し小脳は約 1000 億個で、脳全体の神経細胞数の半分以上を占めるとされる。運動制御、身体の平衡、眼球運動を司る脳領域として知られるが、近年、認知機能・情動への関与も明らかにされている。


(注 4) 運動記憶:

記憶には、言葉で説明できる陳述記憶(年号の記憶)と、説明できない非陳述記憶(自転車の乗り方)がある。陳述記憶は、容易に形成され簡単に失われやすく、主に海馬が重要な役割を果たす。一方、非陳述記憶の一つである運動記憶は形成に時間が必要だが、一度獲得するとなかなか失われない。小脳が重要な役割を果たす。


(注 5) シナプス:

神経細胞と神経細胞、あるいは神経細胞と筋細胞が接合する部位で、これら細胞間における情報伝達を担う。個々の神経細胞内では、情報は電位変化として伝えられるが、シナプスでは一般的には、神経伝達物質と言う化学情報に変換されて情報が伝達される。


(注 6) シナプス可塑性:

シナプスでは、その結合の強さ(伝達される情報の大きさ)は、必ずしも不変ではなく、必要に応じて、大きくなったり(増強)、小さくなったり(抑圧)するが、この様な変化をシナプス可塑性と言う。一つ一つのシナプスの大きさや、シナプスの数が変わることで、伝達される情報の大きさも変化する。


(注 7) 8-ニトロ-サイクリック GMP:

細胞名では、サイクリック GMP(cGMP)と言う分子がシグナル伝達分子として、生理機能を調節する。8-ニトロ-サイクリック GMP と cGMP は類似の構造を持ち、標的や作用も類似しているが、8-ニトロ-サイクリック GMP は cGMP と比較して長寿命であることが特徴である。たとえば、狭心症薬であるニトログリセリンは、生体内で産生された 8-ニトロ-サイクリック GMP が cGMP 依存性キナーゼを長期間活性化して持続的な血管平滑筋の弛緩を導く。


(注 8) レドックス・バイオロジー:

レドックス(redox)とは、還元(reduction)と酸化(oxidation)から成る造語で、酸化還元(反応)を意味する。生体内では、様々な酸化還元反応を介した生理機能制御がなされる。この様な酸化還元を介した生体機能の制御機構を研究する学問分野をレドックス・バイオロジーと呼ぶ。

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