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「迷走神経は情動を形成するための脳活動と連動する」-No.287





迷走神経は情動を形成するための脳活動と連動する

―治療抵抗性のうつ病などに対する新規治療法開発への貢献に期待―




発表のポイント


1.内臓の情報を脳へ伝達する迷走神経は、前頭前皮質や扁桃体の脳波パターンと連動して、

 正常な情動の形成に関与することを示しました。


2.このような生理活動は、精神的ストレスを負荷すると減弱し、迷走神経を慢性的に刺激す

 ると回復しました。


3.迷走神経と脳の連動が、ストレスやこころの状態を理解するために重要であることが示さ

 れ、より正確な精神疾患に対する治療法の考案が期待されます。




概要


 長い間、情動は脳によってつくられると考えられてきました。しかし最近の研究では、情動は脳だけでなく、様々な内臓の状態にも影響を受けることがわかっています。中でも、身体を走行する迷走神経が重要であると考えられますが、その詳細な生理メカニズムは不明でした。


 東北大学大学院薬学研究科の佐々木拓哉教授と、東京大学大学院薬学系研究科の池谷裕二教授らの研究グループは、マウスにおいて、迷走神経と、情動に重要な脳の前頭前皮質および扁桃体の活動がどのように関連するか解析しました。健常なマウスでは、迷走神経の活動に対応して、不安の増減と共に変動するような前頭前皮質と扁桃体で見られる脳波パターンの強弱が明確に連動することがわかりました。しかし、精神的なストレスを負荷してうつ..様状態になったマウスでは、このような連動が観察されなくなりました。こうした病態生理変化は、迷走神経の電気刺激により、回復することが確認されました。


 本研究成果は、私たちのこころ...の状態を正確に理解するために、脳だけでなく、迷走神経に着目することが重要であることを示唆します。このような考え方は、臨床研究において最近着目されている迷走神経刺激の治療法についても、新しい脳メカニズムを考察する契機となります。




図 1. 本研究成果の概要図健常マウスでは、前頭前皮質の 20-30 Hz 帯の脳波の増減が、

   迷走神経活動と連動する。

   このようなマウスでは、不安が高まるような環境で、安静な行動の状態を保つことが

  できる。しかし精神的ストレスを負荷したうつ..様マウスでは、このような迷走神経と

脳の連動が減弱し、安静状態を保てなくなる(赤矢印、右側)。うつ..様マウスの迷走神

経を慢性的に電気刺激すると、健常マウスと同じような生理活動と安静状態に回復す

   る(青矢印、左側)。




研究背景


私たちの脳は、喜怒哀楽などの情動を形成するために重要です。しかし、最近の研究から、情動は脳だけでなく、身体とりわけ様々な内臓(末梢臓器)の生理状態にも影響を受ける可能性が示唆されています。例えば、腸内の環境が悪化すると、うつ状態になりやすいことや不安が高まることなどが知られています。このような末梢臓器の情報を脳へ伝達するために重要な経路として、求心性の迷走神経(注 1)が知られています。

しかし、求心性迷走神経がどのような神経活動を生じているか、どのように脳の活動や情動の変化に影響を与えるかということは解明されていませんでした。

また、臨床研究においては、迷走神経を電気刺激することで、治療抵抗性うつ病に著効をもたらすことや、快の情動が現れやすくなることなどが知られています。このような効果が、実際にどのような脳の活動によるものなのか、その生理メカニズムは解明されていませんでした。

東北大学大学院薬学研究科の佐々木拓哉教授と、東京大学大学院薬学系研究科の池谷裕二教授らの研究グループは、迷走神経と、情動に関連する脳領域である前頭前皮質および扁桃体の関係に着目し、これらの生理信号を同時計測することで、ストレスや不安に関連した新しい神経メカニズムの解明に取り組みました。

 


注 1:脳と末梢臓器を繋ぐ神経は、脳から末梢の方向へ伝達する遠心性、末梢から脳の方向

   へ伝達する求心性の 2 つがあります。求心性迷走神経は、様々な内臓の状態を伝え

   ています。




研究の概要


 本研究グループは、実験動物モデルとしてマウスを用いました。マウスはヒトとほぼ同様の迷走神経の構造を有しており、また様々な環境やストレスに対して不安様の状態やうつ..様の状態を示します。まず、マウスの頸部の迷走神経にカフ型電極を設置して、安静時における迷走神経の電気的な神経活動を計測しました(図 2)。


マウスに、他のマウスから攻撃されるような慢性的な精神的ストレス(社会的敗北ストレス)を負荷すると、迷走神経の活動は減弱しました(図 3)。

 

また、これらのマウスの不安状態を定量するために、高架式十字迷路試験を行いました。この試験では、壁のない通路(オープンアーム)と、壁がある通路(クローズドアーム)をマウスに自由に行き来させて、不安の状態を定量します(図 4)。

健常なマウスは、クローズドアームで安静を保つことができ、オープンアームでは迷走神経の活動が最も高く、クローズドアームの移動中、停止中の順に低くなるという明確な変動が見られました(図 4)。一方で、ストレスを負荷したうつ..様のマウスは、クローズドアームでも頻繁に動き回って安静を保てなくなり、オープンアームとクローズドアームの間で生じる迷走神経活動の差が観察されませんでした(図 4)。


これらの結果は、精神的ストレス負荷が、不安状態を誘発し、迷走神経にも影響することを示しています。

 

 次に、脳のメカニズムを調べるために、情動に重要である前頭前皮質と扁桃体に金属電極を埋め込みました(図 5)。


これらの脳領域の活動(脳波パターン)を検証したところ、健常マウスでは、迷走神経の活動の増減に対して、前頭前皮質および扁桃体における 20-30 Hz 帯の脳波の大きさが相関することがわかりました。これらの脳波は、上述の高架式十字迷路における迷走神経の活動の変化とも良く一致していました。一方で、他の動物個体から攻撃されるような社会的ストレスを負荷したうつ..様のマウスでは、迷走神経の活動と前頭前皮質の脳波の連動が観察されなくなり、オープンアームとクローズドアームの移動・停止中の差も見られなくなりました(図 6)。

 

うつ..様のマウスにおいて、迷走神経の活動が減弱し、脳波との連動が消失するということは、迷走神経を賦活化すれば、精神状態や脳の活動が健常に近づく可能性があります。そこで、うつ..様のマウスの迷走神経を 2 週間にわたって慢性的に電気刺激したところ(図 6)、健常マウスと同様に、高架式十字迷路における前頭前皮質における脳波パターンが正常化し(オープンアームとクローズドアームの移動・停止中の差が見られる)、安静を保つことができるようになりました。以上の結果から、迷走神経刺激の治療効果は、前頭前皮質の正常な活動と関連していることが示唆されました。



図 2. マウスの迷走神経にカフ型電極を設置し、電気的な神経活動を計測した。


図 3. 社会的敗北ストレス(他の動物個体から攻撃)を負荷したうつ様マウスでは、健常マウ

   スに比べて、安静時の迷走神経活動が減弱した。*P < 0.05。


図 4 高架式十字迷路において、健常マウスの迷走神経の活動は、壁のないオープンアーム

(白)で高く、壁があるクローズドアーム(灰色)で低くなった。一方、うつ様マウスで

は、こうした変動が観察されなかった。


図 5. 前頭前皮質と扁桃体に金属電極を埋め込み、脳波信号を計測した。


図 6. ストレスを負荷したうつ様マウスでは、高架式十字迷路において、前頭前皮質の 20-

30 Hz の脳波の大きさが変化しなくなった(赤色)。しかし、迷走神経を慢性的に電気

刺激したマウス(青色)では、前頭前皮質における脳波パターンが正常化した。

*P < 0.05。




社会的意義と今後の展望


 情動の表出には、脳の前頭前皮質や扁桃体が重要です。本研究では、このような脳機能の形成に、迷走神経との連動が重要であることを発見しました。このことは、私たちの情動やストレスの量など、こころの状態を正確に推定するには、脳のみならず、迷走神経をはじめとした末梢臓器の生理状態に目を向ける必要があることを示唆しています。例えば、身体から計測される心拍や呼吸リズム、血液中の粒子組成などが、重要な指標になると考えられます。

また近年、迷走神経の電気刺激療法が治療抵抗性のうつ病などに対する新規治療法として注目されています。このような治療法の生理メカニズムはこれまでほとんど解明されていませんでしたが、本研究で見出した迷走神経と前頭前皮質や扁桃体との連動は、治療効果の一端を反映していると考えられ、今後の更なる治療標的の考案にも繋がると期待されます。

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