未在 -Clinics that live in science.- では「生きるを科学する診療所」として、
「健康でいること」をテーマに診療活動を行っています。
根本治癒にあたっては、病理であったり、真の原因部位(体性機能障害[SD])の特定
(検査)が重要なキー(鍵)であると考えています。
このような観点から、健康を阻害するメカニズムを日々勉強しています。
人の「健康」の仕組みは、巧で、非常に複雑で、科学が発達した現代医学においても未知な世界にあります。
以下に、最新の科学知見をご紹介します。
小児炎症性腸疾患の新たな原因が判明
~エピジェネティックなメカニズムによるSLCO2A1の発現抑制が原因に~
順天堂大学大学院医学研究科小児思春期発達・病態学の伊藤夏希非常勤助手、工藤孝広先任准教授、清水俊明教授、難病の診断と治療研究センターの江口英孝准教授、岡﨑康司教授、国立成育医療研究センター消化器科の新井勝大部長、群馬大学大学院医学系研究科小児科学分野の石毛崇講師らの共同研究グループは、小児炎症性腸疾患(IBD)*1 の新たな発症原因を解明しました。SLCO2A1 *2 は、一つの遺伝子の機能が阻害されて引き起こされる IBD の原因遺伝子の一つです。
本研究では、姉妹の小児 IBD 患者において、腸管にある細胞の DNA メチル化*3 により、SLCO2A1 遺伝子発現の抑制が起こり、IBD を発症した可能性が示されました(図 1)。この原因特定は、将来の治療法選択の礎となる重要な知見です。
背 景
IBD の病因は遺伝的背景に加え、食生活や腸内細菌叢の変化などの環境要因が複雑に相互作用し発症に至ると考えられています。ごく若年の小児期に発症する IBD は遺伝学的要因が強いとされ、その中には一つの遺伝子の機能が阻害されて引き起こされる、いわゆる monogenic IBD が含まれています。このような IBD は薬剤による標準治療には抵抗性を認めることが多いため、その原因の特定は治療方針を策定する上で重要な情報となります。
Monogenic IBD の原因遺伝子の一つである SLCO2A1 は、炎症メディエーター(生理活性物質)であるプロスタグランジン E2 の細胞内取り込みを担うトランスポーターで、その働きが阻害されると慢性的に炎症が引き起こされます。SLCO2A1 の遺伝子異常が、両親から受け継いだ遺伝子のいずれにも存在すると、浅い潰瘍が小腸に多発する非特異性多発性小腸潰瘍症という monogenic IBD を発症します。近年、IBDの原因を特定するための遺伝学的検査が保険適応となりました。しかしながら、この検査では原因が特定できない小児の IBD 患者も一定数見つかってきており、治療戦略を考える上で臨床上の大きな課題となっています。
内容【図 2】
本研究では、若年で発症した姉妹 IBD 患者を対象としています。妹は 2 歳時に血便と下痢を発症し、内視鏡検査で大腸に散在するびらん(皮膚や粘膜の表皮が欠けたただれ)と、小腸に多発する潰瘍を認めました。姉は 9 歳時に周期的な腹痛と発熱を発症し、内視鏡検査で大腸は正常粘膜で、小腸に多発する潰瘍を認めました。遺伝学的要因の関与が疑われ、全エクソーム解析(遺伝子をコードする領域であるエクソンに由来する DNA 分子だけを遺伝子解析する手法)で要因探索を行なったところ、いずれの症例でも SLCO2A1 遺伝子の片側アレル(対立遺伝子)にスプライシングサイトバリアント(c.940+1G>A)を共通して検出しました。これまで SLCO2A1 が原因となる IBD としては、非特異性多発性小腸潰瘍症のみが知られていますが、この病気は両親から受け継いだ両側のアレルいずれにも病気の原因となる遺伝子の変化があるもので、この姉妹例は適合しません。
SLCO2A1 が遺伝学的要因以外で関与する可能性について検討するために、腸管の生検組織を用いて、後天的な DNA の修飾である DNA メチル化解析(バイサルファイトシークエンス)を行いました。姉妹の炎症を起こしている病変においてのみ、この SLCO2A1 の遺伝子発現を制御するプロモーター領域が高度にメチル化されていることが示されました。さらに、SLCO2A1 の RNA 発現解析(リアルタイム PCR)およびタンパク発現解析(免疫蛍光組織染色)を行ったところ、姉妹の炎症病変では、対照群と比較して SLCO2A1 の発現が著しく低下していることを確認しました。この SLCO2A1 は炎症を仲介するプロスタグランジン(PG) E2を細胞内に輸送するタンパク質であり、SLCO2A1 の機能が低下すると PG の代謝が抑制され、細胞表面の PG のシグナル伝達が増加し炎症が誘発されます。代謝への影響を調べるために、尿中の PG 代謝産物を測定したところ、姉妹いずれも非特異性多発性小腸潰瘍症の患者と同等であり、対照群よりも高値でした。さらに症状が重症な妹では、姉よりも高濃度の PG 代謝産物が検出されました。これらの結果から本姉妹症例の発症メカニズムとして、腸管の細胞で DNA メチル化により SLCO2A1 の遺伝子発現が抑制されることにより、PG の取り込み機能が抑制され、高濃度の PG が腸管粘膜に慢性の炎症を引き起こした可能性が示されました。これにより、腸内細菌叢の変化や、食生活、運動などの環境要因等が SLCO2A1 の遺伝子発現に影響し、腸管粘膜の炎症を引き起こす可能性が示されました。
本研究成果のポイント
1.臨床的に単一遺伝子が原因となる IBD が疑われた小児患者に、全エクソーム解析、DNA
メチル化解析、RNA・タンパク発現解析、代謝産物測定などの機能解析を行った。
2.SLCO2A1 の病的バリアントを片側アレルに有する患者で、腸管で DNA メチル化によ
るSLCO2A1 の発現抑制が加わり、IBD を発症した可能性が示された。
3.IBD 発症におけるエピジェネティック*4 な変化に着目した新たな治療選択につながる。
今後の展開
これまで SLCO2A1 が関与する炎症性腸疾患の原因としては、両親から引き継いだ両側アレルに病気の原因となるような遺伝子の変化のみが知られていました。今回の研究により、遺伝学的検査のみからでは原因が特定されなかった症例で、腸管の局所に後天的な DNA の修飾(DNA のメチル化)がおき、遺伝子発現が抑制され、PG の取り込み活性の低下を引き起こし、その結果として IBD 発症に至った可能性が示されました。SLCO2A1の DNA メチル化がどのようにして引き起こされたのか、まだ明らかになっていませんが、候補となる要因の一つとして腸内細菌叢の関与が考えられます。腸内細菌叢が乱れることにより一過性に炎症を引き起こし、これにより特定の遺伝子の DNA メチル化が亢進する可能性が考えられます。
今回の結果から、保険適応となっている遺伝学的検査で原因が特定できなかった小児症例で尿中の代謝産物を測定する重要性が示されました。原因が特定されることにより、臨床経過が重症化した時にも、最適な薬剤を選択し治療を行えるものと考えられます。
用語解説
*1 炎症性腸疾患(IBD):
inflammatory bowel disease、消化管粘膜に原因不明の慢性炎症を引き起こす疾患。近年、日本でも患者数が増加している。
*2 SLCO2A1 遺伝子:
単一遺伝子疾患による炎症性腸疾患の一つである非特異性多発性小腸潰瘍症の原因遺伝子。炎症メディエーターであるプロスタグランジン E2 の細胞内への取り込みを担う。
*3 DNA メチル化:
最もよく知られているエピジェネティック制御機構の一つ。DNA 中の塩基の炭素原子に
メチル基が修飾される化学反応。遺伝子発現の制御に関わるプロモーター領域で認められる CG の2塩基が密集している箇所(CpG アイランド)でこのメチル化が高度に起こると、その遺伝子の発現が抑制されることが知られている。
*4 エピジェネティック:
DNA の塩基配列変化を伴わない遺伝子発現制御の仕組み。
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