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健康を科学で紐解く シリーズ134 「ピロリ菌が胃がん発症を促進する新たな仕組みを解明」


未在 -Clinics that live in science.- では「生きるを科学する診療所」として、

「健康でいること」をテーマに診療活動を行っています。

根本治癒にあたっては、病理であったり、真の原因部位(体性機能障害[SD])の特定

(検査)が重要なキー(鍵)であると考えています。

このような観点から、健康を阻害するメカニズムを日々勉強しています。


人の「健康」の仕組みは、巧で、非常に複雑で、科学が発達した現代医学においても未知な世界にあります。


以下に、最新の科学知見をご紹介します。


 


ピロリ菌が胃がん発症を促進する新たな仕組みを解明

カエル胚の発生異常を手がかりに

ピロリ菌のがんタンパク質の新たな細胞内標的分子を発見




 微生物化学研究会・微生物化学研究所(第3生物活性研究部)の畠山昌則部長(兼 北海道大学・遺伝子病制御研究所・感染癌研究センター特任教授)、順天堂大学大学院医学研究科(生化学・生体システム医科学)の金光(髙橋)昌史助教らの国際共同研究グループは、ピロリ菌のがんタンパク質 CagA が胃がんの発症を促進する新たなメカニズムを明らかにしました。


 研究グループは、CagA をカエルの胚に発現すると胚の正常な発生が阻害される現象を見出し、これを手がかりとして、CagA が胃上皮培養細胞で VANGL というタンパク質と結合し、その機能を阻害することを発見しました。さらに、全身の細胞の中から胃の上皮細胞にのみ CagA を発現することができる遺伝子改変マウスを作製し、このマウスを用いたピロリ菌感染の模倣実験によって、実際の胃の粘膜上皮で CagA が VANGL の機能を阻害して、胃上皮の幹細胞/前駆細胞の異常増殖を引き起こすことを明らかにしました。


 本成果は、VANGL の機能異常が、ピロリ菌感染による胃発がんにとどまらず、広範な上皮組織における発がんのメカニズムに重要な役割を担うことを示唆する新規知見です。




研究成果(ポイント)(主な発見)


1.アフリカツメガエルの胚に CagA を発現すると、上皮細胞の協調的な集団移動が阻害

 され、形態異常の胚が発生する


2.CagA による細胞集団移動の阻害は、CagA が VANGL というタンパク質と結合し、

 VANGL の機能を抑制することが原因で生じる


3.マウスの胃の粘膜上皮で、CagA は実際に VANGL の機能を阻害し、細胞増殖を異常に

 活性化する




背景


 ヘリコバクター・ピロリ(ピロリ菌)*1 は、ヒトの胃粘膜に慢性感染する細菌で、感染した胃上皮細胞にCagA タンパク質*2 を注入することで胃がんの発症を促します。


今日までのヒト胃上皮培養細胞を用いた研究から、CagA は胃上皮細胞内で細胞内シグナル*3 を伝達する種々のタンパク質と C 端側領域を用いて結合し、発がんに関わる細胞内シグナルを撹乱することが明らかにされてきました。

一方で、「生体内すなわちピロリ菌が主に棲息する胃の幽門・前庭部*4の粘膜上皮で、CagA はどのように発がんを促進するのか?」、「CagA の機能不詳の N 端側領域には、どのような病原活性が存在するのか?」など、未解明の課題が多く残されていました。


 研究グループは CagA が撹乱する未知の細胞内シグナルを明らかにすることで、この問題を克服しようと考えました。その手がかりとして、アフリカツメガエル*5 の胚*6 に CagA タンパク質を発現させ、その発生過程を正常な胚と比較する実験を発案しました。

アフリカツメガエルの胚がオタマジャクシへと正常に発生する仕組みは分子レベルでよく理解されており、適切に制御された細胞内シグナルによる細胞増殖・細胞分化・細胞移動の統合的な調節がその本態として知られます。研究グループは、CagA を発現させたアフリカツメガエルの胚が発生の過程で異常をきたした場合、その発生異常の背景にあるシグナル異常を詳細に解析することで、ヒト胃上皮で CagA が撹乱する新たな細胞内シグナルを見つけ出せると考えました。




内容


 研究グループは、ピロリ菌の CagA タンパク質を発現したアフリカツメガエル胚が、神経管の閉鎖不全*7や体軸の屈曲・短小化といった発生異常を生じることを見出し(図1)、

その原因が CagA による細胞の集団移動*8 の阻害であることを突き止めました。


図1:アフリカツメガエル胚にピロリ菌の CagA を発現すると、神経管閉鎖不全(発生異常)

  が生じる。

  アフリカツメガエル胚に CagA を発現すると、オタマジャクシになる前の時期で、

  神経管閉鎖不全とそれに関わる体軸の短小化・屈曲が生じます。神経管閉鎖不全はヒト

  新生児に高頻度で見られる先天性の発生異常であり、VANGL などの WNT/PCP シグ

  ナル制御分子の機能異常が発症の要因となります。また、発症の分子機構は、カエルー

  ヒトの脊椎動物間で同様の仕組みが使われています。



神経管閉鎖不全*7 は、我が国で 2000 人の新生児に対して 1 例以上の割合で診断される最も一般的な先天性欠損症のひとつであり、協調的な細胞集団移動を司る WNT/ PlanarCell Polarity (PCP:平面内細胞極性)シグナル*9を制御する一群のタンパク質の機能異常が発症の要因となります。


研究グループは、CagA を発現したカエル胚で観察された神経管閉鎖不全という形態異常を手がかりに、ヒト胃上皮細胞においても CagA は WNT/PCP シグナルを撹乱すると予想しました。結果、ヒト胃上皮培養細胞に発現させた CagA が、N 端側領域を介して、WNT/PCP シグナルを制御するタンパク質「Van Gogh-like(VANGL)*10」と細胞内で結合することを発見しました(図2)。VANGL は細胞膜に存在することで、細胞集団の協調的な移動を統率する機能を発揮します。研究グループは、機能不詳であった CagA の N 端側領域が VANGL結合領域としてはたらき、VANGL の細胞膜表面への移行を抑制することを発見し、これが CagA による WNT/PCPシグナル撹乱の原因であることを突き止めました(図2)。


図2:ピロリ菌の CagA タンパク質が引き起こす胃上皮細胞の WNT/PCP シグナルの撹乱

  [概念図]。

  [左] 正常な上皮細胞では、WNT/PCP シグナルを制御するタンパク質(FZD,VANGL

  など)は、細胞膜表面で互いに対面するように配置されます。これらのタンパク質が細

  胞膜表面で対面して存在することが、WNT/PCP シグナルの適切な制御に不可欠で

  す。適切に制御された WNT/PCP シグナルは、上皮細胞の協調的な集団移動(隣り合

  う上皮細胞同士が細胞間接着を維持したまま、細胞集団として、定められた方向に協調

  的に移動すること)を統率/指揮します。マーチングバンドの隊列移動に例えられる細胞

  集団移動は、胚発生での形態形成に必須の役割を担います。

   [右] ピロリ菌感染胃上皮細胞では、注入された CagA が細胞膜近傍で VANGL と結合

  します。CagA はVANGL と結合することで、VANGL の細胞膜表面への移行を抑制し

  ます。その結果、CagA が注入された胃上皮細胞では、WNT/PCP シグナルが制御不

  能の状態となり、協調的な細胞集団移動が阻害され、統制のない細胞運動が生じると考

  えられます。

   [緑色:VANGL の細胞内分布、水色:FZD の細胞内分布。WNT/PCP シグナルが統率

  する細胞の移動を矢印で示す(下図/水平断面図)。正常な上皮では統制された協調的な

  細胞集団移動が生じる(左)。一方、CagA が注入されたピロリ菌感染胃上皮細胞では、

  協調的な細胞集団移動が阻害され、上皮内で統制のない細胞運動が生じると考えられま

  す(右)。]



カエル胚やヒト胃上皮培養細胞で見出した、CagA が引き起こす VANGL の機能阻害(VANGL の細胞膜表面への移行の阻害)が、ピロリ菌感染による胃粘膜病変の発症にどのような役割をもつか明らかにするために、研究グループは、胃上皮細胞選択的に CagA を発現する遺伝子改変マウス*11を作製しました。このピロリ菌感染を模したマウスの胃の上皮細胞に CagA を発現すると、幹細胞ニッチ*12 領域を含む胃幽門腺*4 の底部で、VANGL が細胞膜から細胞質へと異常分布することを発見し、CagA が VANGL を機能阻害することをマウス生体の胃粘膜で明らかにしました(図3)。

さらに研究グループは、CagA により VANGL が機能阻害された幽門腺底部では、過剰な細胞増殖が引き起こされるとともに、分化した内分泌細胞が著しく減少していることも見出しました(図3)。一方、幽門腺とは対照的に、CagA による VANGL の機能阻害が見られない胃体部腺*4 では、CagA の発現は細胞増殖と細胞分化のいずれに対しても著明な影響を与えませんでした。


図3:ピロリ菌の CagA タンパク質による胃粘膜上皮幽門腺での発がんの促進 [概念図]。

  [左] 幽門腺は腺底部の幹細胞ニッチ*12 に存在する上皮幹細胞を源泉として、子孫細

  胞が分化しながら表層方向に協調的な細胞集団移動を行うことで形成されます[集団細

  胞移動を矢印で表示]。正常な幽門腺の底部では、VANGL が細胞膜表面に分布する細

  胞が多く観察されます。

  [右] ピロリ菌が感染し CagAが注入された幽門腺底部の上皮細胞では、VANGL が細

  胞質 に 異常 分布 し、WNT/PCP シグナル伝達異常や協調的な細胞集団移動の阻害が

  引き起こされます。これらの VANGL が阻害された胃幽門腺では細胞増殖が異常に亢

  進し、腺管の深さや腺管を構成する細胞数が増大するとともに、内分泌細胞に分化した

  細胞が減少します。一方で、CagA による VANGL の機能阻害が生じない胃体部腺で

  は、これらの増殖亢進性の変化は誘導されません。幽門腺底部には幹細胞ニッチ*12

  存在する事実をふまえると、幹細胞ニッチを構成する細胞における VANGL の機能阻

  害は、胃粘膜上皮の細胞増殖の異常活性化に重要な役割を担うことが考えられ、胃上皮

  の発がんを促すことが示唆されます。

   [紫色:上皮幹細胞、黄色:内分泌細胞、水色:FZD の細胞内分布、緑色:VANGL の細胞

  内分布]



 以上の結果から、研究グループは、ピロリ菌がんタンパク質 CagA の新たな細胞内標的分子として VANGL を同定し、CagA が VANGL と結合することで生じる WNT/PCP シグナルの撹乱が、胃幽門腺における幹細胞ニッチの形成に影響を与え、胃がん発症の母地となる胃上皮細胞の増殖・分化異常を引き起こすことを明らかにしました。




今後の展開


 本研究成果により、胃がんが最も好発する胃幽門前庭部において、幹細胞の幹性維持、増殖・分化制御に、上皮細胞の平面内集団移動および WNT/PCP シグナルが重要な役割を担うことが示唆されました。


胃上皮や腸管上皮など、広範な上皮組織では、幹細胞ニッチ*12 と呼ばれる上皮内の微小領域内で上皮幹細胞が適切な位置に配置されることが、上皮幹細胞の増殖や分化の適切な制御に不可欠と考えられています。したがって、様々な上皮組織においても、幹細胞の恒常性の維持に、WNT/PCP シグナルによる細胞集団移動の調節が重要な役割を担う可能性が推察され、同時に WNT/PCP シグナルの制御異常が種々の上皮組織において幹細胞の運命を変化させ、制御不能な細胞増殖を伴う「がん化」を促す可能性が考えられます。


 本成果を発端として、広範な上皮組織の「がん化」を抑制しうる、WNT/PCP シグナルを標的とした新たな医学・薬理学的介入法が開発されることに期待します。




研究者のコメント


 ピロリ菌はヒトの胃粘膜に安定的に接着して感染する一方、マウスの胃粘膜への接着は弱く安定的な感染が成立しません。したがって、ピロリ菌感染が引き起こすヒトの胃の病態を、マウスを宿主とするピロリ菌感染実験で模倣することは困難です。


この問題点を克服するために、研究グループは、胃上皮細胞選択的に CagA を発現する遺伝子改変マウスを世界に先駆けて作製しました。

胃粘膜幽門腺の上皮細胞で、CagA が実際に WNT/PCP シグナルを撹乱し、細胞増殖を過剰活性化した観察結果は、このマウスモデル以外の実験系では取得することができません。当該研究領域の国際的な競合の中でも、研究グループの優位性を示す新規知見です。




用語解説


*1 ヘリコバクター・ピロリ(ピロリ菌):


世界人口の約半数の人の胃に慢性感染している細菌。ピロリ菌の感染は、WHO の IARC(国際がん研究機関)によって、最もリスクが高い「グループ I の発がん因子」に規定されている。胃粘膜の中でも、特に胃酸分泌機能をもたない小腸側の幽門腺領域により多く棲息する。


*2 CagA タンパク質 [キャグエー]:


ピロリ菌がヒトの胃上皮細胞に注入するタンパク質。ヒト胃上皮細胞内に存在するタンパク質と結合して、その機能を撹乱することで発がんを促進する。細菌由来のがんタンパク質として知られる。


*3 細胞内シグナル(伝達):


細胞膜表面の受容体分子で細胞外のシグナル(情報)を受け取り、細胞内の伝達分子によるリレーを介して、細胞内の作業分子(エフェクター)の機能や発現を調節する仕組み。細胞内シグナル伝達の破綻は、がんを含む様々な疾患の発症要因となる。


*4 幽門腺・胃体部腺:


ヒトの胃粘膜は、胃酸分泌機能をもつ胃体部と、胃酸分泌機能をもたない前庭部・幽門部に大別されます。胃体部の上皮は胃体部腺と呼ばれる胃酸分泌腺を形成し、前庭部や幽門部の上皮は幽門腺から構成されます(図3)。幽門腺の底部には幹細胞ニッチ*12 と呼ばれる微小領域があり、ここに上皮幹細胞が存在します。幹細胞から生じた未熟な子孫細胞(前駆細胞)は、腺を構成する上皮細胞平面を胃の表層に向かい一方向性に協調的な集団移動を繰り返して上進し、その過程で内分泌機能などをもつ各種細胞に分化します。上皮幹細胞や前駆細胞の細胞増殖が制御不能な状態で活性化すると、発がんの原因となることが知られている。


*5 アフリカツメガエル:


生物学の研究で広く用いられる実験動物のひとつ。特に、発生生物学の研究で広く解析対象として用いられているため、1つの受精卵がどのように細胞分裂・細胞分化・細胞移動を繰り返し、胚や幼生が形態形成されていくのかが、分子レベルで理解されている。発生異常胚の形態(奇形)を解析することで、その原因となる分子機能の異常やシグナル伝達の異常を推察することができる(図1)。


*6 胚、胚発生:


多細胞生物の個体発生におけるごく初期の段階の個体のこと。受精直後から細胞増殖・細胞分化・細胞移動を繰り返して、組織や器官などの身体の構造や形態が形成されるプロセスを、胚の発生(胚発生)と呼びます。


*7 神経管閉鎖不全(Neural tube (closure) defect):


脊椎動物の胚発生の過程で、神経管(脊髄のもととなる構造物)の形成不良が生じること。VANGL や FZD に代表される WNT/PCP シグナル制御分子の機能異常によって、神経管の閉鎖を目的とした神経板上皮細胞の集団移動が阻害されることが主な要因となる(図1)。


*8 上皮細胞の集団移動(Collective cell migration):


上皮細胞で構成された上皮細胞平面内を、複数の*8 上皮細胞の集団移動(Collective cell migration上皮細胞が細胞間接着を維持したまま、一方向性かつ協調的に細胞集団として移動すること(図2)。胚発生における形態形成に必須の役割をもつ。移動の方向や速度は WNT/PCP シグナル伝達によって制御されている。細胞集団移動はマーチングバンドの隊列移動に例えられ、その場合、WNT/PCP シグナルは統率者/指揮者として理解することができる。


*9 WNT/PCP(Planar cell polarity=平面内細胞極性)シグナル伝達 [ウィント/ピーシーピ

  ー]:


上皮細胞平面内に存在する細胞集団をある秩序にもとづいて集団移動する際に使われる細胞内シグナルの仕組み。

胚発生において、形態形成を担う集団細胞移動で不可欠な役割をもつ。対面する側方の細胞膜のそれぞれに VANGL や FZD などの分子が向かい合って配置されることが、WNT/PCP シグナル伝達や細胞の集団移動の制御に必要と考えられている(図2)。


*10 VANGL [ヴァングル](Van Gogh-like):


WNT/PCP シグナルを制御する主要分子の1つ。細胞膜貫通型の足場タンパク質であり、細胞膜上で WNT/PCP シグナル伝達の制御を行う。VANGL 遺伝子の先天性の機能欠損型変異は、ヒト・マウス・カエルなどの脊椎動物において神経管閉鎖不全の原因となる。ヒトの VANGL遺伝子は、ハエの祖先遺伝子 Vang (Van Gogh)と相同の機能をもつ。Vang 遺伝子に機能異常をもつハエでは、羽根の微毛が Van Gogh(ゴッホ)の絵画の筆使いを想起させるような異常な毛並みとなることから、Vang(Van Gogh)あるいは VANGL(Van Gogh-like)と命名されています。


*11 遺伝子改変マウス:


人工的な操作によって外来性の遺伝子がゲノム内に導入されたマウスのこと。本研究の場合は、ピロリ菌の cagA 遺伝子がゲノム内に人為的に挿入されたマウス ES 細胞をもとに得られた新生マウスのことを指す。


*12 幹細胞ニッチ(Stem cell niche):


幹細胞が生育するための上皮内の微小領域(ゆりかご)。幹細胞や未分化性の子孫細胞(前駆細胞)が、それらの細胞の複製・分裂・分化を調節する種々の機能性細胞と近接して形成される微小領域のこと。胃粘膜幽門腺では腺管底部に存在する(図3)。幹細胞は、どのような機能性細胞が隣り合うかによって、その後の運命(増殖/分化など)が決まるため、幹細胞ニッチ内で幹細胞が適切な位置に配置されることが、胃上皮の恒常性維持に必須である。幹細胞あるいは幹細胞ニッチの機能異常は、上皮細胞の増殖/分化の脱制御を引き起こし、がんなどの疾患の発症要因となる。





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