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健康を科学で紐解く シリーズ151 「“ゴルジ体極性シフト”が赤ちゃんの脳で神経回路を形作る」


未在 -Clinics that live in science.- では「生きるを科学する診療所」として、

「健康でいること」をテーマに診療活動を行っています。

根本治癒にあたっては、病理であったり、真の原因部位(体性機能障害[SD])の特定

(検査)が重要なキー(鍵)であると考えています。

このような観点から、健康を阻害するメカニズムを日々勉強しています。


人の「健康」の仕組みは、巧で、非常に複雑で、科学が発達した現代医学においても未知な世界にあります。


以下に、最新の科学知見をご紹介します。


 


ゴルジ体の動きが神経回路発達の原動力だった

-「ゴルジ体極性シフト」が赤ちゃんの脳で神経回路を形作るー




概要


 私たちの脳の神経回路は、胎児期にゲノム情報によって大まかに作られた後、出生後に様々な刺激を受ける中で再編されて完成します。例えば、マウスのヒゲ感覚を司る大脳皮質の神経回路では、神経細胞は新生仔期に入力を受けることにより、1 本のヒゲからの刺激を伝達する軸索群の方向にのみ樹状突起(1)を伸ばし、特徴的な非対称パターンを形成します(図1A)。しかしながら、神経細胞の中でどのような仕組みが働くことで、樹状突起の非対称パターンが決められるのかはわかっていませんでした。


今回、情報・システム研究機構 国立遺伝学研究所の中川直樹助教らは、マウスの新生仔期に、神経活動によって神経細胞の中でゴルジ体(2)の分布に水平方向の偏りが生まれ(「ゴルジ体極性シフト」)、その極性が樹状突起の非対称パターンを決めていることを発見しました(図1)。

細胞内小器官であるゴルジ体は、胎児期など個体発生の早期に細胞内で極性を形成し、その極性が細胞分化や細胞移動等において重要な役割を担うことが知られていました。一方で、生後発達期に神経回路が再編される時に、神経活動によってゴルジ体の極性が変化することや、その極性の変化が神経回路再編に関与することはわかっていませんでした。


本研究成果は、生後発達期の神経活動に依存する神経回路発達の研究に細胞極性(3)の概念を新たに導入する画期的なものです。


図 1:ゴルジ体の「極性シフト」が樹状突起の適切なパターンを形成する

(A)成体マウスでは、ヒゲ感覚を司る大脳皮質バレル野の神経細胞(灰色)は、1 本のヒゲからの入力を伝える軸索の集まり(バレル)(黄色で示した領域)の方向にだけ非対称的に樹状突起を伸ばしている。この特徴的な樹状突起パターンによって、マウスは個々のヒゲからの入力を区別することができる。今回、神経細胞のゴルジ体(緑色)は出生直後には脳表面方向(図の上方向)に分布しているが、新生仔期にバレルの方向に動くことでゴルジ体分布に水平方向の極性が生まれること、および、そのゴルジ体の極性シフトが樹状突起パターンを決めていることを発見した。

(B)(上)正常な発達過程では、新生仔期に、NMDA 受容体(NMDAR)が標的軸索からの入力を受けることにより、ゴルジ体が入力を受けた方向に動く。樹状突起はゴルジ体が局在している方向にのみ選択的に成長する。この仕組みによって、神経細胞は、対応する 1 本のヒゲのみに選択的に反応するようになる(右側、成体の図)。

  (下)一方、新生仔期に NMDA 受容体を無くしたり、ゴルジ体の極性を壊す操作を行うと、樹状突起は標的軸索以外の方向にも間違って伸びるようになる。その結果、神経細胞は、対応するヒゲだけでなく隣のヒゲにも反応するようになり、ヒゲの区別ができなくなる。(図は Nakagawa and Iwasato, Cell Rep. (2023) July 28 より一部改変して掲載)




研究の背景


 私たちヒトを含む哺乳類の大脳皮質には精緻な神経回路網が存在し、学習や記憶など高次脳機能の基盤として働きます。神経回路の大まかな構造は胎児期にゲノム情報にもとづいて作られますが、そのままでは充分な脳の機能を発揮できません。生後発達期に、外界からの刺激などにより生じる神経活動によって神経回路が再編成されることが必要なのです。

発達期の神経細胞は、神経活動に応じて樹状突起の形を適切に変えることで、結合相手となる軸索の取捨選択をおこない、神経回路をより特異的なものへと再編成していきます。

本研究グループを含めたこれまでの研究によって、神経細胞のシナプスの可塑性に重要な NMDA 型グルタミン酸受容体(NMDA 受容体)(4)を介した神経活動が、樹状突起の精緻化に重要な働きをすることがわかっていました。しかしながら、NMDA 受容体の働きによって細胞の中で何が起こり、樹状突起の形が決定されるのか、についてはよくわかっていませんでした。




本研究の成果


 マウスのヒゲ感覚を司る大脳皮質バレル野(5)の神経細胞は、新生仔期に、1 本のヒゲからの情報を伝える軸索だけに向けて樹状突起を伸ばし、非対称なパターンを形成します(図 2)。


図 2:バレル野の神経細胞の「非対称」な樹状突起パターン

(A)マウス大脳皮質のバレル野では、バレルと呼ばれるユニットがヒゲと同じ配置で並んでいる。

(B)脳の上方向からみたバレルの模式図。各バレルには、対応する1 本のヒゲからの感覚情報が視床からの軸索を経由して入力する。バレル野の神経細胞(細胞体を丸で示した。便宜上、赤色の細胞だけに樹状突起を描いている)は、1つのバレルの内側の軸索だけに向かって樹状突起を伸ばす「非対称」な形態を持ち、対応するヒゲの情報だけを受け取ることができる。この非対称な樹状突起のパターンは、新生仔期に、NMDA 受容体を介した神経活動にもとづいて作られる。



 研究グループはこの「樹状突起が特定の方向にだけ伸びる」という現象に解決の糸口を見出しました。「神経細胞内に標的軸索方向への細胞極性が作られ、この極性が樹状突起の非対称な成長を導くのではないか?」と考え、極性形成に重要なゴルジ体に着目して仮説を検証しました。

独自の蛍光標識技術「スーパーノバ法」を用いてゴルジ体を可視化し、新生仔期のゴルジ体の分布変化を調べたところ、出生直後は脳表面方向に分布するゴルジ体が、回路の再編成が生じる時期に標的軸索の方向へと「シフトする」ことがわかりました(図 1、3)。


図 3:新生仔脳の神経細胞におけるゴルジ体分布の標的軸索方向への「偏り」

(上)本研究グループによって開発された、脳内の神経細胞を明るくまばらに蛍光標識する技術(スーパーノバ法)を用いて、新生仔マウス(生後 5 日齢)のバレル野神経細胞の樹状突起(紫色)とゴルジ体

(白色)を同時に可視化した(神経細胞を脳の上方向から観察)。バレルの内側と外側の境界線を点線で示した(バレルとの位置関係は図2B を参照)。

(下)ゴルジ体付近の拡大図。バレルの内側と外側の境界線を点線で示した。ゴルジ体が動いた結果、ゴルジ体の分布が標的軸索方向(バレル内側)に偏っている。このゴルジ体分布の偏りによって、樹状突起のバレル内側方向への成長が促進し、外側方向への成長が抑制される。

(図は Nakagawa and Iwasato, Cell Rep. (2023) July 28 より一部改変して掲載)



 さらに、このゴルジ体の極性が NMDA 受容体を介した神経活動により誘導されること、ゴルジ体の極性を人為的に壊すと樹状突起の非対称パターンが形成されなくなることを発見しました。ゴルジ体の極性シフトが、神経活動を樹状突起の特異的パターン形成へとつなげるための鍵だったのです。




今後の期待


 本研究で、生後発達期の神経細胞が、神経活動に応じて回路を作りかえていく仕組みに細胞極性が関与することを初めて明らかにしました。これは、生後発達期の神経回路発達過程を細胞レベルで理解する上で重要な知見です。


将来的には、神経回路の発達過程で生じた異常に起因する発達障害や精神疾患の理解につながることが期待されます。




用語解説


(1)樹状突起

神経細胞から複数伸びている短い突起。他の神経細胞の軸索とシナプスを介して結合し、軸索から伝達される情報を受け取る役割をもつ。


(2)ゴルジ体

細胞内小器官の一つで、袋状の膜が複数重なった構造をもつ。分泌タンパク質や細胞膜タンパク質を修飾・加工し、小胞に載せて細胞外に輸送する、細胞内物流のハブとして働く。細胞内の特定の領域に局在することで物流の偏りを生み、細胞極性の形成に関与する。


(3)細胞極性

一つの細胞の中に見られる、細胞内小器官や細胞膜構成成分、タンパク質などの分布の空間的な偏り。この偏りによって同じ細胞の中に異なる機能を持つコンパートメントが作られる。


(4)NMDA 型グルタミン酸受容体(NMDA 受容体)

興奮性の神経伝達物質であるグルタミン酸の受容体の一つ。イオンチャネル型で、高いカルシウムイオン透過性をもつことが特徴である。細胞内へのカルシウムイオン流入によってシグナル伝達経路の活性化を引き起こし、この活性化がシナプス可塑性(神経伝達効率の変化)に重要な役割を果たす。


(5)バレル野

マウスを含むげっ歯類の大脳皮質体性感覚野において、ヒゲからの感覚情報を処理する領域。「バレル」と呼ばれる、1 本のヒゲからの入力を処理する神経回路のユニットが、頬におけるヒゲの配置と同じ配置で並んでいる。ヒゲとバレルとの一対一関係が、げっ歯類の鋭敏なヒゲ感覚の基盤となっている。

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