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健康を科学で紐解く シリーズ196 「アルツハイマー病の新たな鍵、神経のつながりを壊すアストロサイト因子の発見」


未在 -Clinics that live in science.- では「生きるを科学する診療所」として、

「健康でいること」をテーマに診療活動を行っています。

根本治癒にあたっては、病理であったり、真の原因部位(体性機能障害[SD])の特定

(検査)が重要なキー(鍵)であると考えています。

このような観点から、健康を阻害するメカニズムを日々勉強しています。


人の「健康」の仕組みは、巧で、非常に複雑で、科学が発達した現代医学においても未知な世界にあります。


以下に、最新の科学知見をご紹介します。


 


アルツハイマー病の新たな鍵、神経のつながりを壊すアストロサイト因子の発見

-アルツハイマー病患者に対するテーラーメイド創薬の実現へ-




 慶應義塾大学医学部生理学教室の岡野栄之教授、渡部博貴特任講師、および同大学院医学研究科博士課程の村上玲博士課程大学院生らを中心とする研究グループは、ヒトiPS細胞(注1)由来のアストロサイト(注 2)を用いて、アルツハイマー病(注 3)に罹りやすい感受性遺伝子(注 4)を有するアストロサイトから神経毒性を持つタンパク質が分泌され、神経細胞間のシナプス(注 5)が障害されることを発見しました。


アルツハイマー病に罹りやすい感受性遺伝子として、アポリポタンパク質 E(APOE)遺伝子(注 6)の 4 型(APOE4)があり、日本人ではその遺伝子型頻度が約 10%と推定されています。この感受性遺伝子型(APOE4)を持っている人では、持っていない人に比べ、3.5 倍以上、アルツハイマー病に罹りやすいことが知られています。また、初期のアルツハイマー病患者脳内では、神経細胞間のシナプスが消失していることが知られており、病気の進行に関与していると考えられています。


本研究グループは、ゲノム編集技術(注 7)を用いて、APOE4 を持つヒトのアストロサイトを作出し、神経細胞への影響を検討した結果、APOE4アストロサイトは神経細胞間のシナプスを障害させることを明らかにしました。APOE4 アストロサイトで発現変化している遺伝子を解析したところ、神経毒性を持つタンパク質が分泌されていることが示されました。

さらに、特異的な免疫細胞染色によって、APOE4 を持つアルツハイマー病患者の脳内にはこの分泌タンパク質が蓄積していることがわかりました。これらのことから、APOE4 アストロサイトが神経細胞へ悪い影響を及ぼす分子機構が明らかになりました。


今回の研究成果は、ヒト iPS 細胞由来神経細胞モデルを用いてアルツハイマー病の感受性遺伝子の作用機序を示すことに成功したものであり、APOE4 を持つ患者のテーラーメイド創薬(注 8)が期待されます。




研究の背景と概要


 高齢化社会の日本では、高齢者の 4 人に 1 人が認知症またはその予備軍とされており、この疾患に掛かる莫大な経済コストが問題となっています。特に認知症の中で最も患者数の多いアルツハイマー病は、病気の発症メカニズムを基にした根本的治療薬の開発に成功しておらず、現在は対症療法に頼らざるを得ない状況です。

近年のゲノムワイド関連解析(注 9)により、アルツハイマー病に罹りやすい感受性遺伝子が多く発見されています。その中でも APOE4 遺伝子型は、ヘテロ接合体(注 10)で持つ人では約 3.5 倍、ホモ接合体(注 10)で持つ人では約 15 倍、アルツハイマー病の罹りやすさを上昇させることから、これまで同定されている中で最大の感受性遺伝子として知られています。APOE遺伝子にはアミノ酸の変化を伴う3つの遺伝子型(APOE2, APOE3, APOE4)が存在し、中枢神経では主にアストロサイトで産生・分泌され、脳内の脂質代謝に関与しています。APOE4 を持つ患者脳内では、アルツハイマー病で特徴的な神経病理が拡大し、神経活動が障害されていることが報告されてきました。しかし、APOE4 アストロサイトがどのように神経細胞を障害させているのか、詳細な分子機序はこれまで明らかではありませんでした。




研究の成果と意義・今後の展開


 本研究では、ゲノム編集技術を用いて、APOE 遺伝子が APOE3 遺伝子型の健常人由来 iPS細胞から APOE4 遺伝子型の iPS 細胞へと改変したゲノム編集株を作出しました。

さらに当研究室で開発した iPS 細胞からアストロサイトへの分化誘導法を用いることで、APOE4 遺伝子型を持つヒトアストロサイトを作出しました。次に APOE3 あるいは APOE4 遺伝子型のアストロサイトを神経細胞と共に培養することで、アストロサイトの神経細胞に対する効果を検討しました。神経細胞シナプスを構成しているスパイン(注 11)の形態を観察したところ、APOE4 遺伝子型のアストロサイトと共に培養した神経細胞ではスパインの数が減少し成熟度が低下していることがわかりました(図 1)。


図 1 APOE4 アストロサイトによる

  スパイン形態の変化


iPS 細胞由来アストロサイトと神経細胞を共に培養後、神経細胞のスパイン形態を観察した。APOE4 アストロサイトと培養した場合、スパインの数と成熟度が低下した。






スパイン形態の変化を引き起こす分子機構を明らかにするため、APOE4 遺伝子型のアストロサイトで発現変化している遺伝子を解析したところ、EDIL3 という細胞外マトリックス(注 12)が上昇していることがわかりました(図 2)。さらに、EDIL3 を多く含む培地で神経細胞を培養したところ、APOE4 遺伝子型のアストロサイトと共に培養した時と同様なスパイン数の減少がみられました。これらの結果から、APOE4 遺伝子型のアストロサイトから神経毒性を持つ細胞外マトリックス EDIL3 が分泌され、神経細胞間のシナプスの障害を引き起こすことが明らかとなりました。


図 2 APOE4 アストロサイトで発現変化

  を示す遺伝子の解析


APOE3 および APOE4 アストロサイトの網羅的遺伝子解析から APOE4 で発現変化を示す遺伝子を同定した。細胞外マトリックス蛋白質をコードする EDIL3 が有意に上昇していた。




興味深いことに、EDIL3 に対する抗体を用いたヒト死後脳の免疫組織化学染色により、APOE4 遺伝子型を持つアルツハイマー病患者では、EDIL3 の顕著な蓄積がみられました(図3)。EDIL3 はアルツハイマー病の神経病理のひとつである老人斑形成に関与する遺伝子としてゲノムワイド関連解析で同定されていました。したがって、これまで別々にアルツハイマー病と関与が示唆された遺伝子である APOE4 と EDIL3 の関連性が示唆されました。


図 3 ヒト死後脳での免疫組織化学染色


健常人、APOE3 あるいは APOE4 を持つアルツハイマー病(AD)の頭頂葉組織切片を EDIL3 と老人斑を染色した。APOE4 AD では老人斑と共に EDIL3が蓄積していた。








以上の結果から、APOE4 遺伝子型を持つ患者脳では、アストロサイトから神経毒性を持つ細胞外マトリックス EDIL3 が分泌され、神経細胞のスパイン構造を変化させることで、シナプス障害を引き起こすことが示されました。本研究で得られた成果を発展させ、APOE4 遺伝子型を持つアルツハイマー病患者に対するテーラーメイド医療を目指した創薬が可能になると思われます。




用語解説


(注 1)iPS 細胞:

血球細胞などの体細胞に特定の転写因子を導入することによって、あらゆる組織や細胞への分化能と自己増殖能を獲得した細胞です。


(注 2)アストロサイト:

中枢神経系に存在する非神経細胞の一種で、主に神経細胞を支持し、栄養供給や物質輸送を担う細胞です。


(注 3)アルツハイマー病:

老人斑、神経原線維変化、神経細胞死を病理学的特徴とする初老期発症の進行性神経変性疾患で、日本での患者数は約 300 万人以上と推定されています。


(注 4)感受性遺伝子:

ある特定の疾患に罹患するリスクが高まる遺伝子のことを指します。感受性遺伝子の変異が存在すると、環境要因と相互作用することで疾患の発症に影響を与えることがあります。


(注 5)シナプス:

神経細胞同士の結合を担う構造で、化学的シグナルを与えるプレシナプスとシグナルを受け取るポストシナプスの構造に分けられます。


(注 6)アポリポタンパク質 E(APOE)遺伝子:

染色体 19 番長腕に位置するアポリポタンパク E を産生する遺伝子です。2 つのアミノ酸置換を伴う遺伝子型(APOE2、APOE3、APOE4)が存在します。APOE3 遺伝子型は最も頻度が高く、中立な遺伝子型です。APOE3 遺伝子型に対して、APOE4 遺伝子型はアルツハイマー病の発症リスクを高め、APOE2 遺伝子型は防御的に作用します。


(注 7)ゲノム編集技術:

部位特異的ヌクレアーゼを用いて、細胞内の任意のゲノム配列を改変させる手法で、そのひとつである CRISPR-Cas9 は 2020 年のノーベル化学賞を受賞した革新的な技術です。


(注 8)テーラーメイド創薬:

個人の遺伝子情報や体質を把握した上で、その人にふさわしい効果のある投薬や治療を行うことです。


(注 9)ゲノムワイド関連解析:

全ゲノム中の遺伝子や遺伝子領域と疾患のリスクとの関連を調べる方法です。


(注 10)ヘテロ接合体、ホモ接合体:

ある遺伝子型(この場合 APOE4 遺伝子型)を、どちらかの親から一つ受け継いだ子の細胞をヘテロ接合体、父親と母親の両方から二つ受け継いだ子の細胞をホモ接合体といいます。


(注 11)スパイン:

ポストシナプスの特徴的な構造で、化学的シグナルを感知する多くの受容体タンパク質が局在しています。シナプス機能の成熟度合いによって、形態が大きく異なります。


(注 12)細胞外マトリックス:

細胞の周りに存在する物質で、結合組織の強度や組織形成に関与するなど細胞の機能と相互作用に重要な役割を担っています。

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