未在 -Clinics that live in science.- では「生きるを科学する診療所」として、
「健康でいること」をテーマに診療活動を行っています。
根本治癒にあたっては、病理であったり、真の原因部位(体性機能障害[SD])の特定
(検査)が重要なキー(鍵)であると考えています。
このような観点から、健康を阻害するメカニズムを日々勉強しています。
人の「健康」の仕組みは、巧で、非常に複雑で、科学が発達した現代医学においても未知な世界にあります。
以下に、最新の科学知見をご紹介します。
心不全を増悪させる因子として心筋細胞由来分泌蛋白Wnt5aを同定
学校法人関西医科大学(大阪府枚方市理事長・山下敏夫、学長・木梨達雄)内科学第二講座塩島一朗教授らの研究チームが、心筋細胞由来 Wnt5a が心不全を増悪させるという研究結果を発表しました。
今回の研究により、心筋細胞由来 Wnt5a が心不全を増悪させること、また、心筋細胞では Wnt5a が転写調節因子※2 である YAP(Yes-associated protein)の活性化を介して機械的刺激の受容に関与することが明らかにされました。これらの結果をもとに新たな心不全治療法が開発されることが期待されます。
本研究のポイント
1.心筋細胞由来 Wnt5a が心不全を増悪させることが判明
2.Wnt5a は心筋細胞の機械的刺激に対する細胞応答※1に必要
3.Wnt5a 阻害による新たな心不全治療法の開発に期待
研究の背景
Wnt は受容体に結合するリガンドとして機能する分泌蛋白です。元々は発生段階の形態形成や発癌において重要な分子として研究が進められてきましたが、その後の解析により幹細胞の分化や様々な変性疾患の病態に関与するなど多彩な作用を有することが明らかにされてきました。Wnt によって活性化される細胞内シグナルは転写調節因子β-カテニンの核内移行を介して標的遺伝子の転写がおこる古典的Wnt 経路(canonical Wnt pathway)とβ-カテニン非依存性の非古典的 Wnt 経路(non-canonical Wntpathway)に大きく分けられ、循環器領域では古典的 Wnt 経路は心臓の発生、心筋細胞分化、心臓の肥大やリモデリングに関与することがこれまで明らかになっていました。
一方、非古典的 Wnt 経路はその主要なリガンドである Wnt5a、Wnt11 によって活性化され、心臓の発生、特に二次心臓領域の形成に重要であることが報告されていましたが、心肥大や心不全のような心疾患の病態における役割はこれまで明らかにされていませんでした。
そこで本研究では成体の心臓における非古典的 Wnt シグナル経路の病態生理学的意義について解析を行いました。
研究の概要
Wnt5a によって活性化される非古典的 Wnt シグナル経路の成体の心臓における役割を探るために、抗がん剤の一種であるタモキシフェンを投与すると心筋細胞においてのみ Wnt5a の遺伝子発現が消失する心筋特異的タモキシフェン誘導型 Wnt5a ノックアウトマウス(Wnt5aCKO マウス)を作製しました。12 週齢でタモキシフェンを投与して 2 週間後および 1 年後に心臓超音波検査を行ったところ、対照群のマウスと Wnt5aCKO マウスで明らかな差はみられず、通常の飼育条件下では心筋細胞由来Wnt5a を欠損しても心臓の形態や機能には影響がないことがわかりました。
次に成体マウスに大動脈弓部の血流を制限する横行大動脈縮窄術(transverse aortic constriction: TAC)を行って心臓へ圧負荷をかけ、どのような影響がでるか解析しました。対照群マウスでは TAC 後 2 週間・4 週間で左室収縮能低下や心筋細胞肥大が起こり、また圧負荷によって誘導される Nppb(B-typenatriuretic peptide: B 型ナトリウム利尿ペプチド)※3遺伝子の発現が亢進していました。一方 Wnt5aCKOマウスでは対照群マウスと比較して TAC2 週後・4 週後ともに、左室収縮能低下や心筋細胞肥大が軽減され、Nppb 遺伝子発現亢進も抑制されていました。すなわち、心筋細胞由来の Wnt5a が圧負荷による心不全を増悪させることが明らかになりました。
心筋細胞由来 Wnt5a が心不全を増悪させるメカニズムを明らかにするために RNAseq(RNA シーケンス)による網羅的遺伝子発現解析を行い、対照群マウスでは圧負荷後に増加するのに対してWnt5aCKO マウスでは増加しない遺伝子群を抽出したところ、Nppb や Ankrd1(ankyrin repeat domain1)に代表される機械的刺激に応答する遺伝子群(mechanosensitive genes)が、対照群マウスでは圧負荷後に増加するのに対して Wnt5aCKO マウスでは増加しないことが明らかになり、Wnt5a が機械的刺激に対する細胞応答(mechanotransduction)に関与していることが示唆されました。そこで培養心筋細胞に対して伸展刺激を加える実験系を用いてこの仮説を検証しました。ラットの培養心筋細胞に伸展刺激を加えると Nppb 遺伝子の発現が亢進し、Wnt5a 遺伝子をノックダウンすると伸展刺激後の Nppb 発現亢進が抑制されることがわかりました。以上の結果は、Wnt5a が心筋細胞において機械的刺激に対する細胞応答に必要であり、心筋由来 Wnt5a が心筋細胞の機械的刺激受容を介して心機能障害を促進する可能性を示唆するものと考えられました。
次に Wnt5a の有無によってその機能が変化する転写因子※2 を明らかにするために Upstream 解析※4を行ったところ、圧負荷を加えた心臓および伸展刺激を加えた培養心筋細胞ともに Wnt5a のノックアウトまたはノックダウンにより転写因子 TEAD1(TEA domain transcription factor 1)の機能が抑制されていることが明らかになりました。TEAD1 は転写調節因子 YAP の核内移行により活性化されることから、伸展刺激を加えた培養心筋細胞で YAP の細胞内局在をみたところ、control 細胞では伸展刺激により YAP の核内移行が起こりますが(図1: cont+stretch)、Wnt5a ノックダウン(KD)細胞では伸展刺激による YAP の核内移行が阻害されていました(図1: 5aKD+stretch)。また、伸展刺激による Nppb遺伝子の発現亢進は YAP のノックダウンにより抑制され、逆に Wnt5a ノックダウンにより生じた伸展刺激後の Nppb 遺伝子発現抑制は、薬理学的に YAP の核内移行を起こすことにより抑制効果が解除されました。
図1 YAP の細胞内局在
以上の結果は、Wnt5a-YAP シグナルが心筋細胞の機械的刺激受容に関与することを示唆するものと考えられました。YAP は蛋白リン酸化酵素 LATS1/2 によりリン酸化を受けると核内移行が阻害されることから、伸展刺激と Wnt5a シグナルが共存するような条件では LATS1/2 の活性が低下してYAP の核内移行がおこり機械的刺激に対する細胞応答がみられますが、Wnt5a のシグナルが入らない状況においては伸展刺激のみでは YAP の核内移行がおこらず、機械的刺激に対する細胞応答が減弱することが考えられました(図2)。
図2 Wnt5a は心筋細胞の機械的刺激受容に関与する
研究の成果
本研究により(1)心筋細胞由来の Wnt5a が圧負荷による心不全を増悪させること、(2)Wnt5a-YAPシグナルが心筋細胞の機械的刺激受容に関与することが初めて明らかになり、心筋由来 Wnt5a が心筋細胞の機械的刺激受容を介して心機能障害を促進する可能性が示唆されました。
本研究の成果をもとにWnt5a 阻害を基盤とした新たな心不全治療法が開発されることが期待されます。
用語解説
注 1 機械的刺激に対する細胞応答(メカノトランスダクションmechanotransduction)
生体は日々さまざまなストレスを受けており、そのなかでも血圧や血流、伸展や圧迫、振動など物理的、力学的な刺激は機械的刺激(メカニカルストレス mechanical stress)と呼ばれます。臓器や細胞は機械的刺激を受けるとそれを生化学的、遺伝学的反応へと変換し刺激に対して反応します。この過程を機械的刺激に対する細胞応答(メカノトランスダクション)と呼びます。インスリンなどのペプチドホルモンは細胞表面にある受容体を介して細胞内に刺激が伝達されますが、機械的刺激がどのようにして細胞内に伝達されるかについてはまだわかっていない点が多くあります。
注 2 転写因子と転写調節因子
ある遺伝子の近くの2本鎖 DNA に結合してその遺伝子の転写を調節する因子を転写因子といい、自身は DNA に結合しないが転写因子と結合して転写因子の活性を調節する因子を転写調節因子といいます。図2に示すように TEAD1 は Nppb 遺伝子の近くの2本鎖 DNA に結合して Nppb 遺伝子の発現を誘導する転写因子で、YAP は TEAD1 に結合して TEAD1 の活性を調節する転写調節因子です。
注 3 B 型ナトリウム利尿ペプチド(B-type natriuretic peptide: BNP)
BNP は血圧上昇や心室壁の伸展などの機械的なストレスに反応して主に心室の心筋細胞から分泌されるホルモンで、BNP をコードする遺伝子を Nppb 遺伝子といいます。BNP は血管拡張作用や利尿作用を有することから、心臓へのストレスが増加したときにそれを緩和する働きを持っていると考えられます。また、心臓へのストレスが多いほどその血中濃度が増加することから、BNP の値は心臓に負担がかかっている状態を反映しているとされ、心不全の診断にも用いられます。Nppb 遺伝子の発現は上記のような機械的ストレスに鋭敏に反応して増加することが知られており、機械的刺激に応答する遺伝子(mechanosensitive genes)のひとつです。
注 4 Upstream 解析
ある転写因子が活性化された際に発現が誘導される遺伝子群がどのようなものであるかが多くの転写因子についてすでによく知られています。そのデータを利用して網羅的な遺伝子発現解析で観察された遺伝子発現パターンがどのような転写因子の活性化で説明できるかを予測するのが転写因子のUpstream 解析です。
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