未在 -Clinics that live in science.- では「生きるを科学する診療所」として、
「健康でいること」をテーマに診療活動を行っています。
根本治癒にあたっては、病理であったり、真の原因部位(体性機能障害[SD])の特定
(検査)が重要なキー(鍵)であると考えています。
このような観点から、健康を阻害するメカニズムを日々勉強しています。
人の「健康」の仕組みは、巧で、非常に複雑で、科学が発達した現代医学においても未知な世界にあります。
以下に、最新の科学知見をご紹介します。
膵癌悪性化の分子機構解明
—RECK発現の低下が膵癌の浸潤・転移を引き起こす—
概要
膵癌は早期発見が難しく、転移しやすく、免疫治療も効きにくい難治性癌です。京都大学医学研究科消化器内科学の益田朋典医員、福田晃久講師、妹尾浩教授、分子腫瘍学の野田亮名誉教授らの研究グループは、膵癌の発症、転移において膜タンパク質 RECK の発現低下が重要な役割を果たしていることを明らかにしました。
これまで膵癌組織の RECK 発現が低い場合に予後が悪いことが分かっていましたが、その理由は不明でした。今回、膵発癌モデルマウスの膵臓細胞において RECK 発現を消失させる実験を行ったところ、膵癌の発症頻度および肝転移が著明に増加し、生存期間が短縮することが判明しました。RECK 欠損膵癌細胞では E カドヘリン(細胞同士の接着に必要な分子)の発現が低下し、間葉細胞様の性質が見られました。これに RECK を再発現させると、E カドヘリン発現の上昇、上皮細胞様の性質、肝転移の著明な抑制が見られました。
ヒト膵癌組織においても RECK と E カドヘリンの発現に正の相関がみとめられ、RECK 発現の低い膵癌は転移が多く予後不良でした。
以上より、RECK は E カドヘリンの発現を高め、膵癌の発症・転移を抑制すること、およびRECK の発現を誘導する薬剤が膵癌の新規治療法になり得る可能性が示されました。
RECK は E カドヘリンの発現を高めることで、膵癌細胞の浸潤・転移を抑制している。
背景
膵癌は最も予後不良な癌腫のひとつで、半数以上が診断時に遠隔転移をみとめます。膵癌の新規治療法の開発は社会的にも重要な喫緊の課題です。膵癌が予後不良である原因として、高率に浸潤や転移をきたす点が挙げられますが、その分子メカニズムは未だ十分に分かっていませんでした。膵発癌に重要な遺伝子変異としてKRAS, Trp53, SMAD4, CDKN2a のいわゆる Big4 遺伝子などが知られています。膵癌の転移については、複雑かつ多段階のステップによって成立することがこれまでの研究から明らかになってきていますが、未だ不明な点が多く残されており、その分子機構の解明はがん治療薬開発における重要な課題です。
RECK (Reversion-inducing Cysteine-rich protein with Kazal motifs) は、がん遺伝子 K-RAS により悪性転換したマウス線維芽細胞を正常に戻す遺伝子の探索から見いだされた分子です。RECK は複数の機能ドメインを持つ膜結合タンパク質で、細胞表面のタンパク質分解を抑制したり、シグナル伝達を助けたりする働きが知られています。
患者組織を用いた研究では、膵癌を含む多くの癌細胞で、遺伝子変異は少ないものの、正常組織に比べ発現量が低下していることが分かっています。免疫不全マウスにヒト癌細胞株を移植するという実験系において RECK が癌細胞の浸潤、転移を抑制することが以前に示されていましたが、生体内で RECK 発現を消失させた時に発癌や癌の進行にどのような影響が出るのかについてはこれまで不明でした。
研究手法・成果
京都大学大学院医学研究科消化器内科の益田朋典医員、福田晃久講師、妹尾浩教授、分子腫瘍学の野田亮名誉教授らの研究グループは、膵癌における RECK の機能を膵発癌マウスモデルで解析しました。
膵発癌モデルマウス「Ptf1a-Cre; KrasG12D ; Trp53f/+」(KPC マウス)において、前癌病変である膵上皮内腫瘍性病変(PanIN)では RECK の発現がみとめられましたが、膵癌では RECK の発現が著しく低下・消失していました。ヒト膵癌組織でも同様に PanIN では RECK が発現していましたが、膵癌では RECK の発現が著しく低下・消失していました。
ヒト膵癌ではほぼ全例にみとめられる Kras 遺伝子の変異を導入した、コントロールの「Ptf1a-Cre; LSLKrasG12D」(KC)マウスでは膵癌は僅か 10%のマウスにしか発症しませんでした。一方、Kras 変異に加えて RECKを膵臓特異的にノックアウト(KO)した「Ptf1a-Cre; LSL-KrasG12D ; Reckf/f」(KRC)マウスを作成した結果、KRC マウスでは高率に膵癌が発症し、肝転移もきたし、予後が短縮しました。すなわち、膵臓で発現する RECKが生体内で膵癌形成を抑制していることが明らかになりました。重要なことに、RECK を KO したマウスに生じる膵癌は E カドヘリン(細胞同士の接着に必要な分子)の発現が著しく低下しており、組織学的に間葉系の形質を呈しました。さらに、p53 ヘテロ欠損を加えたコントロールの Ptf1a-Cre; LSL-KrasG12D ; Trp53f/+ マウスでは全てのマウスで膵癌が形成されましたが肝転移は生じなかったのに対して、そこに RECK KO を加えたマウスでは高率に肝転移が生じました。したがって、RECK は p53 欠損下においても膵癌の転移を抑制することが示されました。
次に、膵上皮 Ptf1a 発現細胞を赤色蛍光タンパク(Tomato)で標識することにより、膵上皮由来細胞の Lineage tracing(細胞系譜解析)(注釈1)を行い、膵癌を発症する「Ptf1a-Cre; KrasG12D ; Trp53f/+ ; LSL-Rosatd-tomato」(KPCT)マウスをコントロールとして「Ptf1a-Cre; KrasG12D ; Reckf/f ; LSL-Rosatd-tomato」(KRCT)マウスと比較しました。KPCT マウス(コントロール)の膵癌では間質に Tomato 陽性細胞は全く認められなかったのに対して、RECK KO した KRCT マウスに生じた膵癌では Tomato 陽性(膵上皮由来)かつ E-cadherin 陰性の間質細胞が多数認められ、上皮間葉転換(注釈2)(Epithelial Mesenchymal Transition: EMT)が生じていることが示されました。以上より、RECK KO によってマウス生体内で膵癌細胞の上皮間葉転換が誘導されることが明らかになりました。 さらに、「Ptf1a-Cre; LSL-KrasG12D ; Reckf/f」(KRC)マウスの膵癌から RECK KO 膵癌細胞を樹立しました。膵癌細胞にレトロウイルスによって RECK の再発現させた結果、浸潤能が低下しました。さらに脾臓注射による肝転移モデルを用いて肝転移を評価した結果、RECK KO 膵癌細胞では E カドヘリンの発現低下をみとめ、肝転移の形成を無数にみとめました。一方,RECK KO マウス膵癌細胞に RECK を再発現させた結果、肝転移は著明に抑制され、極少数みとめられた肝転移巣は E カドヘリン発現が増加し、EMT 関連遺伝子(Zeb1, Zeb2, Twist1 など)の発現が低下し、組織学的にも上皮様形態に変化しました。これらの結果から、膵癌細胞でのRECK の再発現により上皮間葉転換、転移が抑制されることが示されました。
次に、RECK が E カドヘリンの発現を制御する機序について解析しました。これまでに RECK は細胞表面の蛋白を切断するマトリックスメタロプロテアーゼ(MMPs)を抑制すること、およびマトリックスメタロプロテアーゼ(MMP3/MMP7)が E カドヘリンを切断することが報告されていました。今回、RECK KO により、細胞表面の蛋白を切断するマトリックスメタロプロテアーゼ(MMP2/MMP3)の発現が上昇し、E カドヘリンの発現が減少することが示されました。RECK KO 膵癌細胞に MMP 阻害剤を投与した結果、RECK 再発現のときと同様に、E カドヘリンの発現が増加し、上皮間葉転換マーカーの発現が低下し、浸潤能が低下しました。したがって、RECK は MMP2/MMP3 を抑制し E カドヘリンの発現を上昇させることにより膵癌の上皮間葉転換・転移を抑制することが示されました。一方、RECK KO で膵癌の発症が増加する機序については、RECK KO により Rb-E2F 経路と Myc の活性化が細胞増殖の亢進に寄与している可能性が示唆されました。
さらに、ヒト膵癌組織の解析においても、RECK 低発現のヒト膵癌は E カドヘリン発現が低く、遠隔転移が多く、分化度が低く、予後不良であることが確認されました。また、解析したヒト膵癌細胞株の 9 種類のいずれにおいても RECK 蛋白が発現していないことが確認されました。
波及効果、今後の予定
本研究により、RECK は E カドヘリンの発現を高め、膵癌の発症、上皮間葉転換、転移を抑制すること、および RECK を再発現させることによって膵癌の転移が抑制されることが明らかになりました。
したがって、RECK の発現を誘導する薬剤が膵癌の新規治療法になり得る可能性が示されました。今後、RECK を標的分子とした新規膵癌治療法の開発に向けて、RECK の発現を上昇させる化合物などを用いて RECK を再発現させることにより、ヒト膵癌細胞の浸潤、転移、増殖が抑制されるか検証を行っていく予定です。
研究者のコメント
膵癌は最も予後不良な癌腫のひとつで、新規治療法の開発は喫緊の課題です。膵癌は診断時に半数以上に転移がみとめられ、転移は予後不良の最たる原因です。膵癌の治療において転移を抑制することは非常に重要と考えられます。
本研究から、RECK を標的分子とした膵癌の新規治療法に繋がる可能性が示されました。今後、実際の診療に役立てられるように、研究を発展させて臨床応用に繋げていきたいと考えており、今後も引き続き精進して参ります。
用語解説
1. 細胞系譜解析
目的の遺伝子のプロモーター領域の下流に Cre-recombinase を発現させたトランスジェニックマウスと、Rosa locus に loxP site をもった GFP や Td-Tomato などの蛍光タンパク質の遺伝子をノックインしたマウスを掛け合わせることで、目的の遺伝子が一度発現するとその細胞が GFP や Tomato で発色し、その細胞と子孫細胞の運命を追跡することができる解析手法のことです。
2.上皮間葉転換
上皮系の細胞が上皮マーカーである E-カドヘリン(細胞同士を連結して繋ぎ止める分子)の発現を失い、運動能の高い間葉系細胞の性質を獲得する現象とことで、間葉系形質を獲得した癌細胞は移動・浸潤能が亢進するため、癌の浸潤、転移に重要なステップと考えられています。
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