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健康を科学で紐解く シリーズ217  「細胞内構造体の“かたち”と機能の関係を明らかに」


未在 -Clinics that live in science.- では「生きるを科学する診療所」として、

「健康でいること」をテーマに診療活動を行っています。

根本治癒にあたっては、病理であったり、真の原因部位(体性機能障害[SD])の特定

(検査)が重要なキー(鍵)であると考えています。

このような観点から、健康を阻害するメカニズムを日々勉強しています。


人の「健康」の仕組みは、巧で、非常に複雑で、科学が発達した現代医学においても未知な世界にあります。


以下に、最新の科学知見をご紹介します。


 


細胞の中のものを「押す」方法を開発

~細胞内構造体の“かたち”と機能の関係を明らかに~




概要


 京都大学白眉センター・大学院工学研究科 中村秀樹 特定准教授らは、生きた細胞内部の構造体に力をかけて「押す」ツール「ActuAtor(アクチュエーター)」を開発しました。


 細胞が外からの力に応答することは知られていましたが、細胞の中で働く力の役割は不明でした。特に、従来の技術は細胞表面に力をかけることはできても、細胞内部の標的には適用できないという問題があり、生きた細胞内部の標的に力をかける技術が求められていました。


同グループは、細胞に侵入し細胞内の力発生装置に「押してもらう」ことで動き回るバクテリアをヒントに ActuAtor を開発しました。本技術は、細胞内の力発生装置であるアクチン注1)に標的を「押してもらう」ことで働きます。

力をかける場所やタイミングは、薬剤や光で自由に操作できます。本研究では、ActuAtor が細胞内部の様々な構造体を変形・運動させることを示し、ミトコンドリア注2)の形態そのものはその機能に大きく影響しないことを明らかにしました。


本成果は、細胞内の動的構造体の機能解明や、神経変性疾患注3)の理解・治療につながると期待されます。





背景


 私たちの身体を形づくる細胞は、力を感じて反応し、様々な振る舞いをすることが分かっています。私たちの体内で、細胞はお互いに力をかけ合い、その力に反応しながら複雑な役割をこなしています。このような細胞の力学応答は、がんなどの疾患で大きく変化していることから、その機構や役割の理解は疾患の理解・治療の観点からも必要不可欠です。


しかし従来の研究では、細胞の表面に外からかかる力に対する応答しか扱われていませんでした。細胞の内部には様々な構造体がぎっしりと詰まっており、それぞれが何らかの力を受けて変形・運動を繰り返しています。これら細胞の内部の構造体が受ける力やその影響は、細胞の活動にとって極めて重要なはずですが、ほとんど研究の対象にはなっていなかったのです。その大きな要因は、細胞内部の構造体に力をかける技術が存在しなかったことにあります。細胞に力をかけることができる従来技術として2018年ノーベル物理学賞を受賞した光ピンセットなどが挙げられますが、どれも細胞の表面に力をかけることは容易なものの、細胞内部の構造体に応用することは難しい技術でした。


本研究グループは、生きた細胞内に導入したタンパク質同士の結合を薬剤や光の刺激で自由に操作するタンパク質二量体化技術 Chemically-iducible Dimerization(CID)注4)・Ligh-inducible Dimerization(LID)注4)(図内)を基盤として、細胞の振る舞いを操作するツールの開発を行ってきました。この知見を活かして、細胞内部の構造体に対して狙った場所・タイミングで力をかける技術を開発できると考え、本研究がスタートしました。




研究手法・成果


 本研究グループは、細胞内の標的に力をかける技術を開発するにあたって、バクテリア Listeria monocytogenes注5)の性質に注目しました。このバクテリアは、宿主注6)である動物細胞に侵入した後、細胞内で活発に動き回りますが、このとき自分の力で動くのではなく、宿主の細胞の力発生装置であるアクチンの働きを利用し、いわばハイジャックして自分を「押してもらう」ことで動くことが分かっています。さらにこのとき、バクテリアの側から必要なのは、Actin assembly-inducing protein(ActA)というたった1種類のタンパク質であることが知られています。Listeria は宿主細胞内で、自分の後方表面に ActA を提示します。ActA には宿主細胞のアクチンを重合注7)させる働きがあるため、バクテリアの後方でアクチンが重合し、アクチンのネットワークが成長します。この成長するネットワークが後方からバクテリアを「押す」ことでバクテリアは前方に運動します(図内)。


 本研究グループは、Listeria の ActA から動物細胞のアクチンを効率的に重合させるのに必要な部分を切り出し、動物細胞に安定して導入できるよう改変することに成功しました。さらに、薬剤や光刺激で細胞の中のタンパク質の結合・解離を外部から操作できる CID・LID と組み合わせることで、ActA 由来のタンパク質を、生きた細胞内の狙った場所に、狙ったタイミングで集めることができるツール ActuAtorを開発しました(図内)。薬剤や光刺激で力をかけたい標的構造体の表面に集められた ActuAtor は、細胞のアクチン重合を引き起こし、成長するアクチンのネットワークが標的を「押す」ことで標的に力をかけることができます。このように、自然界に存在するバクテリアの「細胞に『押してもらう』」戦略に学ぶことで、細胞膜に覆われて直接物理的にアクセスできない細胞内部の標的に力をかけることが初めて可能になりました。


開発した ActuAtor を生きた細胞内の様々な構造体に作用させる実験を行い、ミトコンドリア・核・ゴルジ体などの主要なオルガネラ注8)が大きく変形・運動することを確認しました(図内)。この結果から、ActuAtor は実際に力を発生し、その力が変形・運動を引き起こしていることが強く示唆されます。核の変形の精密な測定から、ActuAtor が実際に発生させる力の大きさを理論的に推定したところ、細胞が運動する際に生じる力と同程度という結果を得ました。

細胞の中でオルガネラの形態は精密にコントロールされており、その形態と機能との間には密接な関係があると考えられます。しかし従来は、オルガネラの機能に直接影響を与えずにその形態を変える技術が存在しなかったことから、オルガネラの形態と機能の関係を直接解析することはできませんでした。特にミトコンドリアはしばしば形態と機能の関係が指摘されています。神経変性疾患の症状が見られる細胞など、ミトコンドリアの機能が低下した細胞において、通常はチューブ状のミトコンドリアが短くちぎれた形態となることが知られているからです。しかし、ミトコンドリアが短くちぎれるから機能が低下するのか、機能が低下したから短くちぎれるのか、という形態と機能の因果関係は明らかになっていませんでした。


今回の研究で ActuAtor は、ミトコンドリアの機能とは直接関係しない機構で、ミトコンドリアを短くちぎれた形態へと短時間(5分程度)のうちに変化させ、このちぎれたミトコンドリアの構造は機能が低下した際に見られるミトコンドリアの構造と同様であることが分かりました。この性質を利用して、ミトコンドリアの形態を ActuAtor で変える前後でその機能を測定し、ミトコンドリアの形態と機能の因果関係を直接探る実験を行いました。その結果、ActuAtor で形態を変化させてもミトコンドリアの機能は低下せず、ミトコンドリアの形態変化は機能低下の原因ではないことを明確に示すことに。世界で初めて成功しました(図内)。この結果は、ミトコンドリアの機能低下によって起こる様々な疾患を理解する上で重要な知見です。


細胞には、脂質二重層膜で囲まれたオルガネラとは異なり、周囲に境界を持たない「非膜型オルガネラ注9)」と呼ばれる構造体が多数あることが、最近の研究で分かってきました。

この非膜型オルガネラの典型的な例がストレス顆粒注10)です。ストレス顆粒は、細胞が様々なストレスを受けた際に一時的に作られる非膜型オルガネラですが、異常に安定化して壊れにくくなることで、神経変性疾患の原因となることが知られています。


本研究グループは、ストレス顆粒に ActuAtor を作用させる実験を行い、ActuAtorは細胞の周囲のストレス条件を取り除くことなしにストレス顆粒を離散させる、つまりバラバラに「こわす」ことを発見しました(図内)。非膜型オルガネラを離散させる技術についての先行研究は存在しますが、AcuAtor はより高い効率で、かつ生理的な非膜型オルガネラを離散させることから、大変有望な非膜型オルガネラの操作技術と言えます。




波及効果、今後の予定


 ActuAtor は、生きた細胞内の多様な構造体の変形・運動を、比較的容易に操作することのできる世界で唯一のツールです。細胞内には無数と言える構造体がぎっしりと詰まっており、未だに機能が理解されていない構造体が多数存在します。

今後 ActuAtor の操作性や機能、操作可能な対象の範囲をさらに改善し、細胞内の狙った構造体を「こわす」ことでその機能を解析したり、狙った構造体の機能を、その形態や位置を操作することで自在にコントロールしたりする技術の開発が可能になると考えられます。また、細胞内に導入した人工の構造体に ActuAtor を作用させて動かすことで、生きた細胞内で働くマイクロメートルサイズの機械、つまりマイクロマシンとして駆動する可能性も考えられます。これらの技術は、いわば細胞の中を自在に「工事する」ことで細胞の働きを理解したり、その機能を向上させたりする、新しい時代の基盤技術となることが期待されます。


特に本研究で対象としたストレス顆粒は、異常に安定化して壊れにくくなることで神経変性疾患の発症を引き起こすとされています。また、ストレス顆粒以外にも多くの非膜型オルガネラが、過剰に安定化することで神経変性疾患の原因となります。

ActuAtor は非膜型オルガネラを高い効率で離散させることから、神経変性疾患の原因となる構造体を「こわす」ことで発症を防ぐ、あるいは遅らせるという新たな治療戦略の開発に貢献することが期待できます。




用語解説


注1)アクチン

細胞内の繊維状の構造である細胞骨格を形成するタンパク質の一種。特に細胞の運動の際に力を発生する。単量体であるアクチンが重合(注7を参照)することで繊維状のネットワークをつくる。


注2)ミトコンドリア

真核生物でほぼ全ての細胞内に存在するオルガネラ(注3を参照)。外膜と内膜という2つの脂質二重層膜で囲まれている。酸素を消費して細胞の生存に使われる主なエネルギー源であるアデノシン三リン酸(ATP)を合成するのが主要な機能。


注3)神経変性疾患

脳・脊髄などで何らかの原因により神経細胞が徐々に細胞死を起こして減少し、様々な機能障害を起こす病気の総称。アルツハイマー病・パーキンソン病・筋萎縮性側索硬化症(ALS)・ハンチントン病などがよく知られる。進行が遅く発症時期が予想できないことや、発症機構の理解が十分でないことから根本的な治療はほぼ存在しない。


注4)タンパク質二量体化技術 CID・LID

薬剤や光刺激により、特定のタンパク質間の結合を操作する技術。薬剤(化学物質)を使うものを CID(Chemically-inducible Dimerization)、光を使うものを LID(Light-inducible Dimerization)と呼ぶ。生きた細胞内のタンパク質を、細胞外からの刺激を用いて高い時間・空間分解能で操作できることから、細胞内の様々な現象を外部からコントロールする一種のスイッチとして応用が進んでいる。


注5)Listeria monocytogenes

ヒトや動物に対する病原性を有する細菌の一種。食中毒などの原因となる。宿主(注9を参照)である動物細胞に侵入した後に増殖し、細胞内を動き回る。この運動のために、タンパク質 ActA を用いて宿主細胞のアクチン(注1を参照)による力発生システムを利用する。ActA 単独では細胞に対する毒性がないことは本研究でも確認されている。


注6)宿主

菌類や寄生虫などが寄生、または共生する相手の生物。


注7)重合

1種類またはそれ以上の単位物質分子(単量体)が、2つ以上結合して元の物より大きな重合体になること。


注8)オルガネラ

細胞内の構造体のうち、脂質二重層の膜で周囲を囲まれ一定の機能を持つもの。細胞内小器官ともいう。特に近年、非膜型オルガネラ(注9を参照)と区別するため、古典的オルガネラと呼ばれることも多い。


注9)非膜型オルガネラ

細胞内の構造体のうち、(古典的)オルガネラ(注3を参照)とは異なり、周囲を囲む脂質二重層の膜が存在しないものの総称。多くの場合、水と油を混ぜても徐々に分かれてくる際に見られる相分離という物理機構で形成され、滑らかな境界を持ち互いに融合するなど、液体の滴のように振る舞う。そのダイナミックな物理化学的振る舞いとともに、複数の神経変性疾患などの疾患に深く関わることからも注目を集めている。比較的最近になって定義された構造体のため、機能が未解明なものも多い。


注10)ストレス顆粒

様々なストレス条件下にある細胞内で一過的に形成される構造体で、多くのタンパク質や mRNA から成る。非膜型オルガネラ(注9を参照)の典型例。取り込んだ mRNA の翻訳を抑制することで機能するとされるが、細胞のストレス応答における機能は未だ明確には理解されていない。構成タンパク質の変異などで異常に安定化すると神経変性疾患(注3を参照)の原因となる。

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