未在 -Clinics that live in science.- では「生きるを科学する診療所」として、
「健康でいること」をテーマに診療活動を行っています。
根本治癒にあたっては、病理であったり、真の原因部位(体性機能障害[SD])の特定
(検査)が重要なキー(鍵)であると考えています。
このような観点から、健康を阻害するメカニズムを日々勉強しています。
人の「健康」の仕組みは、巧で、非常に複雑で、科学が発達した現代医学においても未知な世界にあります。
以下に、最新の科学知見をご紹介します。
ドーパミン細胞が匂いの価値を表現し更新する機構を解明
-報酬や罰に依らない非連合的な感覚学習への寄与を示唆-
理化学研究所(理研)脳神経科学研究センター 知覚神経回路機構研究チームの加藤 郁佳
リサーチアソシエイト(研究当時)、太田 和美 テクニカルスタッフⅠ、風間 北斗 チームリーダーらの共同研究チームは、ドーパミン細胞[1]が、動物にとっての匂いの生得的な価値(好き嫌い)を符号化[2]し、その価値を、動物が匂いを嗅ぐ経験を積み重ねる度に更新することを発見しました。
本研究成果は、匂いなどの感覚刺激に基づく探索行動を担う神経メカニズムの理解につながると期待されます。
ドーパミン細胞は、報酬や罰に応答して連合学習[3]を駆動することが知られています。一方で、ドーパミン細胞は、報酬や罰だけでなく匂いなどの感覚刺激にも応答しますが、その応答がどの情報を符号化して、どのような役割を担っているのかはほとんど未解明のままでした。
共同研究チームはショウジョウバエ[4]を使い、カルシウムイメージング法[5]、コネクトーム[6]を活用したシミュレーション、およびバーチャルリアリティ[7]空間での飛行行動解析を組み合わせて、匂いに対するドーパミン細胞は動物にとっての生得的な匂いの価値を符号化し、匂いの価値(好き嫌い)依存的に下流の回路の活動を変え、匂いに対する行動にも影響を与えることを示しました。
ドーパミン細胞は匂いの価値に応じて異なる反応を示し、さらに匂いの価値を更新する
背景
動物は感覚刺激の価値に基づいて環境を探索します。例えば匂いをたどって食べ物を見つける経験をすると、感覚刺激の価値が更新されます。経験を通じて匂いなどの感覚刺激が持つ意味や価値を更新していくことは、昆虫を含む動物にとって生存に直結する重要な能力です。これは、報酬や罰と同時に受容する感覚刺激を結びつける連合学習において広く研究されてきました。
ドーパミン細胞は報酬や罰の情報を表現し、感覚神経細胞と連合野[8]の細胞の間に作られるシナプス[9]の性質を変化させることによって、感覚刺激の価値を更新することが知られています(図1)。
図1 ドーパミン細胞が報酬や罰による連合学習で果たしている役割
連合学習の枠組みでは、ドーパミン細胞は報酬や罰に反応して、良い・悪いことが起きたという情報を連合野に伝え、感覚神経細胞はどのような種類の匂いかを伝え、連合野においてその匂いが良い・悪い(出来事に関連している)ことを学習した結果、行動が変化する。
その一方で、ドーパミン細胞は報酬や罰だけではなく匂いなどの感覚刺激にも応答することが報告されています。しかし、その応答がどのような情報を符号化していて、どのような役割を担っているかについては不明な点が多くあります。
本研究では、匂い刺激に着目し、ドーパミン細胞は動物にとっての生得的な匂いの価値を符号化するという仮説を立てて検証しました。もしそうであれば、どのような神経回路メカニズムを通して、匂いに対する応答性を獲得し、匂いの価値に応じて連合野の出力細胞の活動や行動を変化させるのかを明らかにすることを目指しました。
研究手法と成果
共同研究チームは、目的を達成する上でさまざま利点を備えるショウジョウバエを研究の対象としました。第一に、匂いに対して明確な忌避(逃げる)や誘引(とどまる)の生得的な行動を示すため、匂いの価値を定性的に評価できます。第二に、種々の遺伝学的技術が確立されています。第三に、脳が小さいため、ドーパミン細胞を含め、各脳領域に存在する細胞の活動を網羅的に記録できます。
ショウジョウバエの脳では、嗅覚情報処理や連合学習をつかさどる領域の一つとしてキノコ体という連合野が同定されています。キノコ体は区画化された構造(図2A)を持ち、各区画には異なるタイプのドーパミン細胞が出力を送っています。この区画内では嗅覚情報を伝える「ケニオン細胞」と「キノコ体出力細胞」がシナプスを作っており、ドーパミン細胞から放出されるドーパミン分子がシナプスの強さを調節しています(図2B)。共同研究チームは、カルシウムイメージング法と画像解析技術を用いて、キノコ体の全区画においてドーパミン細胞の活動を記録することに成功しました(図2C)。
図2 ハエのキノコ体の構造とカルシウムイメージングの模式図
(A)ハエの脳とキノコ体の区画化された構造の模式図。
(B)一つの区画の中でケニオン細胞、キノコ体出力細胞、ドーパミン細胞がシナプスを作っ
ている様子。
(C)カルシウムイメージング装置の模式図。レーザー顕微鏡下にハエの頭部を固定して、
さまざまな匂いを提示した。
先行の行動実験を通して決定された多様な生得的価値を持つ匂い注1)をショウジョウバエに提示したところ、好きな匂いにより強く応答するドーパミン細胞タイプと、嫌いな匂いにより強く応答するドーパミン細胞タイプが認められました(図3)。数理モデルを用いた解析の結果、ドーパミン細胞の匂い応答から匂いの生得的価値が推定できることが分かりました。この推定の精度は、嗅覚一次中枢である触角葉[10]の細胞の匂い応答を用いた場合よりも高かったため、ドーパミン細胞は匂いの価値の情報を抽出することが示唆されました。
また、ドーパミン細胞は苦味や甘味といった味の価値も符号化していることが知られていましたが、味覚情報と匂い情報を同時に与えた場合、二つの情報を足し合わせることが分かりました。これは、ドーパミン細胞が味と匂いという異なる感覚刺激の価値を忠実に統合できることを示唆します。
図3 匂いの価値の符号化を検証する数理モデル
生得的な匂いの価値の値を、ドーパミン細胞タイプごとに異なる匂い応答の重み付けを足し合わせて表現する数理モデル。足し合わせの際にはそれぞれの応答に適当な重み付けを行う。ドーパミン細胞の匂い応答の例として、最も嫌いな匂い三つ(マゼンダ)と好きな匂い三つ(緑)をショウジョウバエにかけたときのタイプ1~3のドーパミン細胞の応答を示した。タイプ1と2は嫌いな匂いに強く、タイプ3は好きな匂いに強く応答する傾向がある。グレーの下線は匂いが提示された期間を示す。
次に、ドーパミン細胞の匂い応答を生み出す神経回路メカニズムを、コネクトームのデータベースを用いて調べました。触角葉の細胞とキノコ体に投射するドーパミン細胞をつなぐ神経細胞を抽出し、コネクトームで確認されたシナプスの数に従って細胞間の情報伝達の強さを設定したネットワークモデルを作成しました(図4)。このネットワークに以前計測した触角葉の細胞の匂い応答注1)を入力したところ、出力であるドーパミン細胞の応答の特徴を再現できました。ネットワークの解析から、学習依存的と生得的な行動に関わる両方の嗅覚経路が、ドーパミン細胞の匂い応答の生成に貢献することが示唆されました。
図4 コネクトームデータを用いたネットワークモデル
触角葉の細胞とドーパミン細胞の間を一つあるいは二つの神経細胞でつないでいる回路を抽出し、結合性に応じて分けた三つの神経細胞群が形成するネットワークモデル。
神経細胞群①は触角葉の細胞から入力を受け、かつドーパミン細胞にも出力を送る。
神経細胞群②は触角葉の細胞から入力を受けて他の神経細胞群に出力を送る。
神経細胞群③は触角葉の細胞以外から入力を受けてドーパミン細胞に出力を送る。
神経細胞群①は学習に関わる嗅覚経路の細胞が多い一方、神経細胞群②には生得的な好き嫌いに関わる嗅覚経路の細胞が多いことが分かった。
続いて、ドーパミン細胞の匂いへの応答がキノコ体出力細胞の活動や行動にどのような影響を与えるのかを調べました。匂いが感覚回路とドーパミン回路を同時に活性化させるという結果から、ドーパミン細胞は報酬や罰を符号化して感覚刺激の価値を更新するという定説(図5A)とは別のドーパミン細胞の役割があると考え、匂いの提示だけで連合野の出力細胞の活動が変化するという仮説(図5B)を立てました。
そこで、更新後の匂いの価値を表現していると考えられている、キノコ体出力細胞の活動を記録しました。その結果、仮説通り、匂いの繰り返し提示によって、匂いの価値とドーパミン細胞の匂い応答に依存して活動が変化することが確認されました。このドーパミン依存的な活動の変化が行動に与える影響を調べるために、バーチャルリアリティ空間を飛行するショウジョウバエの匂いに対する行動を解析しました。好きな匂いに応答するドーパミン細胞の活動を光遺伝学[11]を用いて阻害すると、キノコ体出力細胞の活動変化から予測される通り、行動がより嫌悪的になることが示されました。これらの結果から、感覚刺激の価値の動的な更新におけるドーパミンの新たな役割が明らかになりました。
図5 感覚刺激の価値の動的な更新におけるドーパミンの新たな役割
(A)連合学習の枠組みでは、匂いは感覚神経細胞を、報酬や罰はドーパミン細胞を活動させ、連合野において報酬や罰に応じて匂いの価値が更新され、学習の結果行動が変化する。
(B)本研究は、匂いが感覚神経細胞だけでなくドーパミン細胞も同時に活動させることで、連合野において匂いの価値が更新され、行動にも影響を与えることを示唆した。
今後の期待
ドーパミン細胞の学習における機能は昆虫から哺乳類、ヒトまで共通しており、また嗅覚回路は感覚系の中でも進化的保存性[12]が高いことから、本成果は、匂いを嗅ぐ経験に応じてその刺激の持つ価値を更新するという、適応的な行動を支える脳内情報処理の理解につながると期待されます。
本研究は、ドーパミン細胞の匂い応答を網羅的に記録し、神経活動記録とコネクトームのデータを組み合わせてシミュレーションを行った先駆的な成果です。本技術を応用することによって、今後さまざまな脳領域において解剖学的データに基づく生理学の理解が飛躍的に進展すると期待されます。
補足説明
1.ドーパミン細胞
ドーパミン分子を放出する神経細胞。ドーパミン分子は中枢神経系に存在する神経伝達物質であり、運動調節や学習に関して重要な働きを持つことが知られている。
2.符号化
情報を一定の規則に従って変換し、別の様式で表現すること。神経科学においては、例えば感覚刺激の変化に伴って神経活動が変化するとき、神経細胞・活動はその情報を符号化しているという。
3.連合学習
ポジティブな経験(報酬)やネガティブな経験(罰)をそのときの感覚情報と結びつけるような脳内学習過程。
4.ショウジョウバエ
およそ100年前から生物学のモデル動物として用いられてきたハエで、特にキイロショウジョウバエがよく用いられている。さまざまな遺伝学的手法を適用できる。
5.カルシウムイメージング法
カルシウムイオンの濃度に応じて明るさが変化する蛍光分子を用いて、細胞内のカルシウムイオン濃度を計測する方法。神経細胞が興奮するとカルシウム濃度が上昇するので、神経細胞の活動を調べる方法として広く用いられている。
6.コネクトーム
生物の神経系内の各要素(ニューロン、ニューロン群、領野など)の間の詳細な接続を表した神経回路の地図。本研究で用いたデータベースは、ショウジョウバエの脳の片半球を対象に、電子顕微鏡のデータを用いて神経細胞同士の接続パターンや細胞間に作られたシナプスの数を記載している。
7.バーチャルリアリティ
あたかも現実のように感じられる環境を作り出す技術。体の動きに応じて感覚入力を変化させることで、その環境の中にいるという錯覚を生み出す。本研究では、ハエの旋回運動に応じて景色を動かした。
8.連合野
感覚刺激を受け取る感覚野と運動神経を動かす運動野に属さない領域であるが、それらの領域と密な入出力関係を持つ脳の領域で、情報を統合したり記憶したりする機能を持つ。
9.シナプス
情報を出力する側と受け取る側の細胞の間に形成される構造であり、情報伝達や情報変換が行われる場である。
10.触角葉
ハエの嗅覚一次中枢。匂い受容体を発現する嗅覚神経細胞から入力を受け、その情報を処理した後に二次中枢へと伝える。哺乳類の嗅球と相同な脳領域。
11.光遺伝学
光によって活性化されるタンパク分子を遺伝学的手法などによって特定の細胞に発現させ、その細胞の機能を光で操作する技術であり、神経科学では、特定の神経細胞を興奮、あるいは抑制する目的で使われることが多い。
12.進化的保存性
生物個体を構成する何らかの要素(遺伝子配列・シグナル経路・発生プログラムなど)が異なる種の間で共有されていること。その要素が進化の間に失われることが個体にとって不利になることを示唆しているため、進化的に保存された要素はそれを持つ種にとって機能的に重要であると考えられる。
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