未在 -Clinics that live in science.- では「生きるを科学する診療所」として、
「健康でいること」をテーマに診療活動を行っています。
根本治癒にあたっては、病理であったり、真の原因部位(体性機能障害[SD])の特定
(検査)が重要なキー(鍵)であると考えています。
このような観点から、健康を阻害するメカニズムを日々勉強しています。
人の「健康」の仕組みは、巧で、非常に複雑で、科学が発達した現代医学においても未知な世界にあります。
以下に、最新の科学知見をご紹介します。
胃・十二指腸潰瘍のなりやすさの遺伝学
― 胃壁細胞分化とホルモン調節の多様性が関わる ―
発表のポイント
1.日本人と欧米人を統合する最新のゲノムワイド関連解析により、胃・十二指腸潰瘍の発症
と関連する25カ所の遺伝的座位を新たに同定しました。
2.一細胞トランスクリプトーム解析などのデータと統合することで、胃壁の細胞分化とホル
モン調節における遺伝的多様性が、胃・十二指腸潰瘍のなりやすさを左右する因子である
ことが示唆されました。
3.本研究は胃・十二指腸潰瘍やその後の胃癌との関わりに関する更なる医学研究のための洞
察を与える他、ポリジェニック・リスク・スコアの計算に基づく予防的医療の構築、ひい
ては医療費削減につながると期待されます。
発表概要
東京大学大学院新領域創成科学研究科メディカル情報生命専攻の賀云野大学院生(博士課程:研究当時)、松田浩一教授、鎌谷洋一郎教授、谷川千津准教授、小井土大助教、史明陽特任研究員、同大学医科学研究所バイオバンク・ジャパンの森崎隆幸客員教授、人癌病因遺伝子分野の村上善則教授、公共政策研究分野の永井亜貴子特任研究員、岩手医科大学医歯薬総合研究所生体情報解析部門の清水厚志教授、同大学いわて東北メディカル・メガバンク機構生体情報解析部門の須藤洋一特命准教授、八谷剛史客員教授、山﨑弥生特命助教、マギル大学のHans Markus Munterらの共同研究グループは、大規模な胃・十二指腸潰瘍のゲノムワイド関連解析(GWAS:注1)を実施し、胃・十二指腸潰瘍に関連する新たな遺伝的座位(注2、以下「座位」と言います)を25カ所同定しました。検出した座位から細胞の分化やガストリン・シグナリング(注3)の関与が示唆され、また一細胞トランスクリプトーム(注4)データを統合することによりソマトスタチンを産生するD細胞(注5)の関与が示唆されました。
この研究成果を利用してポリジェニック・リスク・スコア(PRS:注6)の構築が可能であり、将来的には胃・十二指腸潰瘍に遺伝的になりやすい体質であるかどうかを一定程度予測し予防することで医療費削減につながると期待されます。
研究の背景
胃潰瘍と十二指腸潰瘍(合わせて消化性潰瘍とも呼びます)は胃や十二指腸の表面の粘膜が損傷する疾患で、直接の原因としてヘリコバクター・ピロリ(ピロリ菌、注7)感染または非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs、注8)の服用が知られ、心理的ストレス、喫煙、飲酒、そして遺伝因子(注9)は発症リスクを高めることが知られています。その生涯有病率は5〜10%とありふれていますが、出血もしくは胃に穴があく(穿孔する)場合には命に関わります。疫学研究では日本は有病率がかなり高いと報告されています。
本研究グループは、2012年に7,072人の十二指腸潰瘍のゲノムデータを用いてこの病気の世界初のゲノムワイド関連解析(GWAS)を実施し、2つの座位を報告しました(谷川ら、Nat Genet 2012)。2019年には、イギリスで実施された合計約45万人の欧米人のゲノムデータを用いたGWASは8座位を報告しています(Wuら、Nat Commun 2019)。しかし、東アジア人における消化性潰瘍の有病率が高いことから、東アジア人のより大きなサンプルサイズのGWASを実施することで、さらなる消化性潰瘍の遺伝的病因の理解が深まると考えられました。
研究の内容
消化性潰瘍に関連する遺伝子を検出するため、バイオバンク・ジャパン(BBJ:注10)と東北メディカル・メガバンク(TMM:注11)計画が保有する症例の合計で29,739例、対照群240,675例を組み合わせた日本人メタ解析により25の関連座位を同定しました。そのうち19がこれまでに報告されていないものでした。さらに、日本とヨーロッパ(UK BiobankとFinnGen)の消化性潰瘍52,032例、対照905,344例を組み合わせた複数集団のメタ解析を実施しました(図1)。この段階では更なる6つの関連座位が追加で検出され、合計25の新規座位を発見しました。
図1:集団横断的な消化性潰瘍のメタ解析のマンハッタン・プロット
P値は、東アジア人または欧州系集団の52,032例の症例と905,344例の対照を対象とした複数集団メタ解析。一番上の薄いグレーの破線(-log10(P)>20)より上のバリアントについては、値をリスケーリングしている。それぞれのピークに最も近い遺伝子名が示されている。
検出された消化性潰瘍関連座位の遺伝的効果は日本人と欧州系集団で相関していました(r=0.79)。それに対して、胃潰瘍と十二指腸潰瘍という病型の間では、同じ遺伝構造を共有している(図2a)が、胃潰瘍では遺伝的な効果量が全体としてより小さい(図2c)という違いがあることがわかりました。これは、胃潰瘍の遺伝構造の不均質性を示唆しています。さらに、TMM計画のピロリ菌抗体情報を用いた解析によりピロリ陽性消化性潰瘍と特異的に関連するCCKBRの遺伝子周囲のSNP(rs12792379)を1つ同定しました(図2b)。
図2:東アジア人集団における消化性潰瘍関連形質間の感受性バリアントの効果量比較と遺伝的相関
a. 消化性潰瘍並びにそれと関連する表現型、危険因子間の遺伝的相関。*, p < 0.05; **, FDR < 5%. 各セルの四角の大きさは-log10(P)に比例する。
b. ピロリ菌層別解析の要約統計量を用いた消化性潰瘍(PUD)の効果量の比較。PUD(HP+)はH. pylori陽性PUD;PUD(HP-)はH. pylori陰性PUD。
c. 胃潰瘍と十二指腸潰瘍の東アジア人の特異的要約統計量を用いたアレルごとの効果量(オッズ比の対数)の比較。灰色の破線はフィットした線形回帰線を示す。
d. 十二指腸潰瘍と胃癌のエフェクトサイズの比較。
最後に、潰瘍発症の遺伝的なりやすさに関連する特定の細胞タイプを特徴付けました。全身のトランスクリプトームデータを用いた解析では、消化性潰瘍については胃・膵臓・小腸・腎臓で、十二指腸潰瘍については胃・膵臓・前立腺で、胃潰瘍については胃で、有意に潰瘍関連遺伝子の集積が見られました(図3a)。胃・十二指腸の一細胞トランスクリプトーム(注12)を用いた細胞特異性解析では、二つの手法いずれを用いても胃D細胞への有意な集積を確認しました(図3b、3c)。加えて、十二指腸エンテロクロマフィン細胞(EC細胞)、胃前庭部EC、胃Tuft細胞は、片方の手法で関連していました(図3b、3c)。
図3:組織・細胞種特異性解析
a.消化性潰瘍の表現型と30の一般的な組織型間の関連は、東アジア人特有の要約統計量とGTExバージョン8データセットを用いたMAGMAを用いて解析した。
b, c. 消化性潰瘍と胃および十二指腸の細胞型間の関連は、MAGMAとLDSC(注13)(各細胞型における10%の最も特異的な遺伝子の濃縮を検定)を用いて解析した。
a, b, c.赤い棒グラフは補正後の有意な関連を示す(FDR<5%)。
今後の展望
今回の研究により、消化性潰瘍のリスク座位の数が4倍に増加し、その遺伝的構造についての理解が深まりました。また、細胞・分子レベルでのメカニズムを示唆する多数の知見を得ました。
本研究ではこれまでで最大の数の消化性潰瘍に関わる座位を検出しており、これに基づいてポリジェニック・リスク・スコア(PRS)モデルを開発することで、消化性潰瘍予防のための精密医療の実現に役立つと期待されます。例えば遺伝的に高リスクである人には、痛み止めの服用が必要である時に消化性潰瘍を起こしにくい薬剤を選択、またそれを保険診療で推奨できる形とする他、ピロリ菌の除菌や心理的ストレスの軽減をより積極的に検討できます。また、心筋梗塞・脳梗塞予防の際に胃潰瘍リスクを高めるアスピリンの処方を行う場合や、抗血小板薬や抗凝固薬によって消化性潰瘍の出血リスクがある際には、遺伝的に高リスクの際に胃酸分泌抑制剤の積極的な処方や上部消化管内視鏡によるスクリーニングを徹底するなどの医学的対応が考えられます。抗血小板薬クロピドグレルはCYP2C19遺伝型により効き目に個人差がありますが、これを同時に判定することも可能です。
また、個人の健康についてだけではなく社会的な効用もあると考えられます。ゲノムデータは生涯ほぼ変化しないため、一生に一度の検査を行えば高リスクな方を特定することが可能です。そしてこれを用いた予防医療による消化性潰瘍診療の医療費軽減が期待できるとするなら、医療費の高騰に悩む各国においてサステナブルな医療制度を目指すための現実的な医療費削減の一つの方向性を示すことができると考えられ、それを確認する臨床試験の実施が望まれます。
用語解説
(注1)ゲノムワイド関連解析(GWAS)
ヒトゲノムの全域に分布する遺伝的バリアントと、病気などの形質との因果関係を網羅的に検討する遺伝統計解析手法。単一遺伝子によらない複雑な疾患の解析に用いられる。これまでに、数百を超える形質や病気を対象に実施され、数多くの関連遺伝子が同定されている。
(注2)遺伝的座位(座位)
ヒトゲノム上に遺伝統計解析が検出する疾患感受性領域は、ピンポイントで解明されるわけではなく、「だいたいこの辺り」という領域としてわかる。そこでその領域のことを遺伝的座位と呼ぶ。
(注3)ガストリン・シグナリング
ガストリンは胃酸分泌を誘導する主要なホルモンで、胃の幽門部(下部)等にあるG細胞により産生される。ガストリンは、コレシストキニンA受容体(CCKAR)およびコレシストキニンB受容体(CCKBR)からなる膜結合型Gタンパク質カップルコレシストキニン受容体群と相互作用する。CCKARと比較して、CCKBRはガストリンに対して高い親和性を有する。また、ガストリンは消化管の成長因子としてもよく知られている。
(注4)一細胞トランスクリプトーム
トランスクリプトームとは、転写産物(mRNA)の総体情報のこと。一細胞トランスクリプトームは、一細胞シークエンス技術により得られた細胞一個ごとの転写産物RNA量総体を得ることによって、細胞ごとの遺伝子の働きを網羅的に解析する技術。データはUMAPと呼ばれる機械学習技術により細胞集団ごとに可視化することができる。
(注5)D細胞
D細胞はホルモンであるソマトスタチンを産生し、胃腸管全体および膵臓に存在する。胃腸のD細胞が全身のソマトスタチンの65%を含んでいると推定されている。D細胞によって産生されるソマトスタチンは、胃幽門部のG細胞によるガストリンの放出をパラクリン効果(ホルモン等のシグナル分子が周囲の細胞に影響する作用)により調節する。
(注6)ポリジェニック・リスク・スコア(PRS)
いわゆる遺伝病が一つの遺伝子の変異によって起こるのに対し、胃・十二指腸潰瘍を含むありふれた疾患の多くは非常に多数の遺伝因子が蓄積し、さらに環境因子も作用して発症すると考えられている。この時、多数の(ポリ-)遺伝因子(ジェニック)からその疾患の発症に関するリスク・スコアを計算することができ、これをポリジェニック・リスク・スコア(PRS)と言う。ベイズ統計学に基づく手法など、様々な手法がある。
(注7)ヘリコバクター・ピロリ(ピロリ菌)
胃の中に生息しており、胃炎、胃・十二指腸潰瘍、胃がんなど多くの疾患のリスク因子として知られている細菌。世界中に多くの感染者がいると推定されている。特に日本など東アジアに蔓延するピロリ菌は病原性・発がん活性がより高いと考えられているCagAサブタイプ(東アジア型CagA)を産生する。
(注8)非ステロイド性抗炎症薬(Non-Steroidal Anti-inflammatory Drugs, NSAIDs)
アスピリン、イブプロフェン、ロキソプロフェン、ジクロフェナクなどを含む最も一般的な痛み止め薬グループのこと。NSAIDsはシクロオキシゲナーゼ(COX)という酵素を阻害して解熱作用を示すが、COXを阻害して産生が低下するプロスタグランジンには胃保護作用もあるため、結果として胃・十二指腸潰瘍を起こすとされている。同じ痛み止めだがNSAIDsではないアセトアミノフェン、また胃においてCOX阻害をしないようにデザインされた選択的COX-2阻害薬(セレコキシブなど)は胃・十二指腸潰瘍リスクが低い。しかしアセトアミノフェンは鎮痛効果がやや弱めで、選択的COX-2阻害薬は薬価が高めであるため、NSAIDsは広く使用されている。
(注9)遺伝因子
ありふれた疾患の発症や、個体の外見や行動などに関わる因子のうちDNAに書き込まれた遺伝情報によるものを指す。これは生まれつきもった体質のようなもので、親から子へと遺伝するためその取り扱いには注意が必要である。ただしいわゆる遺伝病でなければ環境による影響(環境因子)も大きく作用する。近年の遺伝学研究の進展は遺伝宿命論(生まれながらに人生は決定されている、という考え方)を明確に否定している一方で、個人の遺伝因子に合わせた精密医療が人生をより豊かにするかどうかの研究が続いている。
(注10)バイオバンク・ジャパン(BBJ)
日本人集団27万人を対象とした生体試料のバイオバンクで、東京大学医科学研究所内に設置されている。理化学研究所などが取得した約27万人のゲノムデータを保有する。オーダーメイド医療の実現プログラム、ゲノム研究バイオバンク事業などを通じて実施され、ゲノムDNAや血清サンプルを臨床情報とともに収集し、研究者へのデータ提供や分譲を行っている。詳細はバイオバンク・ジャパンのウェブサイト(https://biobankjp.org/index.html)を参照。
(注11)東北メディカル・メガバンク(TMM)計画
東日本大震災からの復興事業として平成23年度から始められ、被災地の健康復興と、個別化予防・医療の実現を目指している。
岩手医科大学いわて東北メディカル・メガバンク機構と東北大学東北メディカル・メガバンク機構を実施機関として、東日本大震災被災地の医療の創造的復興および被災者の健康増進に役立てるために、合計15万人規模の地域住民コホート調査および三世代コホート調査を平成25年より実施し、収集した試料・情報をもとにバイオバンクを整備している。
TMM計画は、平成 27 年度より、AMEDが本計画の研究支援担当機関の役割を果たしている。
(注12)胃・十二指腸の一細胞トランスクリプトーム
胃には胃酸を分泌する主細胞、粘液(ムチン)を産生する副細胞の他にホルモンを分泌して胃酸分泌を調整するG細胞、D細胞などの内分泌細胞や、稀なTuft細胞などがある。一細胞シークエンス技術の発展によりこれらの細胞個々の転写産物情報がわかるようになってきた。本研究ではBusslingerらの研究成果に基づく一細胞トランスクリプトームの公開データを使用した(Busslinger et al. Cell Rep 2021; 34: 108819)。
(注13)MAGMA・LDSC
MAGMAは、遺伝子周辺のバリアントごとの遺伝的関連について連鎖不均衡(LD)構造を考慮して平均化することにより、遺伝子レベルの関連統計量を計算する技術。さらに、特定の組織・細胞型に特有の遺伝子群が、この遺伝子レベル関連の観点から有意に疾患や形質と関連しているかを検定できる(de Leeuw et al. PLoS Comput Biol 2015; 11: e1004219)。またLDSC-SEGは、GWASの結果から遺伝率(遺伝因子と環境因子のうち遺伝因子が説明する割合)を推定する手法であるLDスコア回帰分析(LDSC)を発展させ、「特定の組織や細胞型で最も特異的に発現している遺伝子の周囲の遺伝率」を求める遺伝統計学手法(Finucane et al. Nat Genet 2018; 50: 621-9)。これらの解析は、当該疾患の遺伝素因により個人間で働きの多様性が発生する組織・細胞型を示唆すると考え、二つの異なった手法によりいずれも関連すると検定される組織・細胞型は頑健に関連するものと判断できる。
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