未在 -Clinics that live in science.- では「生きるを科学する診療所」として、
「健康でいること」をテーマに診療活動を行っています。
根本治癒にあたっては、病理であったり、真の原因部位(体性機能障害[SD])の特定
(検査)が重要なキー(鍵)であると考えています。
このような観点から、健康を阻害するメカニズムを日々勉強しています。
人の「健康」の仕組みは、巧で、非常に複雑で、科学が発達した現代医学においても未知な世界にあります。
以下に、最新の科学知見をご紹介します。
脳梗塞治療に新たな可能性
~脳梗塞後の神経機能障害を回復させる新しいメカニズムを発見~
図. ①脳梗塞になると障害細胞から炎症を惹起するシグナルがミクログリアに伝わり(①)、炎症性サイトカインが産生され(②)、神経細胞死が惹起される(③)。一方で、脳梗塞になると血管内皮細胞からRSPO3が分泌されるが(④)、作用は十分ではない。RSPO3を脳室内に投与しRSPO3を補充すると(⑤)、RSPO3が受容体ミクログリアや神経細胞に発現するLGR4に結合してβカテニンの核内移行が促進され、炎症性サイトカインの産生抑制による神経細胞死の抑制(⑥)と、神経突起の伸長が促進され(⑦)、脳梗塞後の神経機能障害が改善される。
研究の概要
大阪大学大学院医学系研究科遺伝子幹細胞再生治療学の島村宗尚寄附講座教授、同臨床遺伝子治療学の森下竜一寄附講座教授、同健康発達医学の中神啓徳寄附講座教授らの研究グループは、脳梗塞後の神経機能障害を回復させる新たなメカニズムを解明しました。
脳梗塞の既存の治療法として、血栓を溶解する治療法(t-PA)や血栓を除去する血管内治療、脳梗塞後に生じる活性酸素の作用を抑制する治療薬(エダラボン)があります。今回の発見は、これらの治療法とは異なるメカニズムに基づいた新規の治療薬の開発につながる可能性があります。
脳梗塞後の神経機能障害の回復には、脳において活性化されたミクログリア(※1)・マクロファージからの過剰な炎症による神経細胞死の抑制と、神経回路の再構築のための神経突起の伸長を促進させることが必要とされています。
研究グループは、RSPO3(※2)が、ミクログリア・マクロファージ・神経細胞の受容体LGR4 (※3)に結合することにより、神経細胞死を抑制するとともに神経突起の伸長を促進し、脳梗塞後の神経機能障害を回復することを解明しました。
今回の新しい発見は、脳梗塞後の神経機能障害を改善させる新たな創薬ターゲットになりうると考えられます。
研究の背景
厚生労働省によると、脳血管疾患(脳梗塞や脳出血など)の総患者数は約174万人(令和2年厚生労働省「患者調査」)、脳梗塞による死亡数は年間6万2122人(平成29年 人口動態統計)であり、脳梗塞は認知症に次いで介護が必要となる原因疾患であることが報告されており(令和元年国民生活基礎調査)、脳梗塞の悪化を防ぎ神経機能障害を回復できる治療法の開発が望まれています。
脳梗塞後の炎症はそのような脳梗塞の悪化を促進するものであることから、炎症を制御することは脳梗塞の悪化を防ぐために重要です。また、神経機能障害の回復には残存した神経回路の再構築が必要であり、そのためには神経突起の伸長を促進させることが必要です。
しかし、既知の炎症および神経突起伸長に関連する分子をターゲットにした治療法はいまだ十分ではなく、有効な治療法が確立できていないのが現状です。
RSPO3は分泌型糖タンパク質ファミリー(RSPO1-4)の一つであり、ロイシンリッチリピート含有Gタンパク質共役型受容体(LGR)4/5/6複合体を介してWnt/β–カテニン情報伝達経路(※4)を増強します。LGR 4/5/6受容体は幹細胞ニッチに発現し、腸上皮の再生やがんの進展に寄与することが広く研究されてきましたが、近年、敗血症性肺損傷においてLGR4が肺のマクロファージに発現し、RSPO3とLGR4が結合することによりマクロファージを介した炎症を抑制する作用もあることが報告されました。
脳にもRSPO3、RSPO1、LGR4は発現していることが報告されていましたが、脳梗塞のような中枢神経疾患におけるRSPO3/LGR4シグナルの機能は不明でした。
Wnt/βカテニンシグナルには神経突起伸長や神経保護作用があることも知られていることから、我々は、RSPO3/LGR4シグナルには脳梗塞後の炎症制御、神経突起の伸長を促進する可能性があることを想定しました。
研究の内容
研究グループでは、マウス脳梗塞モデルにおいて、脳梗塞後の脳におけるミクログリア・マクロファージ、神経細胞に受容体LGR4が発現し、血管内皮細胞からRSPO3が発現することを見いだしました。
RSPO3を脳梗塞1日目から脳室内に投与することにより、脳梗塞9日目の神経機能障害が改善し、IL1βやiNOSなど炎症を促進させる分子の発現が抑制される一方で、神経突起伸長のマーカーであるGAP43の発現が増加することが分かりました。
培養細胞の検討では、RSPO3が、TLR2、TLR4、TLR9(※5)を介したミクログリアからの炎症性サイトカインの発現を抑制して神経細胞死を抑制するとともに、神経細胞においては神経突起の伸長を促進させることを発見しました。
本研究は、RSPO3/LGR4シグナルが、脳梗塞後の炎症を制御するとともに神経突起の伸長を促進させることにより、脳梗塞後の神経機能障害を改善することができる新たな分子機構であることを明らかにし、このシグナルをターゲットとした新たな治療薬開発の可能性を示す成果であると考えます。
研究のまとめ(ポイント)
1.脳梗塞後の炎症制御および神経突起伸長を促進するRSPO3/LGR4シグナルを発見。
2.RSPO3投与により脳梗塞後の神経機能障害が回復できることを発見。
3.今後は、RSPO3/LGR4シグナルをターゲットにした治療薬の開発へ。
本研究成果の意義
既知の分子をターゲットにした脳梗塞後の炎症制御ではいまだ十分な治療効果を得られていない現状において、今回の新規メカニズムの発見は、新規の治療コンセプトにつながるものと考えられます。
また、RSPO3/LGR4シグナルはミクログリアからの炎症性サイトカインの発現抑制と神経突起の伸長を促進させる両方の作用を有するものであり、脳梗塞における有望な治療薬のターゲットになる可能性があると考えられます。
研究者のコメント
<島村 宗尚 教授>
多くの患者さんとそのご家族が脳梗塞の後遺症で苦しんでおられるにも関わらず、神経機能障害を回復させる治療薬の開発が進んでいないことから、これまでとは異なる新しい機序で治療薬になりうる分子がないかと日々考えている中で、このシグナルの発見に至りました。
臨床応用にはまだまだ研究が必要ですが、この発見が脳梗塞における新たな創薬につながることができればと考えています。
用語説明
※1 ミクログリア
中枢神経系グリア細胞の一つであり、脳における免疫を担当する細胞です。マクロファージと同様に、後述のTLRを発現しており、脳梗塞後に障害を受けた細胞から放出された分子を認識し、様々な炎症性サイトカインを発現します。
※2 RSPO3
R-spondin3の略称、RSPO1-RSPO4からなる分泌型糖タンパク質ファミリーの1つであり、LGR4/5/6受容体のリガンドとして作用し、Wntシグナル伝達系路を活性化します。
※3 LGR4
leucine-rich repeat-containing G protein-coupled receptor4の略称、ロイシンリッチリピートを持つGタンパク質共役型受容体ファミリーの一つで、RSPO3の受容体として作用します。
※4 Wnt/β-カテニン情報伝達経路
幹細胞の多能性と発生過程における細胞運命を制御するシグナルであり、再生やがんにおいても重要な作用があります。脳梗塞だけでなくアルツハイマー病などの変性疾患においても、この伝達経路の活性化が治療につながる可能性が報告されています。
※5 TLR2、TLR4、TLR9
TLRはToll-like receptor の略称であるTLRは、Toll様受容体とも言われ、マクロファージやミクログリアに発現しており、細菌やウイルスなどの特徴的な構造を認識します。現在までヒトでは10種類、マウスでは12種類が存在することが分かっており、TLR2, TLR4, TLR9が脳梗塞の悪化に関連することが報告されています。
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