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健康を科学で紐解く シリーズ40  「筋萎縮性側索硬化症の疾患特異的バイオマーカーを発見」

更新日:2023年6月25日


未在 -Clinics that live in science.- では「生きるを科学する診療所」として、

「健康でいること」をテーマに診療活動を行っています。

根本治癒にあたっては、病理であったり、真の原因部位(体性機能障害[SD])の特定

(検査)が重要なキー(鍵)であると考えています。

このような観点から、健康を阻害するメカニズムを日々勉強しています。


人の「健康」の仕組みは、巧で、非常に複雑で、科学が発達した現代医学においても未知な世界にあります。


以下に、最新の科学知見をご紹介します。


 


筋萎縮性側索硬化症の疾患特異的バイオマーカーを発見



 難治性の神経変性疾患である筋萎縮性側索硬化症の90%を占める孤発(家族内に発症のない)例において、髄液中のグルタミン酸受容体を構成するタンパク質GluA2のメッセンジャーRNAのRNA編集率が有意に低下しており、これが新たな診断バイオマーカーとなりうることを見いだしました。


 筋萎縮性側索硬化症(ALS)は、運動神経細胞が選択的に細胞死を起こす難病の一つです。壮年期に発症し、年間発症率は10万人に1〜2人と稀な疾患ですが、加齢が危険因子であるために、高齢化社会に伴って、近年、増加傾向にあります。根本的な治療法は開発されておらず、ALSを確実に診断するためのバイオマーカーも存在していません。


これまでに、ALSの90%を占める孤発例では、運動神経の細胞死に、RNA編集を触媒する酵素の発現量低下を発端とするRNA編集異常が関与していることが明らかになっています。すなわち、神経細胞の興奮を伝える神経伝達物質グルタミン酸の受容体の一種であるAMPA受容体において、これを形成するタンパク質の一つGluA2のメッセンジャーRNA(mRNA)のRNA編集が、酵素の発現量低下によって十分に行われず、未編集型のmRNAが孤発性ALSの細胞死を引き起こします。


本研究では、孤発性ALS患者の髄液中に存在しているGluA2mRNAの編集率が、対照群と比較して有意に低下していることを見いだしました。とりわけ、編集率の低下が顕著なALS患者では、罹病期間が⻑く、症状(特に下肢の症状)が進行している傾向がありました。


現在、このRNA編集異常を標的とする治療法の開発が進められており、GluA2mRNAの編集率は、ALS診断のためだけでなく、治療可能なALSを判定するためのバイオマーカーにもなりうると期待されます。



研究代表者


筑波大学医学医療系 保坂 孝史 講師

東京医科大学神経学分野 郭 伸 兼任教授



研究の背景


 筋萎縮性側索硬化症(ALS)は、運動神経細胞が選択的に障害されることによって全身の筋力が弱まり、発症から数年以内に死に至る難病です。加齢が危険因子となるため、近年の高齢化社会に伴って、その発症頻度は増加傾向にあります。ALSのうち5〜10%が遺伝子異常により発症する家族性で、残りの90%以上を孤発例が占めています。


孤発性ALSの原因は、現時点では未解明ですが、グルタミン酸(神経伝達物質)受容体の異常による興奮性神経細胞死注1)が有力とされています。


 本研究グループではこれまでに、孤発性ALSの脊髄の運動神経細胞では、RNA編集注2)を触媒する酵素(ADAR2)の発現量が低下することで、グルタミン酸受容体(AMPA受容体)を構成するタンパク質の一つであるGluA2のメッセンジャーRNA(GluA2 mRNA)のRNA編集異常が起き、これが運動細胞死の直接的な原因になることを、培養細胞およびモデルマウス研究から明らかにしています(孤発性ALSのADAR2-GluA2仮説注3)、図1)。


 今のところ、ALSには治療法も診断的バイオマーカーもなく、身体所見や針筋電図検査、画像検査などの検査所見の結果を組み合わせて診断が行われています。

今回、上述のRNA編集異常が、ALSのバイオマーカーになりうると考え、検討しました。


図1 本研究の背景


孤発性ALSではADAR2発現量低下を発端とするRNA編集異常が病因の一つと考えられており(左図:生化学、2016より改変)、これまでに、細胞内のADAR2発現量は細胞外へ分泌されるRNAの編集率に相関することが分かっている(右図:図中の丸や棒はRNAを示している。ADAR2により未編集型(⻘丸および⻘棒)から編集型(赤丸および赤棒)に編集される)。



研究内容と成果


 本研究では、患者の髄液中に存在しているGluA2 mRNA内のRNA編集によりグルタミンからアルギニンへの変換が生じている部位(Q/R部位)の編集率変化を測定し、これが孤発性ALSのバイオマーカーとなり得るか、検討しました(概要図)。


その結果、孤発性ALSでは、髄液中のGluA2mRNAのQ/R部位の編集率が非ALS患者(対照群;全ての症例で編集率が94.6%以上)と比較して有意に低下していることを見いだしました。

また、編集率が低下している孤発性ALS群の特徴として、罹病期間が⻑いこと、ALS機能評価スケール改訂版(ALSFRS-R)注4)の点数、特に下肢機能サブスケールの点数が有意に低下していることも分かりました(図2)。


 これらのことから、髄液中のGluA2mRNAのQ/R部位の編集率は、孤発性ALSに対して、非常に特異度の高い診断および症状進行のバイオマーカーになることが分かりました。


図2 本実験結果の概要


髄液中のGluA2 mRNAのQ/R部位を測定したところ、孤発性ALS群では対照群と比較し有意に編集率低下していた(図A)。また、編集率が低下している孤発性ALS群の特徴として、罹病期間が⻑いこと(図B)、ALS機能評価スケール改訂版(ALSFRS-R)の点数(図C)、特に下肢機能サブスケールの点数が有意に低下していること(図D)も分かった(ALS-H;編集率が94.6%より高いALS患者、ALS-L;編集率が94.6%以下のALS患者)。



今後の展開


 現在、孤発性ALSのADAR2-GluA2仮説に基づいた治療法の開発が進み、臨床試験が実施されています。本研究で発見した髄液中のGluA2mRNAのQ/R部位の編集率変化は、診断バイオマーカーのみならず、治療可能なALSを判別したり治療効果を判定するためのバイオマーカーにもなる可能性があります。


このことは、今まで根本的な治療法もなく、確定診断も困難であったALSを、治療可能な疾患へと変えていくブレイクスルーとなると期待されます。




用語解説


注1) ALSの興奮性神経細胞死


ALSの病態メカニズムとして、興奮性神経伝達物質の一つであるグルタミン酸による過剰な神経興奮が運動神経細胞死を引きおこすことが考えられている。孤発性ALSでは、グルタミン酸受容体であるAMPA受容体のRNA編集異常による過剰なカルシウムイオン(Ca2+)の透過が過剰な神経興奮を起こし、運動神経細胞死をもたらすことが知られている。


注2) RNA編集


DNAからRNAへ転写された後に起こる塩基置換、欠失、挿入の総称で、アミノ酸置換や遺伝子の発現調整に関与する。RNA編集がタンパクをコードする領域に起こると、ゲノムにコードされたタンパクとは異なるタンパク分子が発現し、例えば、GluA2のコード領域のグルタミン・アルギニン(Q/R)部位では、アデノシン(A)がイノシン(I)へ置換されるA-to-I RNA編集が起こる。


注3) 孤発性ALSのADAR2-GluA2仮説


孤発性ALSの病態には、ADAR2の発現量低下によるGluA2のA-to-I RNA編集活性の低下が中心的な役割を持っているとする仮説。孤発性ALSの運動神経細胞死は、下位運動神経細胞に選択的に起こっており、非ALS患者の運動神経細胞では認められず、孤発性ALSに疾患特異的な異常である。


注4) ALS機能評価スケール改訂版(ALSFRS-R)


ALS患者の日常生活を把握するために用いられる評価尺度。言語、唾液分泌、歩行、呼吸困難などの12項目を0〜4の5段階で評価し、その合計点を用いて評価する。

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