未在 -Clinics that live in science.- では「生きるを科学する診療所」として、
「健康でいること」をテーマに診療活動を行っています。
根本治癒にあたっては、病理であったり、真の原因部位(体性機能障害[SD])の特定
(検査)が重要なキー(鍵)であると考えています。
このような観点から、健康を阻害するメカニズムを日々勉強しています。
人の「健康」の仕組みは、巧で、非常に複雑で、科学が発達した現代医学においても未知な世界にあります。
以下に、最新の科学知見をご紹介します。
子宮内膜のエピゲノム異常が着床不全を起こす
~ヒストンメチル化による着床制御機構の解明~
発表の概要
東京大学医学部附属病院 女性診療科・産科の藍川志津特任研究員、東京大学大学院医学系研究科産婦人科学講座の福井大和大学院生(医学博士課程:研究当時)、廣田泰准教授、大須賀穣教授らは、ヒト着床期子宮内膜(注 1)や遺伝子改変マウスを用いた研究から、抑制的ヒストン修飾(注 2)を介したエピゲノム(注 3)の調節によって、子宮内膜に適切な細胞分化と正常な胚浸潤(注 4)が起こることを世界で初めて明らかにしました。
不妊症は、全世界のカップルの 15%が直面する健康問題です。生殖医療において体外受精・胚移植(注 5)の技術進歩は目覚ましく、日本では全出生児の 14 人に 1 人が体外受精・胚移植によって誕生しています。
その一方で、良好胚を選別し移植しているにも関わらず着床が成立しない着床不全が生殖医療最大の課題となっているものの、診断・治療法が確立していないのが現状です。
本研究により難治性不妊症である着床不全の起こる仕組みが明らかになり、着床不全の新たな診断法開発に向けた臨床研究への展開が期待されています。
発表の内容
〈研究の背景〉
着床は、子宮内に入った胚が子宮内膜と相互作用する最初のステップで、その後の妊娠維持・胎児発育を大きく左右します。着床過程は、胚が子宮内膜に接着する過程(胚接着)と、その後に胚の最外層に位置する栄養膜細胞が子宮内膜に入り込む過程(胚浸潤)を経て成立します(図 1 上)。
子宮内膜は主に胚が最初に接する上皮細胞層とその下にある間質細胞層に大別されます(図 1 下)。
胚が子宮内膜上皮細胞層に接着すると、その周囲に存在する間質細胞層は多核の性質をもつ脱落膜と呼ばれる細胞へと分化し、その後胚は上皮細胞層を通り抜け間質細胞層のなかに浸潤していきます。
一方で、間質細胞分化の制御の仕組みについては不明な点が多く残されていました。
図 1.着床の過程
胚接着の過程で、胚と子宮は栄養膜細胞と子宮内膜(管腔)上皮が接した状態となり、胚浸潤の過程で、子宮内膜上皮の一部が消失し栄養膜細胞が子宮内膜間質内に進入する。
〈研究の内容〉
本研究ではまず、ヒト着床期子宮内膜における網羅的遺伝子発現解析を行い、妊娠群と着床不全群とで発現に差がある遺伝子を探索しました。その結果、着床不全群で発現量が多い遺伝子が、抑制的エピゲノム修飾であるヒストン H3 のリジン 27 トリメチル化(H3K27me3)の標的遺伝子群に属していることを見出しました。
加えて、H3K27me3 の修飾に関わる主要な酵素である Enhancer of ZesteHomolog 2 (EZH2)(注 6)の発現が着床不全群で低いことがわかりました(図2)。
図 2.妊娠群と着床不全群のヒト子宮内膜における EZH2 発現量の比較
胚移植の際に行うホルモン投与を同様に行い、ホルモン補充周期による着床期(黄体ホルモン投与 7 日目)の子宮内膜を採取した。検体採取後の不妊治療周期に行った胚移植による臨床妊娠の有無を追跡調査し、妊娠群と着床不全群における遺伝子発現比較を行った。着床不全患者由来子宮内膜では EZH2 発現が低下していた。
次に、EZH2 の子宮内膜における機能的意義を調べる目的で、EZH2 を子宮特異的に欠損したマウスを用いて解析を行ったところ、EZH2 欠損マウスは新生仔をほとんど産まず重篤な不妊になりました。EZH2 欠損子宮での不妊のメカニズムを探るため、マウス着床期子宮内膜を用い RNA-seq 解析(注 7)を行うとともに、H3K27me3 に対する ChIP-seq 解析(注 8)を行いました。その結果、EZH2 はH3K27me3 修飾を介し、細胞周期遺伝子の特に有糸分裂(注 9)に関わる遺伝子群の発現を抑制していることを見出しました。この結果と合致するように、胚浸潤期の子宮内膜を組織形態学的に観察したところ、EZH2 欠損子宮では間質が細胞増殖を続け、通常の脱落膜で起こる多核の細胞分化がほとんど起こっていないことがわかりました(図 3)。
図 3.EZH2 欠損マウスの子宮内膜における間質の細胞分化異常
胚浸潤期である妊娠 6 日目のマウス子宮において、EZH2 欠損時には有糸分裂期マーカーpHH3 陽性の間質細胞(赤色)が多く観察された(A)。
更に、妊娠 8 日目のマウス子宮内膜間質の細胞分化の指標として Senescenceassociated (SA) β-gal 染色(青色)を行うと、EZH2 欠損した子宮内膜間質では青色の部分が少なく細胞分化が抑制されていた(B)。
*:胚、M:mesometrial pole (子宮外膜側)、AM:anti-mesometrial pole (反子宮外膜側)。
この間質の細胞分化異常は、子宮内膜深部へと胚が浸潤することを妨げ、最終的に着床不全が起こることがわかりました(図 4)。
図 4.EZH2 欠損マウス子宮における着床不全及び妊孕能低下
子宮の EZH2 欠損マウスは重篤な妊孕能低下を示し(A)、
妊娠 8 日目のマウス着床部位には胚が認められなかった(B)。
更に、分娩予定日前日である妊娠 19 日目に子宮を観察すると、顕著な着床不全を認めた(C)。(B)H&E 染色 =ヘマトキシリン・エオジン染色、矢頭 = 胚。
〈今後の展望〉
本研究の結果、EZH2 による抑制的ヒストン修飾が子宮内膜の細胞分化を誘導し胚浸潤の成立に寄与していることが判明し、着床を調節する新たなメカニズムを解明することができました(図 5)。着床期子宮内膜の細胞分化の評価が着床能の指標として利用できる可能性や、子宮内膜の細胞分化の状態を改善させる何らかの治療法を開発することで着床不全が克服できる可能性などが期待されます。
着床不全の新しい診断法の開発に向けて更に臨床研究を展開していく予定です。
図 5.EZH2 による着床の調節
発表のまとめ(ポイント)
1.難治性不妊症である着床不全の仕組みを明らかにしました。
2.ヒストン H3K27 のトリメチル化(抑制的ヒストン修飾)を介したエピゲノムによる調節が
子宮内膜の細胞分化と胚浸潤に重要であることを示しました。
3.着床不全の新たな診断法開発へ向けた臨床研究への展開が期待されています。
抑制的ヒストン修飾酵素 EZH2 を介したエピゲノムによる着床の調節
用語解説
注 1) 子宮内膜
子宮内腔を覆う粘膜組織のこと。管腔上皮、腺上皮、間質、血管から成ります。月経で内腔側の機能層が剥脱しますが、その後着床期に向けて機能層が造成・肥厚し妊娠に適した変化をとげ、着床が起こる場となります。
注 2) 抑制的ヒストン修飾
ヒストン修飾はエピゲノムの主要なメカニズムの一つ。ヒストンは細胞核の中に存在するタンパク質であり、真核生物の核内では DNA がヒストンに巻き付いた状態でコンパクトに収納されています。ヒストンには H1、H2A、H2B、H3、H4 の 5 種類が存在し、このうち H1 以外の 4 種が 8 量体を形成します。DNA がこの 8 量体ヒストンに巻き付いた構造をヌクレオソーム、更にヌクレオソームが数珠状に連なった構造をクロマチンと呼びます。ヒストンタンパク質の N 末端、C 末端はヒストンテールと呼ばれ、アセチル化やリン酸化などの修飾を受けることでクロマチン構造を変化させて特定の遺伝子の発現を制御しています。このうちヒストン H3 のリジン K27 に対するトリメチル化は遺伝子発現が抑制される「抑制的ヒストン修飾」として知られています。
注 3) エピゲノム
DNA の塩基配列は変えずに DNA メチル化やヒストンのアセチル化やメチル化などのヒストン修飾などによって細胞の特徴を記憶するすべての情報のこと。エピゲノムに対して、
染色体の DNA に含まれるすべての遺伝情報のことをゲノムと呼びます。
注 4) 胚浸潤
着床の過程の中で、受精卵(胚)が子宮内膜上皮と接着した後に、子宮内膜間質内に入り込んでいく現象のこと。胚浸潤によって胚全体は子宮内膜に入り込み生着します。
注 5) 体外受精・胚移植
(In-vitro fertilization and embryo transfer、IVF-ET)不妊治療の一つ。採卵術により排卵前に体内から取り出した卵子と精子の受精を体外で行う治療を体外受精と呼びます。また体外で受精が正常に起こり細胞分裂を順調に繰り返して発育した良好胚を子宮内に移植することを胚移植と呼びます。最近では胚の凍結融解技術が進歩したため、良好胚を一旦凍結し別の月経周期に融解して胚移植する凍結融解胚移植法による妊娠件数が年々増加しています。
注 6) Enhancer of Zeste Homolog 2(EZH2)
抑制的ヒストン修飾のうち、H3K27me3 を生じる酵素群として、Polycomb Repressive Complex 2(PRC2)と呼ばれるタンパク質複合体が知られています。この複合体の中には DNA 結合タンパク質やヒストン結合タンパク質などが含まれますが、EZH2 はヒストンメチルトランスフェラーゼ活性を有し、ヒストンメチル化を起こす主要な酵素です。
注 7) RNA-seq(RNA sequencing)解析
次世代シーケンサーと呼ばれる大量の塩基配列を解読する機器により、遺伝子の発現量を網羅的に解析する手法。細胞内では核内の DNA の情報をもとにメッセンジャーRNA(mRNA)が合成され、更にその情報に基づいてタンパク質が合成されます。それぞれの遺伝子の mRNA 量は細胞の種類や時期・場所によって大きく異なり、これにより組織・細胞の機能が制御されています。RNA-seq 解析では mRNA 量を網羅的に定量することができ、包括的にデータを解釈することで、目的組織・細胞で生じている変化を推測するのに役立ちます。
注 8) ChIP-seq(Chromatin immunoprecipitation sequencing)解析
核内の DNA は様々なヒストンやその他タンパク質が結合することで、mRNA への翻訳が制御されています。特定の核内タンパク質に対する抗体を用いて、DNA-タンパク質複合体を分離したのち、そのタンパク質と結合している周辺 DNA の配列を次世代シーケンサーで網羅的に解析することにより、どのような遺伝子が、どのようなタンパク質と相互作用しているのかを明らかにすることができます。
注 9) 有糸分裂
真核生物の細胞が行う核分裂の様式の一つ。核のなかに染色体・紡錘体などの糸状構造が形成されるため、有糸分裂と呼ばれます。通常の体細胞の有糸分裂では、DNA の複製が生じ、その後凝縮した染色体が細胞質分裂により二つの娘細胞に分配されます。一方、脱落膜では細胞分化の過程において、DNA 複製が生じるものの有糸分裂で細胞周期が停止し多核の状態になることが知られています。
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