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健康を科学で紐解く シリーズ79  「難聴遺伝子SLC26A4の機能不全によって引き起こされる前庭障害の病態」

更新日:2023年6月25日


未在 -Clinics that live in science.- では「生きるを科学する診療所」として、

「健康でいること」をテーマに診療活動を行っています。

根本治癒にあたっては、病理であったり、真の原因部位(体性機能障害[SD])の特定

(検査)が重要なキー(鍵)であると考えています。

このような観点から、健康を阻害するメカニズムを日々勉強しています。


人の「健康」の仕組みは、巧で、非常に複雑で、科学が発達した現代医学においても未知な世界にあります。


以下に、最新の科学知見をご紹介します。


 


「難聴遺伝子SLC26A4の機能不全によって引き起こされる前庭障害の病態解明」 ― モデルマウスの形態異常と眼球運動解析 ―




研究の概要


 東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科耳鼻咽喉科学分野の伊藤卓講師と堤剛教授の研究グループは、マウスの眼球運動を観察する装置を新たに開発して、回転刺激、重力刺激、温度刺激を加えた場合に三半規管や耳石器を介した眼球への反射運動がどのようになるのかを定量的に評価することに成功しました。


 本研究で開発した眼球運動観察装置を用いて Pendred 症候群や DFNB4 のモデルマウスである Slc26a4 KOマウスの平衡機能障害の程度を解析し、組織構造を傷つけることなく非破壊的に骨構造を評価することができるマイクロ CT、および神経細胞の形態を立体的に評価することができるホールマウント染色による観察を組み合わせることで、モデルマウスの平衡機能障害が、おもに耳石形成の異常に起因することをつきとめました。




研究の背景


 東京医科歯科大学 耳鼻咽喉科学分野では長年、赤外線 CCD ビデオ眼振計を用いた眼位の変換アルゴリズムを独自に作製して研究を続けてきました。また、遺伝子変異による聴覚平衡覚障害の研究にも長年取り組んでいて、特に前庭水管拡大を伴う難聴を引き起こす SLC26A4 遺伝子※1 が日本人で最も高頻度に同定される難聴遺伝子の一つであること、さらにその臨床的特徴の詳細を明らかにしてきました。


たとえば、SLC26A4変異によって引き起こされる遺伝性疾患である Pendred 症候群や DFNB4 の患者は、難聴に加えてふらつきや反復するめまい発作を伴い、日常生活動作にも制限が生じるなど大きな影響を及ぼします。めまい発作は頭位を傾けると悪化する傾向があり、その性状から良性発作性頭位めまい症※2 と同様の病態が関係している可能性が考えられています。また、さまざまな遺伝子改変技術を用いて Pendred 症候群のモデルマウスを作成し、聴覚機能障害の病態を明らかにしてきました。


しかし、平衡機能に関しては、様々な刺激に対するマウス前庭眼反射※3 を定量的に評価する方法がなかったため、根本的な原因が長らく不明でした。


そこで本研究では、まず回転刺激、重力刺激、温度刺激に対する前庭眼反射を計測することができる眼球運動観察装置を新規に開発しました。さらに、組織構造を傷つけることなく非破壊的に骨構造を明らかにすることができるマイクロ CT を用いた耳石形態および局在の評価や、ホールマウント染色※4 による前庭の感覚細胞である有毛細胞形態の観察を行って、平衡機能障害がどのような病態で発症しているのかを検討しました。




研究成果の概要


 当研究グループは、覚醒下におけるマウスの眼球運動を定量的に評価できる下記のような観察装置を作成して、固定テーブルを傾けたり回転させたりすることでどのような眼球運動が観察されるのかを解析しました。


また、固定テーブルを傾けた状態で保持することによって、温度刺激に対する前庭眼反射も観察することが可能となりました。



図 1 マウス眼球運動観察装置のシェーマおよび眼球運動の計算方法

この眼球運動観察装置を用いて、Slc26a4 KO マウスの前庭眼反射を観察したところ、半規管機能※5 によって制御される回転刺激による眼球運動はそれほど障害されておらず、耳石器機能※6 を反映する傾斜刺激による眼球の変位は対照群に比べて障害されていました。また、冷水の注入による温度刺激に対する眼球運動を計測すると、同じマウスでも左右で差があることが判明し、障害の程度も多彩であることが明らかになりました。



図 2 傾斜刺激に対する眼球運動の解析

マウスを固定したテーブルをゆっくりと傾斜させていくと対照群では 90 度に傾けた時点で 15 度前後の垂直方向の眼位変化がみられるのに対して、Slc26a4 KO マウスでは 5-10 度程度しか眼位変化が見られませんでした(A, D)。また、マウスによっては傾斜刺激に伴って急速に移動する常眼球運動が観察されるものもありました(C)。このような異常眼球運動は良性発作性頭位めまい症患者で観察される眼球運動の特徴と酷似していました。



図 3 冷水注入による温度刺激に対する眼球運動の解析

マウス外耳道に冷水を注入すると急速眼球運動が観察されましたが、時間経過とともに徐々に眼球運動は消失していきました(A)。急速眼球運動の速度を計測すると、Slc26a4 KO マウスでは温度刺激による反応が障害されているマウスもいましたが、障害されていないマウスの方が多く見られました。また、温度刺激に対する急速眼球運動の速度には多くのマウスで左右差が見られました。しかし、平衡障害の一つであるマウスの回旋行動の方向と急速眼球運動速度低下の有意側との関係には一定の傾向は見られませんでした。



さらに、非破壊的に骨構造を明らかにすることができるマイクロ CT を用いた耳石形態および局在の評価を行うと、対照群のマウスで見られる球形嚢※7 と卵形嚢※8の耳石の総体積は Slc26a4 KO マウスでは有意に減少しており、特に球形嚢においては多くのマウスで欠損していました。しかしその局在は Slc26a4 KO マウスでもおおむね正常位置に存在しており、耳石器内での耳石の移動や三半規管内の異所性耳石は観察されませんでした。したがって、傾斜刺激に伴って急速に移動する異常眼球運動は半規管内の耳石が埋入したことによるのではないことが示唆されました。また、ホールマウント法による前庭の感覚細胞である有毛細胞形態の観察では、不動毛の形態および細胞数に対照群と Slc26a4 KO マウスで有意な差は認めず、保存されていることが判明しました。



図 4 マイクロ CT を用いた耳石形態および局在の評価

対照群のマウス(A)では耳石は球形嚢(矢印)と卵形嚢(矢頭)にそれぞれまとまって存在していますが、Slc26a4 KO マウス(B,C)ではそれぞれの部位で散らばって存在しており、総体積も減少していました。球形嚢の耳石が完全に欠損しているマウス(C)も見られました。



図 5 ホールマウント法を用いた卵形嚢有毛細胞の形態評価

対照群、および Slc26a4 KO マウスにおいて前庭の神経細胞である有毛細胞の数と形態に大きな差は認めませんでした。すなわち、Slc26a4 KO マウスにおいて前庭の有毛細胞は障害されていないことが判明しました。



 これらの観察結果から、Slc26a4 KO マウスでみられる前庭障害の病態が主に耳石形成の異常によるものであることが強く示唆されました。いっぽう、神経細胞の障害はほとんど見られないことが明らかになりました。一方半規管内に異所性の耳石が見られなかったことから、Pendred 症候群や DFNB4 の患者で見られる頭位で誘発されるめまい発作は、良性発作性頭位めまい症とは異なる病態で発症していると考えられました。




研究のポイント


1.マウスの眼球運動を定量的に計測する装置を開発して、回転刺激、重力刺激、温度刺激に

 対する前庭眼反射を評価することに成功しました。


2.マイクロ CT を用いた非破壊的な形態評価とホールマウント染色による観察によって、

 長らく謎であった SLC26A4 の機能不全によって引き起こされる平衡機能障害の原因

 が、耳石形成の異常によることをつきとめました。


3.SLC26A4 遺伝子変異に伴う前庭障害の予防法や新規治療法開発への応用が期待できま

 す。




研究成果の意義


 平衡機能の維持は身体機能や意欲・精神面の安定に直結し、国民の健康と生産的な生活に大きく関係しています。しかし、急速に進んだ現在の高齢化社会では、72 歳以上の 24%にめまいや平衡障害が見られ、また転倒・骨折の危険因子としてのめまい・平衡障害の相対リスクは2.9倍にもなるといわれています。したがって、めまいや平衡障害の病態の解明、予防法の確立および新規治療薬の開発は喫緊の課題です。


 今回の研究結果から、SLC26A4 の機能不全によって引き起こされる前庭障害の病態は耳石器における耳石の形成異常によるものであることがつよく示唆されました。耳石の形成異常はヒト側頭骨の研究から高齢者におけるふらつきの代表的な原因とも考えられており、最も一般的な平衡疾患である良性発作性頭位めまい症も耳石の代謝生成異常に起因する疾患と考えられています。


すなわち、Slc26a4 KO マウスが Pendred 症候群や DFNB4 患者で見られる平衡機能障害に限らず、その他の耳石形成異常による前庭障害への介入方法を考えるうえでも有用であると思われました。


さらに、リハビリテーションなどによる予防法の確立や新規治療薬を開発する際にどのような方向性でアプローチすればよいのかという指針を示すことにつながると思われ、発展性の高い結果だと考えられました。




用語解説


※1SLC26A4 遺伝子


SLC26A4 遺伝子は難聴に甲状腺腫を伴う Pendred 症候群および前庭水管拡大を伴う非症候性難聴の両疾患の原因遺伝子であることが報告されている。SLC26A4 遺伝子の変異は本邦において、もっとも高頻度に見られる先天性難聴の原因でもある。


※2 良性発作性頭位めまい症


めまいを引き起こす代表的な耳の病気で、じっとしているときはめまいが起こらないが、頭を動かしたときや決まった頭の位置になるとめまいが起こるという特徴をもつ。寝返りをしたときや朝起きたとき、目薬を差そうと上を向いたときや料理をしようとして下を向いたときなどに起こることがある。本来であれ卵形嚢※8 内に固定されている耳石が剥がれて、三半規管に入り込むことで発症する。


※3 前庭眼反射


頭が動いたときにこれと反対方向に眼球を動かして網膜に映る外界の像のぶれを防ぎ、頭が動いているときにものが見えにくくならないように働く一種の反射である。頭の 3 次元の動きは耳の中の三半規管や耳石器で感知され、その情報は脳幹部や小脳を経由して、外眼筋の運動神経核群を駆動し、頭の動きを補正する眼球運動を誘発する。


※4 ホールマウント染色


小さな組織片を切片化せずに染色する方法。染色されるサンプルが通常のスライド上の切片よりもはるかに大きく、厚みがあるため、共焦点顕微鏡を使って立体的な3次元構造を撮影することができる。


※5, 6半規管、耳石器


半規管と耳石器は平衡覚に関与する末梢器官である。半規管は頭部を回転した場合に生じる回転加速度(角加速度)を受容し、耳石器は頭部の傾きや乗り物やエレベータに乗った場合に生じる直線加速度を受容する。なお、頭部の傾きは重力方向への直線加速度と考えることができるため、耳石器にて感知されている。


※7, 8球形嚢、卵形嚢


耳石器内にある袋状の膜構造で、ゼラチンに似た基質の上に耳石が乗っており、その下には有毛細胞と呼ばれる神経細胞が収められている。頭の位置が変化すると耳石が動き、それにつられてゼラチン様の基質も動き、下にある有毛細胞の毛が動いて興奮が生じる。

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