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健康を科学で紐解く シリーズ86  「痛みを抑制するタンパク質を発見!」

更新日:2023年6月25日


未在 -Clinics that live in science.- では「生きるを科学する診療所」として、

「健康でいること」をテーマに診療活動を行っています。

根本治癒にあたっては、病理であったり、真の原因部位(体性機能障害[SD])の特定

(検査)が重要なキー(鍵)であると考えています。

このような観点から、健康を阻害するメカニズムを日々勉強しています。


人の「健康」の仕組みは、巧で、非常に複雑で、科学が発達した現代医学においても未知な世界にあります。


以下に、最新の科学知見をご紹介します。


 


痛みを抑制するタンパク質を発見!―痛覚多様性からのアプローチ―




概要


 動物は、痛み(痛覚)を感じると、とっさに危険から逃れようとします。この逃避行動は、さまざまな条件により、強められたり弱められたりすることが知られていました。

しかし、これまでその調節メカニズムはよくわかっていませんでした。


 今回、京都大学大学院生命科学研究科李愷(LI, Kai)研究員、司悠真同博士課程学生(学振特別研究員DC1)、上村匡同教授、碓井理夫同講師らの研究グループは、ショウジョウバエ幼虫の逃避行動をモデルにゲノムワイド関連解析をおこない、痛みによる逃避行動を抑制する遺伝子を発見しbelly roll(bero)遺伝子と名付けました。


さらに、bero遺伝子が痛覚を伝導する神経細胞で働いていること、そして、そこで痛み信号を抑制していることを発見しました。類似の痛み抑制現象は報告例がなく、まったく新しい痛み調節機構が発見されたことになります。


ヒトにもbero相同遺伝子があるため、この痛み調節機構を詳しく調べていくことで、痛みを制御する新しい治療法が見つかることが期待されます。





背景


 動物は生息環境にひそむ危険を感知し、逃避行動により生存をはかります。特に、捕食者による襲撃を察知して逃避行動をとることは、個体の生存に直結する重要な本能行動です。モデル動物であるショウジョウバエ幼虫も、寄生蜂による産卵管刺入を痛覚刺激として感知し、体をよじって逃避することが知られています。興味深いことに、寄生蜂の羽音を聞くと逃避行動が迅速化します。この行動迅速化は個体の生存に有利なため、逃避行動の調節は個体の生存にとって重要な生物機能であると言えます(図1)。


図1.ショウジョウバエの痛覚逃避行動は

  さまざまな遺伝要因と環境要因によ

  り調節される


これまでに、電位依存性カルシウムチャネルα2-δサブユニットをコードするstraightjacket遺伝子や環状グアノシン一リン酸依存性セリン-スレオニンキナーゼをコードするforaging遺伝子により痛覚が調節されていることが報告されています。今回、われわれはGPIアンカー型Ly6タンパク質をコードするbelly roll(bero)遺伝子が痛覚を抑制することを発見しました。




 逃避行動を制御する神経回路についてはこれまで、神経回路マップ解析による回路同定が進んできました。しかし、中枢神経系において痛覚入力情報を調節して個体の逃避行動を制御する神経メカニズムの多くは不明でした。これは、逃避行動をつかさどる神経回路の活動ダイナミクスがよくわかっていないこともその一因です。

マウスでは、最近になって痛覚信号の伝達や統合のメカニズムが徐々に明らかになりつつあります。しかし、逃避行動を調節するニューロンの神経活動の詳細には未解明の点が多くあります。


したがって、痛覚伝導ニューロンの神経活動を詳細に把握して、その制御メカニズムを理解することは重要な研究課題です。




研究手法・成果


 上記の目的を達成する第一歩として、逃避行動を調節する未同定の遺伝子を同定し、さらにその生理機能を理解することが重要です。そこで、ショウジョウバエ野生型系統の大規模コレクションであるDrosophila Genetic Reference Panel(DGRP)を利用した遺伝子同定を試みました。これらの野生型系統は非常に多様な遺伝的背景(遺伝子多型〔注1〕)をもつため、個々の遺伝子の発現量や生理機能が系統ごとに異なっていると期待されます。各野生型系統のゲノムDNA配列が既知のため、それぞれの系統について痛覚逃避行動の感度を計測することにより、どの遺伝子多型が逃避行動の制御に関わるかを推定できます。われわれは30個以上の遺伝子を関連候補遺伝子として推定しました。遺伝子ノックアウトやニューロン特異的な遺伝子発現抑制を利用した2次的な検証実験から、CG9336遺伝子を責任遺伝子として同定しbelly roll(bero)遺伝子〔注2〕と命名しました。


つぎに、幼虫神経系でのbero遺伝子の発現パターンを調べたところ、複数のペプチド産生ニューロン〔注3〕で発現していることがわかりました。それぞれのペプチド産生ニューロンについて、特異的な遺伝子発現操作が可能であることを利用して、ニューロン群特異的な発現抑制実験を行ないました。その結果、腹部ロイコキニン産生(Abdominal leucokinin, ABLK)ニューロンで発現するbero遺伝子が、逃避行動を抑制することがわかりました。

そこでABLKニューロンの逃避行動における役割を調べるため、ABLKニューロン特異的に神経活動を誘導したところ、逃避行動が引き起こされることがわかりました。


以上の結果は、幼虫が痛覚刺激を受けた際のABLKニューロンの神経活動(痛覚応答)が増強した結果、逃避行動が引き起こされること、そしてその活動の増強をbero遺伝子が抑制していることを示唆しています。

この可能性を検証するため、ABLKニューロンの痛覚応答を、正常個体とbero遺伝子機能阻害個体との間で比較することを試みました。その結果、期待通りbero機能阻害ABLKニューロンは、正常ニューロンに比べて大きな痛覚応答を示すことがわかりました。しかし、不思議なことに、ABLKニューロンは痛覚刺激がない状況でも、持続的な神経活動を示していました(図2左)。一方、bero機能阻害下ではこの持続的な神経活動が有意に減弱していました(図2右)。この持続的な神経活動の生理的な意義は不明ですが、痛覚応答に何らかの影響を与えているのかもしれません。Beroタンパク質の機能が何らかの環境ストレスによって調節されることで痛覚応答が制御されている可能性があると、われわれは想像しています。


図2.Beroタンパク質は痛覚伝導神経細胞の痛覚応答を抑制する


Beroタンパク質は痛覚伝導神経細胞の神経活動を抑制し、逃避行動を制限しています(左図)。


bero変異体では、この神経細胞の痛覚応答が増強し、迅速な逃避行動がみられます(右図)。(Li et al., 2023より改変)




波及効果、今後の予定


 哺乳類の痛覚伝導回路には様々な経路が知られており、またそれが飢餓状態などの体内環境要因により調節を受けることが知られています。しかし、個々の痛覚伝導ニューロンがどのようなメカニズムで情報統合を行っているのかはあまりわかっていません。


 今回のわれわれの研究成果から、ショウジョウバエ幼虫のABLKニューロンの興奮性を調節するしくみの一端が明らかになりました(図2)。哺乳類にもBeroタンパク質のホモログが数多く存在するので、そのいずれかが痛覚伝導ニューロンの興奮性を調節している可能性があると考えられます。そのような機能的ホモログの分子機能を検証することで、哺乳類の痛覚伝導の分子メカニズムをより深く理解できる可能性があります。


これにより、ヒトの疼痛疾患の新しい治療戦略の開発につながるかもしれません。




研究者のコメント


「氏か育ちか」という言葉がある通り、生き物に個体差が生まれる理由には遺伝子と環境があると考えられています。私たちは、動物の個体差を生み出す「氏」に相当すると考えられる遺伝子berry rollを発見しました。将来的には、「育ち」に相当する環境も含めて研究していくことで、生き物の多様性の謎に迫れるのではないかと期待しています。(司悠真)





用語解説


1.遺伝子多型:


同種の個体群内で、2つ以上の対立遺伝子が特定の遺伝子座を占めている状態のこと。具体的には、遺伝子領域の一塩基置換(single nucleotide polymorphism)や欠失(deletion)などがあります。これにより、遺伝子の発現パターンが変化したり、符号化するタンパク質のアミノ酸配列が変わることで、遺伝子機能が変化することがあります。


2.belly roll遺伝子:


今回、われわれが命名した遺伝子で、ヘビ毒の一つであるブンガロトキシンに類似した構造をもち、グリコシルホスファチジルイノシトール(GPI)アンカー型の膜タンパク質を符号化しています。この遺伝子の機能を失った個体が、痛覚刺激により激しく全身を回転させる様子から、走り高跳びの古い跳躍スタイル「ベリーロール」になぞらえて命名しました。


3.ペプチド産生ニューロン:


ペプチドを産生し、神経活動によって放出するニューロンのこと。ペプチドは、複数のアミノ酸がペプチド結合した高分子で,ホルモンや神経伝達物質としてはたらく。ニューロンで産生・放出されるペプチドを特に神経ペプチドと呼びます。

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