未在 -Clinics that live in science.- では「生きるを科学する診療所」として、
「健康でいること」をテーマに診療活動を行っています。
根本治癒にあたっては、病理であったり、真の原因部位(体性機能障害[SD])の特定
(検査)が重要なキー(鍵)であると考えています。
このような観点から、健康を阻害するメカニズムを日々勉強しています。
人の「健康」の仕組みは、巧で、非常に複雑で、科学が発達した現代医学においても未知な世界にあります。
以下に、最新の科学知見をご紹介します。
乳酸が神経細胞分化を促進するメカニズムを解明
神経細胞の「乳酸応答性遺伝子」による情報伝達の区分けに成功
研究概要
乳酸(lactate)は解糖系とよばれる細胞内エネルギー産生の初期段階で産生される代謝物です。例えば運動による骨格筋の収縮では多くの乳酸が血中に放出されます。これまで乳酸はエネルギー産生における副次的な代謝物として考えられてきましたが、最近では乳酸自体が情報を伝達する物質として様々な細胞機能に影響を与える可能性が指摘されています。
東北大学大学院医学系研究科の徐丹大学院生、東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科の楠山譲二テニュアトラック准教授(研究当時:東北大学学際科学フロンティア研究所・助教)、東北大学大学院医工学研究科の永富良一教授らのグループは、ヒトとマウスの神経細胞を用いた実験により、乳酸が神経細胞の分化を促進するシグナル伝達機構を解明しました。
本研究は、代謝物とみなされてきた乳酸が神経細胞の機能を制御するというユニークな機能を明らかにした重要な報告です。
図:乳酸による神経細胞分化の促進機構
ヒトやマウスの神経細胞を培養する際、乳酸を加えると神経細胞の分化が促進する(分化指標である NH-F が多くなる)ことを見出しました。乳酸は、神経細胞の乳酸輸送体(MCT)によって細胞内に取り込まれると、乳酸に結合するタンパク質である NDRG3 を介して、TEAD1、ELF4 といった転写因子を介して神経細胞の分化に関わる遺伝子の発現を促進します。一方で、乳酸はNDRG3 を介さない経路によっても神経細胞分化を制御しており、TLE2、EE1A2、HES7 などがこの機構に関わっています。
研究内容
乳酸(注1)は解糖系(注2)とよばれる細胞内エネルギー産生の初期段階で産生される代謝物です。
例えば運動による骨格筋の収縮のような急速にエネルギーが要求される場面では多くの乳酸が血中に放出されています。乳酸はエネルギー産生における副次的な代謝物として考えられてきましたが、最近では乳酸自体が情報を伝達する物質として様々な細胞機能に影響を与える可能性が指摘されています。
またほとんどの細胞はエネルギー産生のためにグルコース(ブドウ糖)を利用している一方で、神経細胞は乳酸を代替のエネルギー基質として利用していることから、脳神経組織における乳酸の役割はより広範なものであると予想されました。しかし乳酸が情報伝達分子として神経細胞にどのような影響を与えるかは、よく分かっていませんでした。
本研究ではヒトとマウスの神経細胞を用いた実験で、乳酸を添加することによって、神経細胞の分化や神経細胞突起の伸長が促進することを見出しました。またヒト及びマウス神経細胞において乳酸刺激で変化する遺伝子群を網羅的に解析し、ヒトとマウスに共通の「乳酸応答性遺伝子」を同定しました。「乳酸応答性遺伝子」の多くは、乳酸輸送体である MCT1(注3)を介した乳酸の細胞内移行によって発現が変化していました。
一方、神経細胞の分化時に乳酸を添加すると、乳酸によって細胞内の安定性が上昇するシグナル伝達タンパク質であるNDRG3(注4)の量が増えていることに気づきました。そこで「乳酸応答性遺伝子」のうち NDRG3 シグナルの関与の有無を網羅的な遺伝子発現比較によって絞り込みました。その結果、「乳酸応答性遺伝子」のうち神経細胞の分化に関わる転写因子には、NDRG3 依存的なもの(TEAD1, ELF4)と非依存的なもの(TLE2,EEF1A2, HES7)があることが分かりました。
結論
本研究は、乳酸が神経細胞の分化を促進する分子メカニズムを実証しました。
またヒトとマウスの神経細胞に共通の「乳酸応答性遺伝子」のデータセットとNDRG 依存的/非依存的遺伝子を明らかにし、乳酸が神経細胞の機能において非常に重要な役割を果たしている可能性を示唆しました。
今後、運動の脳機能に対する影響などを乳酸シグナルの点から解明していくことで、乳酸バイオロジーの進展に繋がる可能性があります。
発表のポイント
1.乳酸がヒトとマウスの神経細胞分化を促進する新規の分子メカニズムを解明しました。
2.乳酸による情報伝達経路を区分けする分子として NDRG3 を同定しました。
3.乳酸は単なる代謝物ではなく神経の機能を制御する分子として働く可能性があることを
示唆する成果です。
用語説明
注1. 乳酸:
細胞内代謝である解糖系や運動といった生理機能によってピルビン酸から生じる代謝物。
注2. 解糖系:
細胞内に取り込まれたグルコースが,ピルビン酸あるいは乳酸に代謝される経路。
注3. MCT1 :
モノカルボン酸トランスポーター 1(monocarboxylatetransporter1)。乳酸、ピルビン酸、ケトン体などの輸送を行う。
注4. NDRG3:
細胞内シグナル伝達タンパク質で、通常は発現してもユビキチン化による分解が繰り返されている。乳酸と結合することでユビキチン化からの逃れる性質を持ち、乳酸存在下で下流にシグナルを伝える特性を持っている。
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