未在代表より御挨拶
未在代表
Physical Therapist 兼 理学療法士 松舘 敏
初めまして、未在代表の松舘 敏と申します。未在のホームページへお越し下さり御礼申し上げます。
僭越乍ら自己紹介させてもらいます。私は社会人経験を経て、30歳台半ばで一心発起し理学療法士の道に進みました。すなわち後発組となります。家族や周囲からは反対を受けましたが、その時の私は「不安」以上に「挑戦」しか見えませんでした。幸いにも養成校に入学することが出来、日中は働き、夜は学校という二足の草鞋を履く生活が4年間続きました。さすがに苛酷で寝る時間も無く、東京都の地下鉄ホームで電車待ちしながら寝ていたことを今でも思い出されます。夜学部でしたので、同級生の多くは日中勤務している方が多く、年齢も20歳台半ば~30歳台前半が多いことから理学療法士を志す士気が高い方々ばかりでした。このような同級生に囲まれ、助けていただいたお陰で、なんとか理学療法士になれたと思っています。国家資格取得後の歩みの場所に悩みましたが、やはり私が生まれ育んでいただいた岩手県宮古市に恩返しできればとの想いで帰郷し、地元唯一の回復期リハビリテーション病棟がある病院へ勤務し、養成校時代に学校長からの訓示「3年間で如何に勉強するかが療法士としての分かれ道」に従い、療法士としての知識・技術の勉強に努めました。入職前から期待はしていませんでしたが、案の定、院内で学ぶ環境は無く人材もいませんでした。よって毎日、自宅での自習そして毎週末は県内県外へと学びの場を求めて参加し、知識・技術を積み上げていきました。努力の甲斐があり、療法士2年目を終える頃には病院内の諸先輩方のレベルを知ることが出来たこと、病む方/障害を抱える方に関わる仕事であり、希望を与える仕事でもあるにも関わらず、諸先輩/後輩の士気は無く、勉強する気持ちも無く、ただただ経営者に媚びる連中の処遇の評価とする状況に呆れ、病院を退職する決心をしました。その後は、病院からの要請もあり、非常勤として勤めながら地域のサービスの中でリハビリテーション(理学療法)に取り組んでいきました。
理学療法士としての目標は「治せる、改善できる、療法士になる」でした。病院時代から理学療法の限界のようなものを覚える中、「何か治療技術はないのか?」と探索する中、巡り会ったのが「オステオパシー」でした。それはまさに、衝撃的な、感動を覚える、そして不思議な、神秘性さえも感じるものでした。やはり世界は広く、無知(知らない事)は何に関してもマイナスであると検め痛感させられました。そこからは、「オステオパシー」と「リハビリテーション」の二足の草鞋を履いて学ぶ生活となりました。
「リハビリテーション」を学び17年、「オステオパシー」を学び12年の月日が経ちました。よく私を知る方々から「考えに考えないと、行動しないよね」「でも行動する時は、速いよね」と言われます。養成校時の実習先の指導にあたってくださった理学療法士から(理学療法評価をまとめたレポートを見て)「研究者みたいだね」と言われたことを今でも覚えています。先日、知人から占いやってみてと言われ行ってみました。設問数十個に答える形式のものでした。タイプは「医学者」「科学者」とのことでした。このようなエピソードが現すように、真っ直ぐにしか考えれない私が医療人の惨さの中、紆余曲折しながらも。そして、慎重に、完全に理解した上で、熟知した上でないと行動しない私が今、動くことを決心しました。
本当の意味で「地域への恩返し」が出来るのは、ここからが本番だと思っています。
未在を公式に始めたのは6年前、2023年(令和5年)度で7期目になります。公式といいましても個人事業主登録を行い、法制度上に明らかにしただけです。診療も訪問診療のみとし、知る人ぞ知るにてご紹介があった方の診療のみを行ってきました。
今ここに、”ベール”を脱ぐ時がきました。ここから本格的に”未在 -Clinics that live in science.-”は診療活動を開始します。
皆様の未来に、未在をご活用いただけますよう切にお願い申し上げます。-Next for you Mizai-